心理学が解明する鳩山「マザコン」総理の正体

( 『正論』2009年2月号 )

 

一 鳩山政権の本質は社会主義

 民主党のマニフェストの本質は、スバリ一言で言えば、社会主義であり、悪平等主義である。

 「弱者に優しい」「友愛」だと言えば聞こえはいいが、要するに努力する者もしない者も一律に最低限の生活を保証するという趣旨である。

 例えば農家の戸別所得補償制度。一律に一定の所得を保証する。自助努力をし経営を工夫して黒字を出している農家も、努力しないで赤字を出している農家も、一律に保護される。

 まさに社会主義的発想である。その結果は、誰もが創意工夫して努力する意欲を失い、働く意欲を失う社会である。そうなって破綻してしまったのが社会主義国家のなれの果てであった。

 子育ては社会があるいは国家が面倒をみるものであり、親は子供を保育所に預けて働きなさいという保育所拡充政策も、もともとは社会主義的な発想である。エンゲルスやベーベルの婦人論にあるような、共同の保育所で子を育て、親も共同の食堂で食事をするのが理想なのである。

 民主党がやろうとしている母子加算の復活にしろ、障害者自立支援法の廃止にしろ、後期高齢者医療制度の廃止にせよ、前政権が苦労してやっと実現したものである。それを「弱者に優しい友愛」の精神で、すべてご破算にしてしまうつもりらしい。すべて一律に「弱者」だとして全部優遇していては、若い人たちにばかり負担を強いることになる。「弱者のため」というと聞こえはいいが、人気取りばかりしていては、早晩台所は破綻する。

 障害者自立支援法にしても、後期高齢者医療制度にせよ、自立を支援した上で所得のある人から一割の料金を負担してもらい、一定の医療費を支払ってもらうという制度である。それを一律に「弱者」だとして全部優遇していては、若い人たちにばかり負担を強いることになる。「弱者のため」というと聞こえはいいが、人気取りばかりしていては、早晩台所は破綻する。

 

二 「事業仕分け」という名の人民裁判

 破綻を隠蔽するために発明されたのが「事業仕分け」である。

 この「事業仕分け」の表向きの目的は、「無駄」を省いて予算を縮減することである。社会主義的な政策を実行するためには、国民に等しく分け前を分配しなければならず、大型の予算が必要になる。現に補正予算を独自に組むための概算要求が自民党時代より7兆円も多い95兆円になってしまい、予算要求の中の「無駄」を摘発しなければならなくなった。これが「事業仕分け」を行う表向きの理由とされる。

 選挙中に麻生氏から「バラマキ」を批判されて「財源はどうする」と迫られ、「無駄をなくせばできる」と見栄を切ってきた手前、なんとしても「無駄」を摘発しなければならないのだろう。

 

隠された動機は国力の低下

 「仕分け」とは本来「分類」「類別」することを意味している。予算について「必要」か「無駄」かを「分類」し、「無駄」を断罪しようという仕事である。公開でやると言われると、いかにも公平に「正しく」やると思われがちなところがミソである。

 「仕分け」のためには客観的基準が必要である。例えば郵便物を仕分けるときには、住所による基準がある。しかし「必要」か「不必要」かを「分ける」客観的基準というものは原理上ありえない。ある予算が誰にとってなぜ必要なのか、不要なのかを決めるためには、判断主体の主観の交じった価値判断によらざるをえない。

 一体何を基準にして決めたのかと思って、全体の結果を眺めてみたところ、背後に隠されている動機が見えてきた。仕分け人たちは二つの動機を持っていたようである。第一は自民党の作った予算を否定したいという動機。「こんなに無駄があった」と見せかけたいという動機である。

 第二は日本の国力を落としたいという動機である。科学技術予算も、国防予算も、学力テストの予算も、スポーツ関係の予算も、国力に関わるものは軒並み削られている。

 スーパーコンピューター建設予算がスパッと削られたことですっかり有名になったが、蓮舫議員が「世界一でなければならない理由は何ですか」と質問して、即答で説明できないと、即座に「廃止」または「縮減」と判決されてしまった。

 自衛隊員の増員も蓮舫議員が「すみません、(必要性が)よく分からないのですが」「民間委託ではいけないんですか」と言われて、あまりに常識的なことすぎてとっさに説明できないと、即座に「却下」である。

 私はこれを見て、中国共産党独裁政権下の「公開人民裁判」を思い出した。広場に群衆が集まっている。中央に「被告」が引き据えられる。読み上げられる罪状はたいてい「反革命分子」とか「帝国主義のスパイ」といったものである。求刑は「死刑」。群衆がワーッと拍手し、その場で「銃殺」されてしまう。

 民主党がやった「事業仕分け」も、本質はこれと変わらない。前もってリハーサルの準備会議が行われ、影の指導員がいて、なるべく答えられないような意地悪質問の仕方が伝授される。即答できないで「不要不急」と判定されると、ただちに「銃殺」にされ、葬り去られてしまう。まさに恐怖の人民裁判である。

 こんな発想は「人民独裁」的な感覚から出たものであろう。「人民」はつねに正義である。そして我こそは「人民」を代表する「正義の味方」というわけである。「民主」党という名に騙されてはいけない。旧社会党が幅を利かせている政党なのであり、本質は社会主義的独裁なのだ。

 

インチキ「公開」の目的

 「我こそは人民を代表する正義の味方」であることを強く印象づけるためには、「人民裁判」と同様に、「いかに人民のために頑張っているか」を民衆に見せびらかすことが必要になる。「公開」とはそのための巧妙な仕掛けなのだ。

 民主党が「国民の立場に立って」(鳩山首相談)「無駄」を摘発しているのだと宣伝し、マスコミの前でそれを演出することが真の目的である。予算を作った自民党とそれを弁護する役人が悪玉であり、その中の「無駄」をあぶり出す正義の味方が民主党だという見せかけを作り、見せびらかすのが「公開」の本質なのだ。有り難いことにマスコミがこぞって称賛し、その仕掛けは大成功である。お陰で鳩山内閣の支持率は今だに高いままである。「正義の味方」のイメージがあまりにも強いので、政治資金をめぐる不正な経理処理の問題はかすんでしまった。

 じつに天才的な仕掛けを考え出したものである。鳩山政権で成功したのは唯一この仕掛けだけ。あとはボロボロである。事実上破綻している鳩山政権が倒れないように、「人民裁判」による「正義の味方」イメージの神通力がどこまで持つか。

 そんな詮索はともかくとして、じつはこの仕掛けの中に鳩山政権の危険な本質が見え隠れしているのを我々は見逃してはならない。「国民の立場に立って」やっているのだという鳩山首相の談話に、その秘密が隠されている。「国民(人民)を代表している」とは、恐ろしい言葉である。「国民(人民)」一人ひとりの意見も利害も千差万別、それらをひとまとめにして「代表する」ことはありえない。人民の代表者だと僭称する者は独裁者しかいない。その証拠には、史上革命政権の独裁者は皆「人民の代表者」を名乗った。フランス革命のロベスピエールしかり、ロシア革命のスターリンしかり、中国の毛沢東、北朝鮮の金日成しかり、彼等はすべて「人民」の拍手大喝采を必要とし、それを最大限に利用した。

 それで思い出したが、国会で鳩山氏や閣僚が答弁すると、民主党議員が一斉に大拍手をする。じつは良く聞いていると、鳩山氏の答弁はすべてスリカエ、ゴマカシで質問には答えていないのだが、大拍手されると、すばらしい答弁だったかのような錯覚に襲われるから恐ろしい。昔、ソ連時代の全国人民代表大会の議事録を見ると、スターリン書記長の演説が終わると「長く続く嵐のような拍手」と書かれていた。

 マスコミの拍手に騙されることなく、民主党というのは、本質は共産党独裁と同じ独裁的な感覚をもった危険な政党であることを、もっと我々は認識しなければならない。

 

三 マザコン的特徴のオンパレード

  民主党という政党が独裁的な本質を持っていることが明らかになった。その政党の首領がいかなる心理的特徴を持っているか、心理学を応用して分析してみるのも、今後の政治を理解するのに有益であろう。

 ズバリ最初に結論を言ってしまおう。鳩山氏の人格は完全にマザコンの特徴に一致しており、政治家としては完全に落第である。

 政治家を父親に持つ世襲議員は、父親不在で主に母親に育てられるため、よほどしっかりした定見のある母親でないと、甘やかし、父性のないマザコン男性に育ってしまう。世襲議員が次から次へとひ弱な醜態をさらしている背景にはこうした要因が大きく働いているであろう。

 マザコン人格の特徴は次のようなものである。第一に、「マザー」の権威をかさに着て自分を偉そうに見せたがり、または「マザー」に対して自分が偉くなったと見せたがる。第二に、その裏返しだが、「甘え」の精神を持っていて、「マザー」と目したものにどこまでも甘えようとする。第三に「マザー」に頼って自分独自の判断ができないので、言動が支離滅裂で、あっちにフラフラ、こっちにフラフラと定まらない。第四に、現実を直視し、現実に立ち向かうことができないこと。現実から逃げるために、決断や結論を先送りし、できるだけ引き延ばそうとする。

 鳩山氏の言動がこれらの特徴にいかに当てはまっているかを検証してみよう。

 

「マザー」へのオンブにダッコ

  第一に、直接的に母親からの多額の資金援助を受けてきたし、その贈与税をゴマカスために不正な経理処理をしてきた。不正は自分がしたのではなく秘書がしたと主張している。しかし、十数億円もの巨額な資金を母親から援助してもらったこと自体はいくらなんでも知っていたであろう。母親にオンブにダッコであることに変わりない。

 彼は自分が「恵まれた」生活を送ってきたので金銭に無頓着だと弁解している。無頓着なせいかどうか、確かに鷹揚である。アフガニスタンへの民生支援のために五千憶円を拠出すると表明した。インド洋での石油供給のかわりだそうである。インド洋における国際協力のために必要なのはせいぜい年100億円程度だったらしい。せっかく自民党が苦心して費用を抑え、それでいて国際貢献だと評価を受けていたのに、それを止めてその50倍もの金をポンと出すと宣言してしまった。自分が出すのではなく、母親ならぬ母国日本が出すから平気だというのだろうか。

 もっとひどいのは、炭酸ガスの排出を日本は25%削減すると、国際会議で勝手に宣言してしまった。国民にとっては「藪から棒」である。鳩山氏が外に向かって「いい顔」をするために、誰が負担するのか。負担はまさか「マザー」が出してくれるわけではなく、国民という名の「マザー」が出すことになる。

 まだある。アセアンの各国首脳を前にして、日本の自衛艦に医療チームを載せて、「友愛ボート」と名づけてアジア各国をまわらせると宣言してしまった。自衛艦を自衛以外の目的に勝手に使っていいものだろうか。自衛艦は国防のための武器であり、お舟ではない。そこまできちんと考えないままに、外に向かって大言壮語し、偉そうに見せたかったにすぎないのではないか。これが自衛隊の最高指揮官だと思うと、背筋が寒くなる。

 

「友愛」とは甘えの心理

 第二の特徴。甘えの心理。政治を「友愛」で行おうというのは、政治家としては落第である。

 マックス・ウェーバーは『職業としての政治』の中で「政治家は責任倫理・結果倫理の立場に立ち、ザッハリッヒに(物事に即して)権力を行使しなければならない」という意味のことを述べている。「友愛」などという心情倫理の立場を前面に出すのは職業政治家とは言えない。権力とは「友愛」によって使うものではなく、事態Sacheに即して冷徹に使うべきものである。

 鳩山氏は首相就任にあたって、「もし間違うことがあっても寛大な気持で許していただきたい」と述べた。こんな甘ったれたことを最初から言った政治家は初めてではないか。

 財政赤字の可能性を指摘されると、「今までの政権が悪い」とまたまた他人のせいにした。幼児的甘えとしか言いようがない。

 困るのはアメリカに対する無限の甘えである。普天間基地の移設問題について、仲良くなれば自分の言い分を聞いてもらえると期待しているとしか思えない態度である。そもそも最初の三党合意なるものが、信じられないほどの甘え、甘えすぎである。日米合意を無視して「見直す」ことが可能なのは、アメリカが無限に甘えさせてくれる場合のみである。

 オバマ大統領の訪日にさいして、具体的な話をしないまま、ただ「信頼関係の構築」が大切だという立場を示し、「信頼関係」ができれば、政府間の合意を反古にしても寛大に許してくれると考えていたとしか思えない。

 岡田外相や北沢防衛相がせっかく年内に解決すべきだと発言してレールを敷いたのかと思ったら、鳩山首相が新しい移転先を探すように指示したという驚愕のニュースが報じられた。せっかく日米合意が成立し、沖縄県も静まっていたものを、すべてをご破算にして一からやり直すという意思表示である。

 これでアメリカが怒らないと思っているとしたら、甘えを通り越して人格破綻と言うべきである。沖縄県民の反対も再び一挙にふきだして、これでますます「日米合意どおり」の決着が難しくなった。最初、私は鳩山氏の言動がくるくる変わり、「ゆっくりやればよい」と言うのを聞いて、何か深謀遠慮か秘策でもあって時間稼ぎをしているのか、と疑ってみたくらいである。

 しかし、事ここに及んで、そんな高級な話ではなく、単なる人格破綻であると確信するようになった。もっとも一国の首相としては破綻だが、彼個人としては首尾一貫しているのかもしれない。

 というのは、彼は昔から日米同盟を軽視し、むしろ中国や北朝鮮と仲良くすれば攻撃されないから、アメリカに守ってもらわなくてもいいんだ、というのが本心ではないか。実際、東アジア共同体構想を最も重要視している。甘ったれた「友愛」の精神で政治を考えると、こういう非現実的な考えになってしまうという典型である。だから「政権を安定させるために社民党に譲歩している」のではなく、初めから社民党と同じ穴の狢(むじな)なのである。

 『読売新聞』12月4日付によれば、米政府筋は「これでオバマ大統領との信頼関係を維持できると考えているなら、ハトヤマは相当非常識だ。個人的信頼関係は崩れた」と怒りを隠さなかったという。COP15の会議でオバマ大統領と同席するときに会談をしたいと打診したら、アメリカ政府筋から「社民党が反対しているなどという日本国内の説明をするのなら、時間の無駄だ」と言われたそうである。完全に鳩山氏の性格が見抜かれているのだ。

 

くるくる回る回転木馬

 第三の特徴。自分自身の定見がなく、目の前の圧力に従って、あっちにフラフラ、こっちにフラフラする。相手によって言うことがくるくる変わる。相手をしていると、まともな人間なら、はじめは困惑し、そのうち腹が立ってきて、ついには信頼しなくなる。

 鳩山氏の言動も支離滅裂で、真面目に聞いていると目が回ってしまう。普天間基地の移設問題についての鳩山氏の発言はその典型である。「日米合意は無視できない」と言ったかと思うと「日米合意どおりにするなら議論する必要はない」と言い、その日のうちに「日米合意は重い」と言う始末。

 善意に解釈する人は、いろいろな意見や世論を考慮するからだと言うが、私の見方は違う。この「くるくる回る回転木馬」のような定見のなさは、あっちから圧力が加わるとこっちになびき、こっちから圧力が加わるとあっちになびいているだけのことである。人格の弱さの証拠でしかない。

 いくら「事業仕分け」で削っても予算超過がなくならないのを見ると、「マニフェストといえども聖域ではない」と言い出して、「国民との契約だから断固やる」と言ったのを忘れたかのようである。

 

現実から逃げる「先送り」

 第四の特徴。鳩山政権の現実を直視すれば、いくつもの矛盾が露呈し、すでにニッチもサッチもいかなくなっていることは明かである。補正予算や来年度予算には、それらの矛盾が現れざるをえない。

 不要不急のものが多数含まれているバラマキ・マニフェストを優先するあまり、「必要緊急」のものまで削って物議をかもしている。例えば 地方の生活道路の建設を削るとか、地方の病院への支援を削るなど。地方の声も聞かないで、どこが地方主権かと疑問の声も上がっている。

 公共事業の中止で「無駄」をなくしたというが、それも経済雇用政策としては一定の効果を持ってきた。それらを突然やめて、代わりの景気対策が「子ども手当」や「高校無料化」等で穴埋めできるとはとても思えない。景気はさらに落ち込むのではないか。

 「事業仕分け」で扱った案件は全体の15%にすぎず、七兆円も足りないのに対して、せいぜい一兆五千億程度を縮減できたにすぎない。本当に不要不急のものがそうそうあるわけもなく、結局膨張した赤字予算にならざるをえない。残される手は赤字国債の発行か消費税増税しかない。しかし、両方ともマニフェストで行わないと言っている。バラマキもマニフェスト。どちらをやめても公約違反である。「財源は無駄をなくせば捻出できる」と断言したが、その予想はすでに破綻している。

 民主党は自らの矛盾を少しは自覚しているように見える。その証拠には、「マニフェストも聖域ではない」として「優先順位をつける」と言い出している。つまりは「一部だけやる」とか「試験的にやる」ことを意味している。まさに先送りによるゴマカシである。

 例えば、高速道路の無料化にしろ、農家の戸別所得補償にせよ、最初の年はほんの少しだけ「試しに」やってみると言い出している。「マニフェストは正しい」と胸をはるのなら、最初の年から全面的に実行すればよいではないか。なぜ小出しにして様子を見る必要があるのか。「実験をしてみる」のだそうだが、実験をしてダメなら止めると言うのか。マニフェストとは、実験をしなければ分からないような、きちんと実効性を調べた上でのことではない、そんないい加減な机上の空論だったのか。

 こういう矛盾したことを言わざるをえないのは、つまりは予算が超過してしまうのを、最初の年だけでもゴマカそうとするためである。破綻の先送りにすぎない。

 来年でも再来年でも矛盾が解決しそうにないことが予想できるらしくて、ついに「公約は四年かかってやればよい」と言い出す始末である。「四年たっても公約を実現できなければ責任を取る」と見栄を切ったが、さんざん国民を苦しめて、赤字のツケをまわすことになったら、責任の取りようがなかろう。

 とくに普天間基地の移設は待ったなしである。まさか「四年後」とは言えまい。決断の時は迫っている。どう決断するか、そもそも決断できるのか。むしろ破綻の時が迫っている、と言うべきだろう。

 鳩山氏は自らの不正経理の疑惑について説明を求められると「検察の捜査の結論が出たら説明する」と答えた。検察の捜査など関係なく、今すぐ説明すべきだろうに、どこまでも「先送り」の戦術である。

 要するに鳩山氏の言動を見ていると、まるで甘えの精神をもったマザコン男性の言動の見本市を見ているようだ。日本国民はこんな程度の低い者に権力を委ねてしまったのだろうか。鳩山政権は、国内を混乱させるだけでなく、国際的な信用をなくしてしまった末に、どうにもならなくなって投げ出すことになるような気がしてならない。

 民主党が日本を無茶苦茶にして投げ出したあとに、政権を担っていくのには並々ならぬ力量が必要になる。それだけの力のある政党を日本の保守派は準備できるのだろうか。