教育

10 正しい男女平等教育とは、正しい男女区別を基にしたもの

 ──「ジェンダーフリー教育」を考える女子学生との座談会

 

 前稿の「警告・ジェンダーフリー教育の害毒」の中で、男女の区別を否定する平等教育の危険性について述べた。

 では、正しい男女平等教育とは、どのようなものであるべきか。そのあり方をめぐって、女子学生三人と座談会をしてみた。正しい平等教育について考える材料にしていただきたい。

 

林 今日は三人の学生諸君に集まってもらって、自分が受けた教育をふりかえりながら、男女平等教育について話し合ってみたいと思います。

 「なんでも区別するな」という間違った「ジェンダーフリー教育」とは一線を画して、「正しい男女平等教育とはなにか」を考えるために、まず実際に何を学ぶときには男女一緒でいいのか、どういうときに分けるべきなのかを、具体的に挙げてみることから始めてみたいと思います。

 この点について、それぞれ自分の体験から話してみてください。

(学生AとBは高校まで公立の共学、学生Cは中学から女子校)

 

1 一緒でいいもの、分けた方がいいもの

 

学生A 私の場合、家庭科は小学校から高校まで、たいてい何でも一緒にやっていました。調理実習も男女一緒でした。男子もミシンの使い方やボタンつけを習っていました。「出産と育児」も男女一緒でした。

 体育だけはなぜか別々でした。男子は柔道とかサッカー、女子は剣道と体操。どうして男子が柔道で女子が剣道なんですかね(笑)。

学生B 私の場合は、公立の共学でしたが、Aさんと違って中学になったら家庭科も体育も分かれてやるようになりました。家庭科も「技術」と「家庭」に分かれました。女子は離乳食作りとか、パジャマ作りとか、調理実習でした。

 中学になったとき、体育が別々になって、「なんでー ?」と思った記憶があります。男子は柔道とか剣道をやっているのに、女子は体操とかダンスをやらされた。でも私は柔道をやりたかった、ヤワラちゃんに憧れていたから(笑)。男子は武道、女子はダンス、なんて区別はおかしいですよね。

学生C 私は女子校でしたから、実習的なことをたくさん学びました。料理やミシンのかけかた、性教育・妊娠の仕組み、育児と児童心理、マナーや礼法などです。

林 同じ共学でも、担当の先生の考え方によって、男女まったく同じことを教える場合と、別々の内容を教える場合とに、かなりはっきりと分かれているようですね。何が一緒で、何が分かれた方がいいという原則が決まっていないようですね。

 武道などは男女とも習えるようにすべきだね。しかし一緒にやるのは、体力的に見ても無理ではないかな。もっともヤワラちゃんくらいになると、男性を相手に稽古したらしいけど、それは例外だね。

 私は娘が幼稚園のころ、柔道の「受け身」を教えたよ。交通事故にあいそうになったときに、パッと身をひるがえして「受け身」ができれば怪我をしないと思ってね(笑)。親ばかの典型だね。まず畳の上に布団を敷いて基本の型を教えて、それから私が実際に投げて、練習したね。時には娘にも私を投げさせてやったりもして…。でも一度も役に立ったことはないみたいだけど(笑)。

学生A 先生の小学生のころには、家庭科はあったんですか。

林 私が小学校三年のときに戦争に負けた。そうしたら一遍に男女平等教育になった。今よりよほど徹底していたかもしれない。小学校5、6年のときには、家庭科の授業は男女まったく同じ。針を使う練習を男女まったく同じにやらされた。右手の中指に「指ぬき」をはめて、「運針」の練習に雑巾を縫ったね。ボタンつけもやったよ。

学生三人 へえーっ!

林 私は器用だったから、上手にできて、先生に褒められたものだよ。料理も習いたかったけど、当時そんな設備がなかった。そのかわり母親が長期にわたって病気で寝込んだときには、私は長男だったし親父がほとんど家にいなかったので、飯炊きから魚を焼くのまで、たいていのことはしたものだよ。もちろん薪で炊くのだから、火をつけるのがたいへん。火加減もたいへんだったよ。

学生三人 すごーいっ!

学生B 私は男子が日曜大工のようなことをしているのがうらやましくて(笑)。簡単な大工仕事とか電気関係のことなど、女子だって必要ですよね。どうして教えないんでしょう。

学生A 私たちは女子も大工仕事や電気関係のことを習ったんですよ。楽しかった!

学生B うらやましい!

学生C 武道とか大工とか、女子でも習いたい人一杯いますよね。そういうことは男子にも女子にも教えるべきだと思います。でも武道や体育が一緒というのはどうかな。小学校のころは体格は男女であんまり違いはないけど、中学になるとはっきり体力差が出てきますよね。平均的には男子の方が体は大きくなるし、力も強い。男女一緒だと不公平になりますよね。

学生B そうね。でも小学校のときには、女子の方が成長が早いので、女子の方が体力があったりしない? そうすると、それも不公平ということになるのかな(笑)。

 

2 給食の量が男女で違う!

 

学生C 私の県では、男女が体力でも新陳代謝の量でも異なるという前提で教育がなされていました。たとえば、給食のパンの厚さが男女で違うんです。男性用のパンの方が厚いんです。

一同 えーっ!

学生C 当時は当たり前だと思っていたし、女子はそんなに食べないので、誰もへんだとは思っていなかった。でも大学に来て、その話をすると、友達からひどい差別のように言われて、びっくりしました。

学生B でも理由を聞くと、もっともな気がしてきます。体が大きかったり、運動量や代謝量が大きい男子が女子と同じ量の食事だという方が不公平だという考え方も成り立つのですね。男女で区別をする方と、区別をしない方とで、どちらが本当の公平なのか、難しい問題ですね。

林 男女で区別をするのがすべて差別だとか、不公平だという考え方が硬直しているのではないかな。男女の区別は必要だというように、発想を転換する必要がありそうだね。

 

3 「公平」は最も大切な価値基準か

 

学生A 私は区別をすべきでないという強い意志で教育されました。私の家庭科の先生は、男女で区別をしてはいけない、なんでもすべて男女一緒にすべきだという考えの強い先生でした。男女一緒にすることが公平だという考えは問題だと思いますが。

林 男女まったく同じことを一緒に学ばせることが「公平」だという考えがそもそもおかしいのです。

 「公平」ということを、最高の価値基準と考えると、教育は身動きできなくなってしまうのではないかな。男女間の不公平だけではなくて、個人間の不公平もなくさなければならなくなる。すると競争もいけないことになってしまう。運動会の徒競走を廃止せよとか、ゴールの前で待っていて皆で手をつないでゴールせよということになってしまう。しかし競い合うということがないと、人間は努力しないのではないかな。

学生C 私なんか、クラスにライバルがいて、あの人だけには負けたくないと思って頑張ったものですよ。負けるとくやしいけど、その人をどこかで尊敬していましたね。今でも仲良しですよ。

学生B 競争や不公平は、そもそもなくさなければならないものなのでしょうか。人間には不公平はつきものじゃないでしょうか。

林 急に哲学的な難しい話になってきたな(笑)。

学生B 不当な不公平はできるだけなくさなければならない。でも仕方のない不公平というものもあるんじゃないでしょうか?

学生A 仕方のない不公平って?

学生B たとえば、男女の区別は誰がなんと言ったってあるんだし、女性が子どもを産むことは、女性にだけ負担を強いる不公平だという見方もあるでしょ?

学生C でも、子どもを産むのは、女性にとって不利とか嫌なことじゃなくて、幸せなことじゃない?

学生B 嫌であろうが幸せであろうが、それができない男性にとっては不公平でしょ。そのように区別があれば必ず不公平はあるんじゃない。

学生C なるほど、それはそうね。不公平を何が何でもなくそうという発想に問題があるっていうわけね。

林 つまり「仕方のない不公平」と「あってはいけない不公平」を冷静に客観的に区別することが必要になるね。なんでも区別はいけないとか、どんな不公平にも神経質に目くじら立てるという態度だと、なんにもできなくなってしまうんだね。

 不公平をゼロにすると考えるのでなく、生物としてのやむをえない不公平は当然のこととして受け入れることができる精神を養うのも、教育の仕事ではないかな。

 なんでも区別はいけないという発想から出てきたのが、男女混合名簿だね。男女混合名簿をどう思う?

 

4 男女混合名簿は是か非か

 

学生C 小学校のときは混合名簿でもたいして支障がないと思いますが、中学校になって別々の授業があるようになると、かえって不便じゃないでしょうか。身体測定のときも別にすべきよねえ。

学生A 一緒のときは混合名簿、別々のときは別々の名簿、というのじゃ、二重帳簿みたいで不便ですよねえ(笑)。

学生B 二重帳簿で不便というだけならまだいいんじゃないでしょうか? もっとおかしなことになっている場合があるようです。たとえば、男女混合名簿にすると、なんでも一緒にすべきだと理解されて、男女を分けることは罪悪だという意識が生まれてくるのではないでしょうか。

林 なるほど、混合名簿 → なんでも混合、ということになってしまい、本末転倒になってしまうんだね。ときに応じて使うという柔軟な発想でなく、「例外を許さず全てに適用すべし」という一種の原理主義だね。ジェンダーフリー教育を唱えている教師には原理主義的な(教条主義的な)発想の人が多いから、そうなる危険は大きいと言えるね。

学生C 男女を分けることが罪悪だという考えがなければ、小学生の低学年で混合名簿にしておくのは、いいことじゃないでしょうか。その後、どこかで分けるようにする前提で。そのうち分けなければならなくなったとき、「ああ男女は別なんだ」という意識を持たせるきっかけになるから。だから使い方次第ですよね。先生がおっしゃるように教条主義的な教師が使ったのでは、困るけど。

学生A でも一度混合名簿にしたら、それを「死守する」っていうことになるんじゃない?(笑) 途中で別々名簿にすることが可能かどうかね(笑)。いつ分けるかでもめそうですよね。最近は早熟の子が多いですし、それなら最初から別々の方がいいような気もします。

 

5 「くん」づけか「さん」づけか

 

林 ところで、君たちは男の子の同級生を呼ぶときに「くん」と呼んでいた? それとも「さん」?

学生B 私のクラスは「くん」でした。

学生A 私のクラスは男の子に対しても女の子に対しても、「さん」と呼んでいました。先生が「君」と「さん」を区別するのは差別だと言って、全員を「さん」で呼んでいたので、強制されたわけじゃないけど、生徒たちもそれに習って全員に対して「さん」と呼んでいました。

学生C 私の場合、小学校では、みな呼び捨てでした。先生も生徒に対して呼び捨て。

林 女の先生も?

学生C はい。

林 私の娘が小6のときの担任の女の先生も呼び捨てだった。じつに不愉快な感じがしたね。「オレの娘を呼び捨てにするな!」って抗議したかったけれど、家内に止められた。呼び捨てにされると、人格として大切にしてくれていない感じがするんだよね。

学生C 呼び捨ては親しみの現われだとか言っていました。欧米ではみな呼び捨てだからって。

学生B だけど日本は欧米じゃないでしょ。文化が違うのに、どうして欧米の真似をしなければならないの? 

学生C 私を怒らないでよ(笑)。

学生B 欧米は呼び捨てっていうけど、ファーストネームの呼び捨てですよね。それに対して日本はファミリーネームの呼び捨てになる。姓を呼び捨てにするのは、相手を低く見ていることにならないでしょうか。

林 日本にも、男の子同士では親しい者同士が呼び捨てにすることはあったね。しかし先生は生徒を呼び捨てにしてほしくないね。

 私が小5のときに、新卒の女の先生が担任になってね。その先生は師範学校を卒業したての、優しい素敵な先生だった。子どもたちを大切にし、可愛がってくれた。もうクラス全員、その先生を大好きになった。

 そのころは田舎の子どもはみな自分のことを「オレ」と言っていた。女の子も「オレ」。

学生ABC へえー!

林 そうしたら、その先生が一番初めに言ったことは、「オレと言ってはいけません」だった。「男子はボクと言いなさい、女子はワタシと言いなさい」と。そして女子が友達を呼ぶときは「さん」をつけなさい。男子にも「さん」をつけなさい。男子が男子を呼ぶときは「くん」をつけなさい、女子を呼ぶときは「さん」をつけなさい、と。

 その先生は男子を呼ぶときも「何々さん」と呼ぶ。それまでは先生というのは男子を呼ぶときも女子を呼ぶときも呼び捨てだった。

 新鮮だったね。上品な文化の香りという感じだった。大革命だよ。素敵な先生だったから、みんな素直に従ったね。すばらしい先生だと思ったね。その先生に2年間教わったんだけど、教え方も教える内容もほんとにすばらしかった。その後の学力のもとはすべてそのときに植え込まれたと思う。もっとも、オレは「オレ」に戻っちゃったけど。(笑)

 今そんな先生がいるかなあ。

学生B 今は全員「さん」と呼ばせる先生が増えているようです。フェミニストでジェンダーフリー教育に熱心な先生ほど、男女の呼び方を区別するのは悪いことだという意識が強いようですね。

 

6 男女区別は「思い込み」か

 

学生A フェミニストの先生が教条主義っていうのは、ほんと感じますね。私の中学時代の先生の中にも、そういう先生がいましたよ。女らしさを出したり、女言葉を使うと、「女はこう、男はこう、というのは思い込みです! 役割意識で洗脳されてしまっているのです!」とか言って叱られました。

学生B、C ひどーいっ!

学生C それって人権侵害よね。思想の自由に反しているよね。

学生A そうなんだけど、そういう女の先生はこのごろ増えているらしいのよ。

学生B 大問題よね。林先生がいろいろなところで主張なさっているように、男女の区別はもとは生得的なものでしょ。それが「思い込み」だっていう捉え方こそ「思い込み」よね。自分たちこそ非科学的な「思い込み」をしているくせに、よくもまあ人のことを「思い込み」だなんて非難できるものよね。

林 男言葉、女言葉がいけないという感覚は、無意識のうちに日本中に蔓延しているのではないかな。しかし男言葉、女言葉があるということは、男女平等に反することではなくて、洗練された文化がある証拠なんだね。文化というのは、洗練されるほど細分化されるものなんだよ。男言葉と女言葉が分かれて発達していることはすばらしいことなんだ。そういう文化を破壊しているのがフェミニズムですね。

学生B よいことと悪いことの判断が正反対なんですね。間違った「思い込み」をしているのは、フェミニストたちの方ですね。

 

7 まとめ 男女の区別を正しく意識させるのが教育の役割

 

林 そういう間違った「思い込み」が出てくるのは、そもそも男女の区別はあってはいけないという、激しい「思い込み」が基礎にあるからでしょう。しかし小学校から中学校にかけての教育の一つの課題は、男女の区別を正しく意識させていくことにあるのだと思います。

 男女の区別を意識させないようにしようというジェンダーフリー教育は、正反対の間違いを犯していることになります。男女の区別は意識させなければならないのです

 ただし、男女の区別を、どちらかが優位にあるものとしてではなく、対等のものとして意識化させていくことが必要です。そのための研究や研修を教育界はもっともっとしていかなければならないと思います。たとえば、どのような段階を踏んで、男女をだんだん分けていくかとか、いつどの教科で区別をしていくのかといった、男女の違いを理解させていくための方法論が必要だと思います。そういう納得のいく説明がないままに、中学生になるといきなり分けたりするので、分けるのは不当だという感覚が生まれるのです。

 今の教育界は、区別を意識させない方法の研究ばかりしていて、大切な区別するための研究がなされていません。そういうことでは、子どもたちが性同一に関するアイデンティティーを獲得するのに支障が出てきてしまいます。ジェンダーフリー教育の間違いは早急に糺さなければなりません。