C・G・ユング研究

5 『ラピス』(日本ユング研究会「通信」) 掲載論集

 

 2 修道士クラウスの生涯と幻視

              (『ラピス』2号、1998.12)

 ユングの元型論の最も包括的な論文「集合的無意識の諸元型について」は、拙訳の『元型論』[増補改訂版]の第二論文として収録されているが、この中に旧版の訳ではどうしても理解できない部分があった。それはスイスの「フリューエのニクラウス」に関する部分である。

 この部分はユングが元型の特徴について基本的な説明をした直後に、「私が言わんとすることは、スイスの神秘家にして隠者、最近聖徒に列せられた修道士フリューエのニクラウスの例によって、最もよく示すことができる」という書き出しではじまっている。

 この部分の論旨はこうである。

ニクラウスは恐ろしい幻像を見たが、それは神の元型的な像であった。その幻像は「怒りと脅しに満ちていた」ので、それを見たクラウスは恐怖のあまり倒れたほどであり、彼の持ち前の表情が一変してしまったほどである。彼はそれを絵に描いた(または描かせた)が、その絵とは今ザクゼルンの教会に飾られている「三位一体の絵」である。その絵は輪のイメージと関係があるが、キリスト教の正統の教義に合わせた事後的な解釈によって、もとのイメージとは違うものになっている。

 こういう趣旨のことが書かれているが、肝心のザクゼルンの教会に飾られている「三位一体の絵」というのが具体的にどんなものか分からなかったので、ここの箇所がもう一つ理解できなかった。

 幸い、この増補改訂版を完成する直前に、その絵が手に入り、ようやくこの箇所が理解できるようになった。その絵というのが、「口絵2」として収録した「修道士クラウスが描いたマンダラ」である。また彼が人に見せていたという「輪の絵」はp.37の図1として収録してある。

 これらの絵を見ながら本文を読むと、この箇所の意味が明瞭に理解できる。とくにキリスト教の正統の教義による改変が、どのようなものかよく分かる。

 以下、ニクラウスの一生をやや詳しく紹介し、ついでこの「三位一体の絵」を検討してみたい。元型論を理解する一助にしていただきたい。

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 ニクラウスは一四一七年にスイスのルツェルンの東の山深いザクゼルンの地に、豊かな農民の子として生まれた。

 少年時代も、またドロテーと結婚してからも、男子五人、女子五人の子をもうけ、静かに幸せに暮らしていた。ただ特筆すべきことは、少年時代に、教会に描かれた聖書のエピソードの絵に深く心を動かされたということである。

 ところがスイスの中で戦争が多くなり、人々の心がすさんできて、そのことで彼は深く心を悩ませていた。彼はすでに市参事会会員・判事・議会大使を歴任する名望家であり、なんとか紛争を調停して争いをなくそうとしたが、うまくいかず、とうとう金銭や物欲に動かされている人々に対する抗議の意味で、すべての公務から退いてしまった。

 そんなある日、野原に出て家畜を眺め、地面に横になって祈っていたときに、不思議な幻像を見た。

 「突然、彼の口から、白百合がかぐわしい香とともに天に向かって伸びていった。そこへ家畜の群れがやってきた。彼が美しい馬に向かって頭をたれると、百合は馬の方にたれていって、馬に食われてしまった。」

 この幻視を、彼は「すべての財産やこの世の幸せを捨てて、神に仕える生涯をおくれ」という意味だと解釈したらしい。具体的にはそれは家族も財産も捨てて、山奥に籠もるということを意味していた。

 彼の決心を聞いた妻のドロテーは当然反対した。二人の角逐は二年間も続いた。そしてついにドロテーは「うん」と言った。

 彼は家族と別れて山中をさまよったすえ、倒れているところを救われた。村人たちが山小屋を建ててくれ、そのうち礼拝堂まで建ててくれた。

 山小屋のあったランフトの谷は、村からそんなに離れていない場所にあり、しかも彼は完全に孤立していたのではなく、彼を慕って多くの訪問者があり、彼は一人になりたくてしばしば森の奥に避難したほどだという。訪問者は遠くオーストリア、ミラノ、ヴェネチアからもあった。

 訪問者の一人の報告によると、噂では「体温がなく、手は氷のように冷たく、死人より青い顔をして陰気だ」と聞かされていたが、実際に会ってみると、温かい手をしていて、スリムでハンサム、教養があって、美しい声できれいなドイツ語を話し、やさしく親切だった。

 彼は一九年間もランフトの谷に隠棲していたが、その後、村はずれに居を移して、人々の相談にのっていた。一四八一年には、スイス全州の調停に成功し、スイス連邦を成立させた。

 まさに波瀾万丈、極端な内向と外向の繰り返しによる、劇的な人生と言うことができよう。

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 さて、テキストに出てくる、彼が見た「神の怒りの顔」をもとに描いたという、いわゆる「三位一体の絵」を見てみよう。これを見たとたんに、仏教のマンダラが思い起こされるほどに、構図が似ていることが分かる。それに加えて、この絵は瞑想のためのものだと聞かされると、あまりの類似に驚かされる。ユングを勉強していれば、そんな類似は当然あるはずだと知っていても、やはりこの酷似は感動的である。

 それはともかく、この構図の意味を紹介しよう。真ん中に神の顔がある。まわりの六個の円の中には、聖書の中の重要な話が描かれている。

 一番上が「イエスの逮捕」、その左が「神による創造」、その下が「イエスの誕生」、一番下が「受胎告知」、その右が「聖体拝受」(ミサ)、その上が「イエスの礫刑」である。

 ユングが車輪の輻(や)と呼んだものは、じつは放射線のようなもので、六本のうち、三本は神の顔から外の絵へ放射され、他の三本は外の絵から神の顔に向かって放射されている。

 この放射線は、神から人間へ、人間から神への働きかけを表わしている。神から出ている三本の放射線は、神の三つの位格を表わしており、天と地上全体を包み込んでいる。このためにこの幻視は「三位一体の幻視」と名づけられた。

 この絵がユングのキリスト教解釈と驚くほどの一致を示しているところは、この絵の中に「神の人間化」と「人間の神化」が示されている点である。

 すなわち一番上の「イエスの逮捕」、その右の「礫刑」、その下の「聖体拝受」はすべて「人間が神になる」ことを示している。

 それに対して「神による世界の創造」「受胎告知」「イエスの誕生」は、「神が人間になる」ことを示している。

 六つを合わせると「神が人間になる」ことと「人間が神になる」こととの結合であり、要するに神と人間の結合を表現しているのである。

 ユングが艱難辛苦の末に到達したこの境地に、一五世紀のクラウスがすでに到達していたのだ。ユングが「彼は私に人間的に似ている。彼は私のクラウスなのだ」と書いているのも、むべなるかな。

 ただしユングの『元型論』でも論文「修道士クラウス」でも、そこまでの指摘はない。この絵がすごい意味を持っていることに、まだ一九三三年ころのユングは気づいていなかったのであろう。

 この絵の深い意味に気づくためには、ユングも一九三○年代にいくつかのキリスト教論を書き、そして最後に『ヨブヘの答え』を書かなければならなかった。

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 なお最後に、論文「修道士クラウス」の最後にあるクラウスの「泉の幻視」や「熊の皮膚をまとった人」の幻視の内容を紹介しておく。

 「泉の幻視」=「クラウスが幕屋の中の台所にいると、階段の上から泉の水が流れ落ちてきた。それはワインと油と蜜から成っていた。その流れは稲妻のように速く、轟音をとどろかせた。」

 「熊の皮膚をまとった人」=「クラウスを訪ねてきた神的な人間は、金色に輝く立派な熊の毛皮を着ていた。」

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 さて、この絵が手に入ったのが、訳が完成する直前だったために、この部分の訳を完全に直すことができなかった。そのために、なお不完全な部分が残ってしまった。ここに訂正個所を示すので、すでに購入した人は訂正していただきたい。

p.34 の訳註[19]を削除する。(以下、番号をおくる)

p.35 最初の3行を次のように直す。

この幻像を『ヨハネ黙示録』第一章一三節以下の幻像、つまり無気味で異常な独特の黙示録的キリスト像と同じ性質のものと見るのはまったく正当である。ちなみに、七本の角と七つの眼をもった怪物のような小羊(『黙示録』第五章六説以下)のほうが、もっと無気味で異常である。この[ニクラウスの]像と福音書のキリストとの関係

パラグラフ16の[ニクラウスの]、[黙示録の]をすべて削除する

p.35 終わりから3行目「閉じた円」を「保護する円」に直す

p.37 図1の説明の中の「見た」を「描いた」と直す