教育

4 青年高校教師の悩みと意見

 

 以下のアンケート調査は、10月15日に福岡で行われた「平成12年度九州高等学校教育研究会・青年教師研修会」において私が講演をさせていただいた際に、事前にアンケートして下さった結果をまとめたものである。

 これをここに発表させていただくのは、現在の高校の若手の先生たちがどんな問題で悩み、どんな意見を持っているのか、またどんな現象が学校で起きているのか、を知るための貴重な資料になっていると思うからである。教育の現場にいる先生たちの生の声を少しでも広く知っていただいて、日本の教育について考えるための資料にしていただきたいと思う。(なおここに掲載することについては主催者の了解を得てあります。)

 

 

○将来の展望を見ることが出来ず、自分の目先の事ばかり追いかけている生徒が多い。

 そのため、ちょっとした挫折に立ち向かっていくことが出来ずに逃げて閉じこもってしまう。このような生徒に対しての声かけや、もっと現実に立ち向かえる強さを教えるにはどうしたらよいのか? また、人間関係の希薄さから、対人恐怖症などになり不登校になってしまう生徒に対しての指導方法などがあったら教えてください。

 

○耐性欠如に関して、その原因に、「食生活」の変化は考えられないか。例えば「炭酸飲料」「朝食抜き」などについて、ご意見を、おうかがいしたい。

 

○家庭教育がうまくいってないことが、青少年の心を荒廃させる原因の一つだと考えられる。今一度、家庭教育の在り方を見直し、改善していく必要があると思う。

 

○青少年を取り巻く環境の中で、TV番組の悪影響や24時間営業の店など改善できる点は、すぐにでも実行すべきではないだろうか。

 

○文部省の教育改革も、教科の中でむずかしいことを省くようにしているが、もっと困難なものにも耐える力を身につけるような教育を目指してほしいと思う。

 

○規範意識の低下には目を見張るものがある。家庭教育をいかに向上させるか。

 

○現在の15・16・17歳の親の世代が子供時代にどのように育てられたかを分析した結果、それが子育てにどのように影響を与えたかを知りたい。また、社会の状況がどのように変化をし、どのように影響を与えているかをしりたい。

 

○許せない。昔私も反抗期といわれる思春期にはきれることもありました。学校がなくなればよいとか、ある人がいなくなればよいとか思ったことはありましたが、殺そうと考えたことはなかったように思います。今は思い通りになることが幼い頃から多いのではないのでしょうか。子どもが思い通りにならないことがあることを知ることが大切だと思います。もう一つは、今の生徒(若者)は、幼い所が多く、恥というものの基準が大人と違っている気がします。最後に食生活の影響かもしれませんが、精神的にも肉体的にも弱くなっているきがします。

 

○未成年による凶悪な犯罪が多発しているために、世間では、学校の行っている教育を疑問視する見方もあるようだ。確かに高校にほとんどの生徒が進学する現代では高校で行われる教育が、多かれ少なかれ生徒たちの人格の形成に影響することは当然である。しかし私個人の経験から考えて、基本的生活習慣の確立や、良心的な考え方を持つ人格形成が、やや遅れている生徒のほとんどは、家庭になんらかの問題を抱え、高校に進学する頃にはすでに多くの悩みや、改善すべき問題を抱えている場合が多い。そのような生徒に対して、生徒の内面にまで迫った指導を行うのが教師の役目ではあるだろうが、家庭の協力が得られないのではそれも完全に行うことは不可能である。従って、青少年の犯罪の多発の根本原因として、学校での教育を云々言う以前に、家庭や地域での総合的な育成が必要だと考える。その育成に学校がいかに協力できるのかを考えるべきで、最初から責任を転嫁して、学校教育にすべてを代償させようとする、世間やマスコミには、非常に疑問を感じる。

 

○個人の便利さ、快適さばかりが追求される現代、TVやPHSにしても、家族の共有物でなくすべて個人の所有物となっているし、その傾向はさらに進んでいくだろう。

集団としての共通の幸せ、利益などを感じられなくなっている。連帯感・一体感・共感等々。あまりにも個人の幸せ追求のために他の幸せを踏みにじってもかえりみない、そのような傾向が、実は親、大人の側にもあるという現実を見るとき、どのような子どもが育つのか憂いを覚える。

 

○昨今の青少年による犯罪の報道を見ていて気になる言葉がある。それは「動機なき犯罪」「普通の子が何故」「いつでも何処でも起こりうる」などである。

 報道関係者が考えている動機は何であろうか。その犯罪にいたるにふさわしい動機、第三者が見てもわかる動機なのではないか。実際の犯罪が起こった場合、それに至る動機が必ずある。ただそれが他のものなら実際に犯罪にまで至らない動機であるだけだ。従って「普通の子」と定義づけられた青少年の動機が見えなくなっているのではないか。新聞などの報道を見ていると、犯行に至った動機が見えてくる。それもきわめて単純な動機が。それは、「自分の欲求を満たしたい」「自分の欲望をじゃまする者は排除する。たとえ殺害しても」というきわめて個人的な、利己的な、自己中心的なものある。それ以外に犯行に至った理由は彼らにはないのである。従って動機を探る上では、従来の既成概念を離れる必要がある。また「普通の子の犯行」という言葉が使われたのも、現代の犯罪の傾向を理解するには動機の認識が遅れているからであろう。普通の子は殺人はしない。普通ではないからこのような行為に出るのである。

 「普通の子が・・・」という表現を安易に用い、あたかもこの国の倫理観が根底から揺るがされているかのような、興味本位的な表現をマスコミが用いることの危険性を認識してもらいたいものである。大多数の生徒はまだ「普通」なのである。犯罪を犯した青少年の扱いについても、以前から言われているように過保護すぎる。被害者を蔑ろにして、加害者を大切に扱う傾向は日本に特有のもので、人権を尊重する欧米の考え方からしても理解不可能のことらしい。社会正義とは何か、責任とは何か、権利とは何かやっていいことといけないことなど大人も忘れてしまっている我々の基本的在り方を問い直す必要がある。

 

○本来「理性」とは様々な行動を抑止するために働いており、「きれる」とは衝動が理性の抑止力を越えた状態であると考える。しかし、昨今の青少年犯罪においては、多少なりとも計画性が見られ、このことは、衝動を抱えたまま、それを実行するために理性が働いていたように思える。程度の違いこそあれ、生徒と接している中で、判断力、思考力のすべてをいいわけやごまかしに使っているのではないか、と言う者が最近特に目に付く。発育過程における理性形成の初期段階で、その方向性を誤ったのだとしたら、高校教育の中で何ができるか、どのような方法があるのかが私にとって大きな課題であり、疑問でもある。

 

○自分の子に物を与えるだけで、それを使うモラルを教えていない。

 

○夫婦で自分の子についてもっと話し合うべき。

 

○「常識」が通じないのにとまどう。ゴミを散らかさない、挨拶をするなど当たり前のことができない。

 

○育てている親に問題あり。また、子どもの問題行動が許されすぎている。

 

○子を取り巻く環境が犯罪に大きく影響している。

 

○犯罪の事例を冊子だけでもよいから教職員に知らしめるべき。

 

○学校・家庭が連絡を密にして、子どもの生活を見つめるべき。

 

○若い先生方は早めに担任をやって経験を積んでほしい。

 

○子どもが「悪いこと」を見ても平気な顔でいる。まず、善悪をしっかり話していくべきである。

 

○もっと、子どもたちで責任をもって判断し、その結果、生じた責任も自分で負うようなシステムにすべき。今では、子どもに対して「ああしろ、こうしろ」ということが多く、そしてその責任も大人が負ってきた。これからは、子どもの権利も認めながら、責任もきちんととらせるようなシステムに変えるべき時代だ。

 

○どうして、あんなにすぐキレてしまうのか不思議です。もっと我慢することを学校、家庭、地域のつながりの中で考えるべき。また、授業中にトイレに行く生徒も多い。50分に耐えられず、息抜きをしているようだ。

 

○世界中で青少年犯罪の低年齢化、凶悪化が進んでいるようで、他の国々の事例を研究し、日本における問題解決のヒントにしたらよい。

 

○ピアス、茶髪などに対する保護者の関心が低い。高校生にもなれば、当たり前と思っているようだ。さらに、親や教師の指導に従わない生徒に対する学校側の対処が手ぬるい。もちろん十分な話し合いは必要だが。先日、とある中学校でとられた出校停止処分は、これからの教育現場を考えた場合、当然の結果であると高く評価したい。

 

○社会規範を守ることよりも自分たちのペースというか楽しみを大切にする傾向があり、これは、社会の教育がそれを自然に、しかも、強く求めてこなかったからにあると思う。もっと生徒や親たちの集団としての交流の場を設定し、集団のルールや文化などを継承していく運動が必要なのかもしれません。

 

○教師自身の社会規範が足りなかったりするケースが増えている気もします。社会や親を批判する前に教師が勉強する必要があるかもしれません。

 

○最近の生徒の傾向で、特に気になることは、あらゆる面で”自分の都合を最優先する”ことが多いことです。以前は少しは遠慮がちでしたが、最近は臆面もなくといった感じです。些細な用事でも主張するので、唖然とします。周囲の様々な事情を考慮して、もう少し、状況判断ができるようになるといいのにと思います。

 

○連続する青少年の犯罪が問題となっているが、同じ17歳の担任として思うことは、どの生徒にもおこりうる可能性があるということである。普段から服装や頭髪など、校則違反を繰り返す生徒だけでなく、クラスでは目立たないまじめな生徒でも、学校から離れると問題行動を繰り返す生徒もいる。部活動も積極的に取り組み、授業態度も模範となる生徒でも、学校から離れると、親や先生の前とは違った面も見られる。担任として、問題を起こしがちな生徒には、指導を通して接する時間も長く、その生徒の内面を理解しようと心がけているが、何も問題を起こさないような「普通の生徒」には、十二分に対話をしたり、悩みを聞いたり、心を通い合わせる時間がとれないのが現状である。なるべく、1日に1回声をかけ、生徒の心の変化をみていこうとおもっているが、問題行動が耐えないクラスにあって「普通の生徒」の理解を深めるのは困難である。こういう風に言うと、泣き言のように聞こえるが、生徒の心を捉え理解を深めるのは、自分の価値観や完成にも問題があり、今の自分には十分な生徒理解力がないように思う。ただし、あきらめずに生徒1人1人の良さを認め、柔軟に対応できるように、心がけていきたいと思う。

 

○大人から叱られることに、なれていない子がいる。短絡的な動機による事件が多く、被害者の気持ちを理解してない青少年による事件が多い。基本的な生活習慣が確立してない生徒もいる。保護者との、連携は絶対に大切である。

 

○個性重視の教育をはき違えて捉えた結果、青少年の問題につながっている部分もあるのではないか。本校は軽度の知的障害を有する生徒を対象にしているが、社会に出たときに、事件に巻き込まれたりしないか心配もある。高校での(道徳)を実施してはどうか。

 

○現在の生徒は、夜更かしをしたり、朝食をとらないなど基本的な生活習慣から逸脱した子どもが増加して、どこでも集まったら座り込んだり、精神面でも我慢できずにすぐ切れてしまう。このような状況については、1面的な捉え方かもしれませんが、子どもの健康が損なわれている状況が現れてきていることが考えられます。座り込むのも生徒の体力が落ちている状況として見逃せません。すぐに切れることも我慢する力が落ちていることが考えられます。集会での長時間起立させた状態では、よく倒れる。また、体的な面ではアトピー性皮膚炎、若年層の糖尿病、骨折の増加など、生徒の健康面も重視して取り組んでもらいたい。

 

○最近の生徒の状況として、我慢ができない、人の話が聞けない生徒が多くなってきている。教育改革国会会議でも提唱されているように、将来的には奉仕活動を大いに取り入れ、人の気持ちが分かる生徒を育てる必要があるのではないか。

 

○現在の青少年を見ていると、親の教育がなされていないように思われる。また、精神年齢が低く、わがままである。このような生徒に、先生方が対応しきれてない。生徒のわがままに負けている。また、先生方の協力、統一した指導ができていない。これにより、生徒は、先生に対して不信感を抱いている。指導がしにくい状態である。よく指導する先生に対して、生徒たちは「そんなことぐらいで、注意しなくても」という感じで、少しのことでも反発してくる。正しいことが素直に受け入れられないでいる。親の教育がなされていない現在では、小・中・高等学校と統一した先生方の教育、指導が必要ではないか。

 

○最近の青少年犯罪に対して、非常に恐怖感を覚えます。彼らが本当に何を考えているのかわからない状況であります。生徒の状況を見ましても、何かしらいつもいらだちを持っているように感じられ、対応に苦慮する場面が多々有ります。対応を改善する1つの手だてとしては、コミュニケーシヨンをとることが大事ではないのかと考えます。ただコミュニケーシヨンをとるだけでなく、心と心が通じ合えるようなところまで根気強く、接していくのが大事ではないかと思い実践しています。

 

○少年犯罪に走る子どもと、そうでない子どもの違い。

 

○最近の重大犯罪を犯した青少年に対して、かなりの数の少年少女が、その行動に理解ができると答えていると聞きました。犯罪を犯した青少年について、そのきっかけとなったことは何なのか。また、犯罪行動に理解できるという青少年について、その行動をとどめていることは何なのか。それがわかればいいと思います。

 

○最近の少年犯罪の凶悪傾向に対して、刑法を改正し少年も裁判を受け、罰規を強化すれば事足れりとする事には反対である。子は親の鏡と言われるように、もっと世の中全体のゆがみを正常化し教育界でももっと危機感を持って、日々の教育活動に取り組むべきだ。

 

○思春期まっただ中の生徒に対し、これまでのゆがみや、ひずみを取り除こうとしても手遅れかもしれないが、学校教育の中で心をほぐしたり解放できる時間を作ってやることは、とても大切なことと思っている。

 

○生徒は怒られることにあまりなれていないようだ。私たちが考える以上に言われた言葉に傷つきやすいようだ。叱り方のアドバイスなどがあれば、教えていただきたい。

 

○最近の生徒は、一見何も問題がないように見えても、内面に大きなものを抱えている事が多いように感じる。その原因が家庭内の問題であるとき、どの程度担任として介入すべきかがわからない。家庭の問題だからといって放っておいては、生徒が悪い方向へ進みそうな気がしてならない。ケースバイケースであるとおもうが、意見をいただきたい。

 

○最近、自分の行動がどのような結果をもたらすのか予測できない子が増えた。これは、小さいときの生活によるものではないか。兄弟が少なく、集団教育を受けるまで、同年代との対人関係を経験していないので、人に対する接し方のルールが身に付いていない「わがままな子」逆に自分の心情を人に伝える術を身につけていない「しゃべらない子」や「会話が成立しない子」遊びやけんかの中で、けがをした経験が少なく「人の痛みがわからない子」これらの子が、ゲームの中で人を殺すことすら、そのようなものと思った結果が最近の事件となっているような気がする。しかし、問題はこれらの子が親となって育てられた子がどうなるかである。問題はまだ単なる序章にすぎない気がしてならない。

 

○自由を極めながら、自己の責任を問われない甘えた姿勢が問題だと思う。親がもっと真剣に子どもにかかって行くべきだと思う。子どもと対立せず、子どもに迎合する親が多い。

 

○最近の社会の変化の1つに「価値観の多様化」があげられる。そしてこの多様化に柔軟に対応することが求められている。しかし、現代の社会が子どもたちを見る視点は変わりつつあるが、依然として、画一的一元的価値観(学力を最大のものと考えていること)が根強い。これを改めない限り、同時に本音で様々な価値観を認めない限り、今後も同様の事件が起こるのではないだろうか。

○学年が下がるごとに、生徒の気質が変化してきた。何が主因かは、勿論わからないが、この生徒たちが小学校の高学年の頃から、バブルの崩壊、世界秩序の激変、日本国内の構造変化などが重なり、価値観が多様化したのも一因と思われる。具体的には耐久性がなくなってきたことと、基礎学力の低下が様々なことを引き起こしているのではないか。

 

○近頃の若者、特に高校生は地べたに座り込んだり、電車バスの中で騒いだり、ゴミを投げ捨てたり、そんなことを平気でする。つまり我々のいうところの常識がない。同様に罪を犯した少年たちは法という常識を飛び越えてしまった。元々我々と同じ常識、すなわち判断の基準となる価値体系を共有していないので「常識では考えられない」動機で人を殺したりするのだろう常識モラルは社会の中で受け継がれていく。ここ10何年かは世代間の結びつきが弱くなり、モラルは受け継がれなくなった。常識の断層である。また現在、成人の間でさえ価値の多様化や流動化がいわれている。その保護下にいる子どもたちではなおのこと、この現象は激しいだろう。

 

○犯罪には至らないまでも、生徒の現状は確実に変わってきつつあります。幼少期より親から甘えさせられて成長してきているため、「こらえ性がない」という特徴が顕著です。例えば早朝課外授業に平気で遅刻・欠席をする。単に寝不足というだけで体調不良と称し保健室に行く。あるいは、早退する。(欠席などに関しては罪の意識はほとんど皆無)担任や生活指導の教員が呼び出しても、返事はするのにその後こない。かつての生徒で有れば、こちらが真剣に説諭したり教えればそれなりの反応が返ってきたのが、昨今の生徒は全くそれがない。教室の中に荷物をおいて帰り、散乱しても片づけない。教員が注意をしても無視してそのままの状態である。たまりかねて、あらかじめ、「放課後にまだ荷物があるならこちらで預かる。」と予告していても持ち帰らず、こちらが取り上げた後で「とられた」と、怒りだす。環境整備などは散らかす本人も悪いけれど、周囲の者も、それに対して何も考えようとしない。自分に影響がなければ別にかまわないと言う責任感、義務感のなさからうそを平気でついているという状況もよく見かけます。つまり「こらえ性がない」事が当たり前で、それを発端にした様々な事象が起こっているように感じます。昨今の青少年の犯罪も(それだけとは言い切れませんが)こうしたことが原因の一つになっているのではないでしょうか。

 

○家庭科を担当していますが、特に自習中にコミュニケーシヨン不足を感じます。わからないことを同じ班の生徒に聞くというごく当たり前のことをしない、できない生徒が増えています。教師とは話せるが、生徒同士ではできない生徒もおり、失敗や馬鹿にされることを避けようと言う傾向も見られ、それはどちらかといえば男子に多いようです。生物学的な男女の違いからくるものかもしれませんが、「男は強くたくましく」という考えの基に抑えられているのではないかとも思います。抑えられなくなったときに極端な行動に出てしまう子もいるのではないでしょうか。先生の著書の「フェミニズムの害毒」のなかで家庭科教師の「ジェンダーフリー教育」による洗脳の影響が述べられていましたが、「むしろ、無理をする必要はない」というプラスの影響があると思っています。教師として、一人一人の個性を見つけようとする心構えだけは忘れずにいたいとおもっています(現実は接する時間が少なく不十分ですが)また、親としても、わが子の良さを認めながら人としての教育をしていきたいと思います。子は親の責任です。

 

○何度注意や話をしても、真剣に学習に取り組もうとしない生徒、やるきのない生徒の指導法について、いろいろと考えている。

 

○教えられたことを、きちんと実行しようという気持ちがあっても、とても簡単なことができない場合がつづくとイライラするようである。

 

○現代社会は、経済効率、利便性を限りなく求めた結果として、確かに物質的に豊かになったが、従来の貧に対する教育が通用しなくなり豊かに対する教育が追いついていない。加えて、昔のしきたりや概念から解放された社会となり、そのひずみとして少年非行や少年犯罪が深刻化している。小手先の対応ではなく、足下をしっかり見直すべきではないか。地域や家庭は、今や規範に関する自律性を失っている。たとえば、少年法がクローズアップされているが、その根底を成している法律もたくさんある。未成年者の喫煙や飲酒は禁止されているが、社会はある面容認している。自動販売機を撤去するか、あるいは購入手続きを考慮すべきではないか。まず、ここから少年の規範意識は崩されている。

 

○青少年犯罪問題「いじめ」と一言でかたづけるとか犯罪の原因を探る中で、なかなか明確に結論が出ないが、事例研究(精神鑑定)等は、とても参考になるので公にすべきである。

 

○生徒の現状や実態 忍耐力や他人を思いやる尊敬する心とかが、かけているように見受けられる。お互いに、人としてのマナーを守って、気持ちよく社会生活が送れるよう心がけたい。

 

○生徒理解・指導上の問題 保護者としても難しいことが多いが、男子生徒の社会問題が多く目立ちますが、家庭ではなかなか、本音と建て前でうまくいかない事が多い。お互いに生身の人間で・・ことわが子の問題となると空回りする事が多い。

 

○現在は耐久性に乏しく、社会経験の乏しい「わがまま」な生徒が増えている。明るい展望が見られない。

 

○生徒を見ていく視点として、教師は特に短所ばかりに目がいき、それを矯正しようとする。長所を見つけ、それを拡大してやる方が、教育の効果が大きいのではないか。

 

○児童期における長期間の発展途上国海外里親制度等がないかぎり、日本の将来はないと考える。

○地域でも、大人がそこの子どもを育てる機会が少ない。そんな中で、大人の見本である教師の役割は大きい。そんな自覚を教師は持つべきである。

 

○大学入試にパスできる力を持った生徒が、いきなり専門学校にでも行きますなどと言い出すのが理解に苦しむ。大学に魅力を感じなくなっているのだろうか。

 

○定職を持たずにぶらぶらといってもどうにかなるならそれでもいいと思っている生徒も多いようだ。

 

○いやなことを我慢してやるということが、全くできなくなりつつあるようだ。

 

○家庭のしつけは母親中心であり、父親の影響が少ない。

 

○周りに「まじめな子」と見られていた子が犯罪を犯すのは、周囲が「まじめな子」であることを期待して、本人は自分の感情を抑圧してまじめな人物を演じていただけのことだけとおもう。現在は共働きが多く、本当にまじめなのか演技なのか、親が把握できない状況にあるのではないか。

 

○最近の生徒の状況をみて、感じるのは、自分たちの言いたいことを言っているのか、お互い同士また、教師に対して気をつかっているように、思われる。我慢することもよいが、自分の意見をきちんと言えるように教育する事が必要ではないだろうか。我慢していて、たまりにたまったものが、爆発して切れて犯罪につながらないように。

 

○地域・家庭・学校との協力体制を、どう築いていくのか、重要なので知りたい。

 

○近年、家庭の教育力の低下が指摘されている。家庭における善悪に対する躾教育が十分行われなくなっているため、規範意識が子どもたちが増加しているというものである。今日のようにモラルの低下を指摘されている大人社会の現状を考えたとき、家庭において正しい躾教育が行われていない状況が生じることとなり、倫理観や道徳心にかける青少年が増加する結果にもなっている。このことが今日の青少年犯罪多発の一因と考えられる。家庭の教育力を高めるためには、学校教育において、幼稚園や小学校といった児童期から高等学校までの青年期まで道徳教育及び躾教育を徹底させることを教育課題の中心に据えなくてはならない。このことによって将来、健全な社会を構成する事ができる人材を育成し、大人一人一人のモラルを向上させていくことを目指さなければならない。そのためには、教師自身が基本的な倫理観や道徳心を身につけていることが前提となり、教師の資質の向上を図ることが大切なポイントであると考える。結論として、「子どもは大人社会を映す鏡である」という認識で、学校や家庭、地域のそれぞれが責任転嫁せず協力することが必要であり、学校がその推進役としての役割を果たすことが青少年問題の解決の糸口となるのではと考えている。

 

○日本は戦後の経済発展によってこれまでにない豊かさを手に入れた。世の中には物があふれ、大した苦労をしなくても有る程度の物は手に入る時代である。定職に就かなくても何とか生きていける現代日本において「まじめに・・・をする」という感覚は薄れてきていると思う。それが若者の規範意識を低下させルールが守れない自己中心的な人間を作り出す原因ではないかと考える。学校現場においても、こうした生徒の占める割合は次第に増加していると思う。学校が担うべき役割を見直し、本来あるべき姿に戻すことも検討する必要があると思う。

 

○青少年の犯罪は、教育の在り方を大人が真剣に見直す時期であることを示している。「アメリカ」のようにとは言わないが、家庭において父親として母親として子どもの接し方を見つめ直すのがまず一番大切なことだと思う。「命の大切さ」や「素直さ」は教師でなくても教えられる。その基盤の上に、学校における指導(つまり実践を等した社会の指導)が成り立っていくと思う。ともかく、我々大人一人一人が、目の前の子どもとの接し方を面倒くさがらずに考え直すことが大切だと思う。

 

○昔は近所の子どもたちでともに遊ぶという時間も場所もあった。その遊びの中で子どもたちは社会性というものを知らず知らず身につけていった。今の子どもは、自分の部屋を持ち、誰からも干渉されずに、TVゲーム等に打ち込める。そして空想が肥大して、よい方向へ向かえばよいのだが、残念ながらそれに失敗すると、顕著にして犯罪という形で現れる。子どもたち同士でというのがない。今や、野球チームやサッカーチーム、バレーボールチームなどまでにも、大人が干渉していき、子どもにとっては哀れな状態になっている。子どもたちに社会性という物がないのは哀れだ。

 

○最近の生徒は指導してもまず「あやまる」ということがない。怒られることになれていない。越えてはならない一線を直ぐ越えてしまう。(暴力など含めて) 自分の行動がどういう結果を招くかということを考えることができない。

 

○何処までが他人に迷惑をかけるかわかっていない感じがする。迷惑をかけてはいけない事は理解できている。想像力が不足している。教える必要を感じている。(家庭の教育力不足)時々親にも教育が必要だと思うことがある。少子化で子どもが幼い頃から集団で遊ぶことが少なくなっている。個性を伸ばすことと自己中心的な考え行動を同じ事と考えてもそれを間違ったことと考える集団や、親が少ない状況にあるのではないかと思う。

 

○最近の風潮として、自由という言葉がよく使われる。子どもを自由にのびのびと育て個性を発揮させるなどといわれるが、義務責任を果たして初めて自由があるのではないか。家庭で何から何まで親がやる。もしくはほったらかしで金だけ与える。学校で殴られないことをいいことに、また個性の名の下にやりたい放題。自由?を満喫。もっと青少年に責任ある役割、義務を与えるべきだと思う。何の責任もない自由に青少年は行き場を失いつつあるのではないか。

 

○日頃、保護者と接していて子どもの気持ちを損なわないように過敏なまでに気を遣っている様子が最近顕著に見て取れる。また対学校の姿勢も「もっとのびのびとさせてほしい」と体制批判的見解を持つ親も多い。大人社会が、父性を失い、一方で自信を失っていることと、青少年犯罪はつながりがあるのではないか。

 

○今の青少年には、親や大人の暖かい心配りをあまりしてもらっていない。かまってもらっていない。自由にさせられているということがある。これからはただ自由にほったらかしにせず、しっかりとふれ合いせっする事で、生徒の心が徐々に開かれる教育(学校だけでなく地域親等)が必要であると思います。

 

○最近の青少年犯罪の特徴は普段まじめな子が突然「キレる」ことによっておこるものである。しかし実際は、突然ではなく、幼い頃から積み重ねられてきた様々な要因があると思う。その要因の中でも特に家庭教育と地域社会の教育力の低下が大きいと思われます。

 

○最近の子どもは集団での生活や人との助け合いなど他人と協調して行動するのが苦手のようである。友達のようであっても大切な部分は仲間の中でも見せることはせず、表面上のつきあいといった気がする。人の命に対する尊敬がないということは、当然犯罪を犯してもそれが悪い事だという意識がなくなってきている。人生の生きる目標だけでなく、なぜ自分が生まれてきたのか、それがどれほどすばらしいことなのかわかっていないのも一つの要因だと思う。

 

○ちょっと借りるだけ、そこにあったからなどの軽い気持ちで自転車を盗む生徒がいる。しかし彼らの心に「盗んだ」という気持ちはないらしい。ゲーム感覚なのだ。どこから犯罪なのかわかっていない。それだけでなく、ここまでならいいだろうと言う彼らなりのルールがあるのではないか。勿論それは許されないことである。TVゲームが普及してるから等の簡単な原因だけではないが、現実と空想の世界を切り替えるスイッチのようなものが、今の教育には必要だと思う」

 

○親が何でも子どもに買い与え、耐える心や思いやる心を育ててこなかったことのツケだと思います。「よく学び、よく遊べ」が死語になるようではいけないと思います。

 

○昔のよい子どもと比較して、耐性が不足している。つまり我慢することができない子が多くなっている。人間が生活すれば、何らかの我慢するということや強調すること等が出てくるが、そのような経験が乏しいのと、親の指導が以前と大分ちがうのではないか(甘やかし)。また、戦後少し子どもに権利というものを与えすぎたのではないか。教育(家庭教育を含む)には強制も必要であり、幼児の頃から善悪の判断をわからせる教育が必要である、求められていると思う。

 

○指導していく上で、本人と話すと話の理解はしてくれるが、行動が実行できないことが多い。親と話しても、無関心というところが前に比べて多い気がする。もっと本気で子どものことを考えて欲しい気がするのは私だけでしょうか。

 

○社会情勢の変化に伴い、教育のあり方も変えていくべきである。現在その遅れが学級崩壊や青少年犯罪等の問題を引き起こしているのかもしれない。しかしやたらと声高に「青少年犯罪が急増した」「教育に問題が多い」「家庭ののしツケがなされていない」等と騒ぎたてるのも問題である。騒ぎ立てるほど大人に力がないと、子どもにアピールしていることになるからである。もっと毅然とした態度で子どもを厳しく指導していく態度が何よりも重要だと考える。大人に自信があれば子どもはついてくるものだ。

 

○個人主義の傾向が強まり「他人に迷惑をかけなければ何をしてもいいのではないか。」といった風潮が気にかかる。個人主義が悪いといったわけではないが、その背後に人間の行為を内面から律する「罪の意識」が在ることを忘れてはならない。一方いい意味で「世間体」「周囲の目」に気を使いながら、共同体の中での協力関係を重視してきた日本社会も社会の変化の中でその良さを失ってきた。今後益々しっかりした自己の確立が大切になると思う。

 

○校則を見直し、問題行動については厳しく対処する。生徒一人一人の自立心を育てる意味でも教育現場にも規制緩和、自己責任といったような厳しい視点が必要ではないか。また生徒一人一人の生き方を確立するための積極的な指導としては、同和教育に対する取り組み方に在るように思える。

 

○36年前も、少年法について議論が行われている。そしてその中身も現在とほとんど同じである。つまりこの36年間に何も深められてきていない。何故であろうか? その社会背景を問う。

 

○親が親としての愛情をうまく表現できないできているのではないかと思います。1年前に子供を産みましたが、保健婦さんが言われることも育児書に書いてあることも「抱き癖がついてもいいからしっかり抱いてあげてください。」ということでした。あたりまえのこと・・と、思いましたが、最近では意識してやらなければならないことなのでしょう。情緒の安定や、基本的な生活習慣、善悪の判断など、親の行動一つで子どもに大きな影響を与えていると思います。

 

○人間にとってのストレスを罪悪視しすぎる風潮とそれに対応したプログラムの氾濫。

 

○現実的対応と将来を見通した対応に対する考え方の混迷及び系統性の喪失

 

○一つの問題に対して唯一の解答を求める風潮。

 

○単なる親の躾の問題にすぎない。

 

○我慢を教える。

 

以上