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2 夫婦別姓

 

 

(6) 官僚の小手先細工

 

 夫婦別姓を可能にする民法改正について、法務省は戦術を変えることを検討しているという。(『読売新聞』平成14年1月10日、『朝日新聞』1月11日)

 検討というより、アドバルーンを上げて、反応を見ているのだろう。

 官僚特有の小手先細工である。

 新案の要点はこうである。

 自民党内の反対論に配慮して、「夫婦は夫または妻の氏を称する」という民法の条文は堅持しつつ、但し書きで別姓も可能にするという「予備的な案」だそうだ。

 「基本」と「例外」をはっきりさせることで、「別姓の広がりを心配する反対派の理解を得るのが狙い」だという。

 

 「例外」とは言葉のごまかしだ

 

 要するに、今まで「選択」と言っていたのを「例外」と言い換えただけである。「選択」によって別姓を可能にしようという案が、「例外」として認めることによって別姓を可能にするという案に変わっただけで、要するに「したい人ができるようにする」という意味に変わりはない。

 したい人ができるようにして、それを突破口にして、なしくずし的に別姓を広げていこうという腹の内が見え見えである。

 「例外」という表現は、「基本をはっきりさせるため」だと言うのだろう。しかしその「例外」とは、「したい人は誰でもしてよい」というものであり、「例外」でもなんでもなく、単なる「自由放任」でしかない。

 「例外として認める」とは、よほど特別の理由があって、万やむを得ない場合になされることである。夫婦や家族の氏姓を別々にしなければならないほど「万やむを得ない場合」など存在しない。第一、そんな資格審査のようなことは実際には不可能であり、現実には「希望者は誰でもやってよい」となるだろう。そうでなければ趣旨にそぐわないものになってしまう。しかしそうなれば、それは「例外」とは言わない。「例外」という言葉はごまかし言葉である。

 無原則に「例外」を認めるなら、それは「例外」ではなくなり、したがって「基本」と「例外」の区別はなくなり、「わがまま」「好き勝って」を認めることになる。

 

 「選択制」という言葉が悪い ?

 

 「例外」という言葉が出てきた背景には、「選択制」という言葉が「硬い」ので反発があるのだという、馬鹿げた認識があるようだ。

 すなわち森山法務大臣は昨年9月の小泉内閣メールマガジンで、法律専門家が「選択的夫婦別姓」という硬い言葉を使ったために、なんだか恐ろしいもののような誤解が広がったが、別姓にしたい人はすればいいというだけのことで、「たいしたことじゃない」と力説していた。昨年12月の自民党法務部会でも、佐藤部会長は「選択制」という「言葉が悪い」と発言、「例外的に認めるということで意見集約を図りたい」と述べた。

 じつに馬鹿げた認識である。夫婦別姓に反対している人たちは、「選択的」という言葉に反発しているのではない。選択的であろうがなかろうが、家族のあり方に関わるもっと本質的な問題として反対しているのである。問題は「家族単位か、個人単位か」という思想的根本的な問題なのだ。

 「選択」という言葉を「例外」という言葉に変えれば「理解が得られる」などという甘い認識は、問題の本質をまったく理解していないことを示している。

 別姓がよいことだという前提に立って、それを通すためにどういう言葉を使えば有利になるかという戦略戦術的な発想からしか考えられないとは、なさけない。問題は別姓がよいか悪いかという本質的なところにあるのだ。小手先細工ばかり考えないで、本質的な議論をしてほしいものである。

 

 審議会を錦の御旗にさせるな

 

 法務省は、96年の法制審議会で「同姓も別姓も同じ価値」という答申を出しているから、別姓法制化を進めると主張している。

 はっきり言って、審議会などというものは、事実上官僚が委員を選定し、自分たちの欲する結論に持っていくための飾りにすぎない。そんなものは国民が選んだわけでもないし、国民の意思を反映していない。審議会の結論を「錦の御旗」にさせてはならない。

 審議会は高額の委員手当を税金から出して、官僚支配をごまかす道具に使われてきた。それを今フルに使っているのがフェミニストどもである。各地方自治体の「男女共同参画社会審議会」が、山ほど作られ、フェミニストどもが「天下り」よろしく、お手盛りで委員になり、税金の無駄遣いをしている。こんな大規模な税金の無駄遣いは、最近珍しいのではないか。

 審議会の間違った結論など、国民が直接選んだ国会議員の良識で吹っ飛ばしてもらいたい。

 

 『読売新聞』も依然として「賛成が反対を上回った」と宣伝

 

 『読売新聞』は一面のトップで扱い、しかも関連の解説記事まで載せて、その下に「ミニ事典」という解説を載せ、その中で依然として「賛成が反対を上回った」という嘘を書いている。『読売新聞』はいつから法務省の御用新聞になったのか。いつまでフェミニストの御用新聞をやっているつもりか。「中立」とか「良識」というものを捨ててしまったのか。