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11 ジェンダーフリー教育の害毒・大学編

 

 このごろの多くの大学には「女性学」という講座が設けられている。「学」と名がついているが、ほとんどの内容が「学」にみせかけたフェミニズムのアジテーションである。とくにジェンダーフリー思想が宣伝されているが、中でも弊害の大きいのが母性の否定である。

 すでに数年前に、私の教え子の大学生が「母性なんてたかだか百年の歴史しかないんだから」と言ったのには驚かされた。彼女は、母性というものが発生して、たった百年しか経っていないのだと理解していたのである。私は「どこでそんなことを教わったの?」と質問して、「女性学」でそういうことを教えていることを知った。「女性学」では、さらに例のバダンテールの『母性という神話』を推奨し、「母性がなかった時代もあったんだから、母性本能なんてないのだ」と教え続けているのである。

 こういう「学」を教えられ、「母性はしがらみだ」と言われると、簡単に「そうだ」と思ってしまう学生というのは、タイプが決まっている。そういう女子学生は、たいてい版で押したように母性を受けないで育っているのである。やさしい母性を体験したことがない、したがって自分が子どもを育てる場合に「母性が大切だ」と言われることが、なによりも苦痛なのである。

 こういう女性たちは、「母性など必要ない」という理論に飛びつくことになる。

 同じ反応が先日の『産経新聞』の投書欄(平成14年6月5日)に載っていた。「母性の重視は新時代に逆行」(梅本良子 23 和歌山市)である。

 この人が書いていることは、フェミニストが「女性学」や「市民講座」などで教えている公式そのままである。曰く

 「日本が明治時代に新しい国づくりを開始した際、女性が国に役立つ存在であるためには何を求めればよいのかを議論したという。その結果、女性の役割の一部に「母性」が含まれただけにすぎない。つまり、母性とは男性社会に都合よくゆがめられた女性像の一つなのである。」

 これが「女性学」などで版で押したように教えられている「母性はたかだか百年」論の根拠である。つまり「母性」は国家の政策として、男性によって作られ押しつけられたものだという認識である。まるで「母性」という言葉が作られたときに、はじめて母性が発生したと言わんばかりの理解である。また男性が作ったものはすべて悪いというステレオタイプな見方を前提にしている。こういういい加減な理論が「学」と称して大学の中で教えられているのである。

 さらに投書者は、こうも書いている。「母性尊重を再び流布すれば、子供ができないと後ろめたさを感じて高額な不妊治療に躍起になり、産んだら産んだで子供に愛情が持てない、自分は冷淡な母親なのか、と悩める女性が増えるだけで、結局は女性の生き方の幅を狭めるだけになるのではなかろうか。」

 こういう屁理屈が「学」の名で教えられているのである。不妊治療を受ける女性は、なにも子どもを産めないことに「後ろめたさ」を感じるからではない。むしろ母性本能から、素直に子どもをほしいと思うから不妊治療を受ける、という女性の方が多いのではなかろうか。

 また子どもに愛情が感じられない女性が悩むのは、いいことである。「なぜ子どもに愛情が感じられないか」を考え、その対策をこうじようとするのは、子どもにとっては必要なことであり、すばらしいことである。悩むことがすべてよくないと考える方が間違いなのだ。

 母性を感じられない母親に、「母性など持たなくていいよ」と言ってあげるのが、本当にその母親のためになるのであろうか。いや、もっと大切なことだが、その子どものためになるのだろうか。その悩める母親が、母性を持てるようにしてあげる方が、母親の幸せのためばかりでなく、子どもの幸せためにも、よりよい方法ではないだろうか。

 これらの屁理屈は、母性を否定したいという心理を持ったものがひねり出したものにすぎない。その屁理屈を、母性を否定したいという心理を持ったものが、ありがたがっておしいただいているのである。

 こういう理論を信奉したい心理を持っている者がいるのは、いたしかたない。母性を受けないできた人間が、「母性」を「しがらみ」と感じるのも仕方ない。しかし、それが「新時代」であり、「新時代」の産物が無条件に正しいとして、「母性」を重視する者を「時代に逆行する」と非難するとなると問題である。

 最近の母性重視の流れは、軍国主義時代の「産めよふやせよ」というかけ声の中の母性重視とは違い、子どもたちの中に蔓延している母性不足の病弊に対する反省から出てきたものであり、時代に逆行するものどころか、むしろ時代の要請に応えるものと言うことができる。

 この投書者は「ジェンダーフリーの流れに逆らう、時代に逆行した考えだと言わざるを得ない」と結論しているが、そのジェンダーフリーに大きな問題があるとなると、「時代の流れ」なるものを、一度徹底的に検討し直すことが必要になるのではなかろうか。