教育

12 中教審答申の疑問点(主に家庭教育について)

         (平成15年7月4日初出)

 

 いささか時期遅れではあるが、去る3月20日に提出された中教審の最終答申について、その疑問点を整理しておきたい。

 まず評価できる点としては、

1 感性、自然や環境との関わりの重視

2 公共の精神、道徳心、自立心の涵養

3 日本の伝統・文化の尊重、郷土や国を愛する心と国際社会の一員としての意識の涵養

 

を明確に掲げた点である。

 ただし最後に挙げられている「男女共同参画社会への寄与」という項目が、例によって常軌を逸したジェンダーフリー教育につながる危険を蔵している。

 とくに、家庭教育の問題点に関する認識について、一定の偏りが認められる。

 答申は、家庭教育について「家庭は教育の原点であり、すべての教育の出発点」であるが、「家庭教育の機能の低下が顕在化している」として「家庭の教育力の回復」を唱っている。一般論としては誰も依存はないが、具体的内容には首をかしげざるをえない内容が盛り込まれている。

 以下、問題点を指摘し、「教育基本法改正」のさいには、これらの疑問点が除去されるように要望したい。

 

 第一に、父親の家庭教育へのかかわりが不十分と記すのみで、母親については何も述べていないのは、あまりにも片手落ちと言わざるをえない。父親の関与が不十分なのは、日本特有の長時間労働形態に問題があるからで、同様の条件で働いている母親の関与も同じように不十分になっている。政府・自治体の延長育児・保育所万能政策により、この傾向にはますます拍車がかかっている。政府の少子化対策の弊害に対する認識が不足していることが、この答申の決定的欠陥である。

 家庭教育における父親と母親の役割の相違について明らかにし、教育基本法の条文に、家庭教育における父親と母親の正しい分業のあり方について明記する必要がある。

 

 第二に最終答申は、「子どもに基本的な生活習慣を身に付けさせることや、豊かな情操をはぐくむことなど、家庭の果たすべき役割や責任について新たに規定することが適当である」としながら、他方で「家庭が子どもの教育に第一義的な責任を負っているという観点に十分留意し、最小限の範囲で規定することが適当である」と述べている。

 この二つの文章、すなわち「家庭の役割と責任」について規定すべきだと言いながら、その規定を「最小限にとどめるべき」は、相互に矛盾しかねない。「最小限にとどめるべき」だという理由は、「家庭が子どもの教育に第一義的な責任を負っている」からだと言うが、はっきり言えば「親が責任を負っていることに口出しは無用だ」という意味である。

 そういう「家庭内不干渉」の思想が、家庭内暴力への対策の足をどれほど引っ張ってきたのか、ご存知ないらしい。

 児童虐待はこの十年間で十倍と激増し、育児を完全に放棄している家庭も珍しくない今日、家庭教育の問題を家庭に一任していたのでは、問題は全く解決されない。国は必要な場合にはもっと積極的な姿勢で家庭教育の改善に関われるように、法律や体制を整備していくように定めるべきである。

 

第三に、家庭教育の充実と保育所拡充とは相互に矛盾しているが、両者が矛盾しているという認識がまったく欠けている。真に家庭教育を重んずるのであるならば、家庭保育への支援を中心にすべきである。

 しかるに、最終答申には「教育行政の役割としては、家庭における教育を支援するための諸施策や、国・地方公共団体と企業等が連携・協力して子どもを産み育てやすい社会環境づくりを進めていく」とある。今までの国と地方自治体の政策を見てきたかぎりでは、「子どもを産み育てやすい社会環境づくり」とは、保育所拡充政策により保育サービスの充実を図るということだけを意味している。それでは、育児・保育の外注を一層促進することにしかならず、家庭保育の支援策とは言いえない。

 教育行政は、働く母親だけを支援し、優遇するこれまでのあり方を改め、家庭内育児を中心とした支援策に改めるべきである。

 具体的には、家庭保育をしている母親に補助金を支給するとか、義務教育の中に育児学習を取り入れたり、子どもを授かった夫婦に子育て学習の機会を提供したり、児童を虐待する親に対してはカウンセリングを義務づけることなどにより、真の意味で「家庭における教育を支援するための諸施策」を講ずるべきである。

 

第四に、「男女共同参画学習」を、「ジェンダーフリー学習」にさせてはならない。

 最終答申には、「学校、地域等あらゆる場面を通じて、男女共同参画社会の理念の理解とその実現に向けた学習機会の充実を図る」とある。このような文言を盾に、これまで常軌を逸したジェンダーフリー教育がまかり通ってきた。

 全国の学校や自治体では、男女の性差を否定する誤った「ジェンダーフリー」(性別解消)思想が既に蔓延している現実があり、「男女共同参画学習」は実際には「ジェンダーフリー学習」になる危険性を含んでいる。

 このような現状を考えるならば、本条項は削除するか、あるいは「男女共同参画社会とは、男女がその特性を互いに尊重することを前提にしている」という趣旨の文言を挿入し、誤った「ジェンダーフリー学習」とならないように配慮すべきである。