解説(1) 中国資本主義化のジレンマ ──中国共産党の支配は必ず崩壊する

      (初出 平成17年4月15日)

 中国共産党の支配は必ず崩壊する。なぜなら、彼等は自分たちのしていることの歴史的意味を分かっていないからである。彼等が今やっていることは、マルクスの『資本論』に書いてある「本源的蓄積」なのだが、その自覚がないので、そのコースを最悪のやり方で、つまり最も矛盾が蓄積され爆発する方法で歩んでいるのである。我々は中国共産党の支配は必ず瓦解するという前提で戦略戦術を立てなければならない。

 中国共産党がやっていることは資本主義化である。しかし彼等はそのことを認めることができない。あくまでも社会主義の範囲内のことだと言わなければならない。「社会主義的市場経済」だと強弁している。社会主義から資本主義に「戻る」ことなどありえないと主張している。

 しかし、ロシアにも中国にも、どこにも「社会主義」など存在したことはないのだ。あったのは絶対主義的独裁国家だけである。封建制度の一変形としての絶対王制から、今はじめて資本主義への転換が始まったところなのである。

 資本主義が始まるときに必ずなされなければならないのが、マルクスの言う「本源的蓄積」である。「本源的蓄積」とは、資本と労働という資本主義の二つの要素を同時的に暴力的に作りだすことを言う。

 一方で農民から土地を奪い、農村から追い出して都市に集め、労働者を作りだす。イギリスの「囲い込み」がその典型とされる。毛織物が盛んになって羊毛が高騰したので、地主は土地を囲い込んで農民を追い出し、羊を飼った。農民は都市に流れ労働者にならざるをえなかった。彼らは収奪・搾取され、塗炭の苦しみにあえぐ。失業、低賃金、長時間労働、不健康不衛生な労働条件。彼等の犠牲の上に資本主義が形成されたのである。

 他方で資本を作り出し蓄積すること。西欧諸国の場合は、いわゆる「下からの資本主義化」がなされた。マックス・ウェーバーが古典的名著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の「精神」』で明らかにしたプロセスである。中世末期すでに農奴の身分を脱し、自立した中産的生産者となっていた農民と手工業者たちは、都市の大商人の支配を脱して、独立した「局地的市場」を形成していた(「自由都市」も増えていた)。その中で、プロテスタントは禁欲的に働き、資金を蓄積した。彼等は消費しないで、ただひたすら財貨を蓄積した。その中で、無教会的な「ゼクテ(セクト)」の人々は飛び抜けて高い倫理的性格を持っており、そのために周りの人々はこぞって彼等に金を預けた。彼等は多く銀行家になり、資本家になった。こうして「下からの」資本形成が促進されたのである。

 ところが後発的に資本主義化を進めなければならない後進国の場合は、政府が工場を建て、銀行を作り、それを民間に払い下げるという方法を取らざるをえなかった。日本の三井・三菱・住友といった大財閥はこうして出来上がった。これが「上からの資本主義化」である。

 しかし日本の場合には、「下からの資本主義化」の要素もかなり強く存在した。農業の生産力も高くなっていたし(だからこそ商人が台頭した)、地方の手工業も盛んになり、ベンジャミン・フランクリンに相当するような勤勉と努力・創意工夫の精神を持った二宮尊徳のような人が出て活躍した。日本の資本主義化には、「下から」の力も強く働いていた。国民の民度(教育)も高く、勤労意欲も高かった。だからこそ明治以降の近代化が急速に進行しえたのである。

 「下から」の資本主義化の特徴は、禁欲的で倫理的な性質が濃厚だという点である。西欧の場合には倫理的禁欲的なピューリタンがその担い手になったために、ルールとモラルを重んずるという気風が強かった。しかるに「上から」の資本主義化の性格が強いと、政治による主導・コントロールが強い分、利権や汚職・腐敗が多くなる。韓国や中国などはいまだに「賄賂社会」と言われるゆえんである。

 日本は「上から」と同時に「下から」の性格が存在していたので、後発的に資本主義化したわりには倫理的な高さを保ってきたが、それは武士道の影響とともに、「下から」の倫理的禁欲的な精神性を持っていたためである。だから戦前の資本家たちの中には収益の多くを社会に還元するとして、文化的な事業のために資産を投ずる人も多かった。

 自称「社会主義」から資本主義化する場合はどうであろうか。この場合も国家の財産である工場などを共産党の幹部などの特権階級に払い下げるという形を取る。経済活動はすべて政府の許可が必要であり、官僚が取り仕切っている。手続きが煩瑣であるばかりか、ご多分に漏れず賄賂の横行である。賄賂を出さないと、手続きが進まない。経済を完全に自由化すればいいと思うかもしれないが、官僚化した共産党員の利害がからんでいるので、たとえ賄賂をなくすことに成功しても(ありえないが)、共産党員の官僚をなくさないかぎり、政治による経済の支配はなくならない。これこそ共産党支配の負の部分である。これは共産党が支配しているかぎり、決してなくならない。

 加えて、無慈悲・無制限な労働者搾取がなされる。タテマエは「社会主義」なので、「労働者搾取」などというものは「ありえない」し、農民出身者は「労働者」ではなく「民工」と呼ばれ、したがって労働組合は作らせてもらえない。彼等の権利も利益も守られない。

 加えて、経済発展の見せ掛け(数字)を挙げるためには、「公害」対策は無視される。工業都市や大都市には工場排ガスや車の排気ガスが充満し、国民の健康が害されている。

 本来ならば、つまり国民のための資本主義化ならば、政府が適切な政策を取らなければならない。例えば、近代的な法体系を整え、自由市場が円滑に公平に機能するようにする。労働者の人権と生活権を保証する。あまりに急激な変化を避け、混乱を避ける工夫をする。公害や乱伐による洪水を防ぐ手立てをする、等々である。中国共産党は、これらの政策の一つたりとも、有効に行っていない。野放しの弱肉強食を許している。しかもその競争もフェアな競争でなく、共産党幹部などの特権階級に有利なように、また非道徳的な手段を取る者が有利になる社会となっている。

 これらの悪しき政策はすべて共産党支配を維持するために取られているのである。当然、国民のあいだに不満が高まると、それをそらすために外国を敵として攻撃する。近隣諸国にとって今やもっとも危険な国は中国なのであり、決して日本ではない。(次回に詳述)

 数ある資本主義化の形態の中で、このタイプの資本主義化が最低である。政治は旧態依然とした絶対王制のような独裁と官僚主義であり、経済は悪しき自由主義となり、倫理なき弱肉強食となっている。政治と経済のミスマッチは極限にまで達している。

 要するに、市場さえ自由にすれば「改革・解放」ができると思っているところに、中国共産党指導者の愚かさがある。市場自由化のためには、法制度や政治の仕組みも同時に近代化しなければならない。しかし共産党支配がつづくかぎり、科挙以来の官僚主義と前近代的な仕組みや精神はなくならない(官僚は自分たちの存在意義を守るために煩瑣な手続きを必要としている)。市場だけ近代化するなどということは不可能なのである。彼等は自分たちのやっていることの歴史的意味が分かっていないと言ったゆえんである。

 反日はこうした構造から出てきた「構造的」なものであり、必然的な結果だということを、まず理解しなければならない。すなわち、この構造がなくならないかぎり、反日も(次回で述べるような覇権主義=軍拡も)なくならないのである。こちらがいかに誠心誠意を尽くそうとも、譲歩をしようとも、腰を低くして揉み手をしようが、事態は改善されない。日本としては、毅然として正義を主張し続け、共産党独裁の悪があばかれ、中国国民が覚醒し、真の近代化と民主政治を獲得するのを見守り、助ける以外に手はないのである。

 これだけ愚かで無能な政権は必ず瓦解する(万一瓦解しないなら、中国は間違いなく大国どころか三流、四流の混沌とした国に転落する)。今は我慢の時である。間違っても決してつまらぬ譲歩や妥協をしてはならない。不当ないいがかりに対しては、とことんつっぱねていなければならない。そして言うべきことは条理を尽くして、声を大にして言いつづけなければならない。中国といえども国際社会の中で孤立することは恐れているのであるから、日本は国際社会を味方につけながら正論を主張し、中国の横暴に立ち向かうべきである。

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