C・G・ユング研究

4 河合隼雄氏のシンボル解釈への疑問

 

はじめに

 ユング心理学を応用して心理治療を行う場合にせよ、あるいは芸術や文学を解釈する場合にせよ、シンボルをいかに解釈するかという問題を避けて通ることはできない。ユング心理学にとってシンボル解釈の方法はきわめて大切な中心的な問題と言える。しかるにユング派のほとんどの人たちが間違った方法でシンボル解釈をしているのである。その理由は、日本で最も権威のある河合隼雄氏が悪いお手本を示しているからである。その意味では、河合隼雄氏の間違いは罪が重いと言わざるをえない。

 河合隼雄氏の方法論的な誤りを正さないと、日本のユング派のシンボル解釈はいつまでたっても間違ったままである。以下、河合隼雄氏の解釈の具体例を示しながら、その問題点を明らかにしておきたい。ここに取り上げる河合隼雄氏の著作は各種の賞をもらうなど、社会的に高い評価を得ており、その影響力は大きい。したがってそこに含まれている方法論的な間違いも、広く流布され影響を与えている。その悪影響を少しでも断つために、以下の批判を発表するものである。

 河合隼雄氏のシンボル解釈のどこが間違っているかというと、それが無意識としてのシンボルを解釈する方法ではなく、シンボルを意識的なものと前提して解釈しているところである。

 さらに河合氏の解釈は、言葉のすりかえや言い換えを多用して、前もって持っている自分の解釈を強引に押しつける、不当なものである。

 河合氏の解釈方法がいかに間違っているかを、河合氏の解釈の実際例から明らかにする前に、シンボルの解釈とはどういうことかという原理的な問題について、一で簡単に述べておく。

(一は『ユング研究』6号の拙稿「シンボルを解釈するとはどういうことか」および『ユング思想の真髄』(朝日新聞社)の第5章の4「シンボルを解釈する方法」の要約)

(二以下は『ユング研究』10号に発表されたもの)

 

一 シンボル解釈の方法論的間違い

 シンボルとは、それを作った人や使っている人たちが、その深い意味を意識しないで使っているものである。つまりシンボルは人々が意識的に意味を与えているのとは違った隠れた意味を持っている。本来それをつきとめるのがシンボル解釈の仕事のはずである。

 しかるに圧倒的な数のユング派の人々は、シンボル解釈というと、たいていはそのものの意識的な意味から解釈する。

 たとえば、秋山さと子氏は、キリンの意味をこう解釈する。「キリンは臆病だが、首が長く、視野が広い。直感的なカンの鋭さ、見通しのよさ、逃げ足の速さ、敏感でデリケートなものを表わしている。」

 また箱庭療法で名高いカルフ女史の例。「インディアンは自然により近い存在ですから、インディアンは自然の助けを示している。」「亀は、ひっくりかえると、自分だけでは立ち上がれず、助けが必要になります。この子はここで、その助けが必要なことを治療者に示しています。」「パンダは白と黒という両極の合体したものです。それは動物的なレベル、すなわち本能的なレベルにおける対立の結合です。」

 ここでシンボルとしてのキリン、インディアン、パンダの意味として述べられていることは、すべて誰でも知っている意識化された意味であるにすぎない。これでシンボルの意味が分かるというのなら、シンボル解釈とはじつに簡単なことである。

 しかしユングの定義によれば、シンボルというものは、意識されない意味を持っているという点で、単なる「記号」から区別されている。したがってシンボル解釈とは、その意識化されない意味を突き止めるものでなければならない。しかるに、これまでユング派の中で行われてきた解釈法は、秋山氏やカルフ氏に限らず、大部分の人はこうした意識的な意味から解釈を行なってきた。河合隼雄氏もまた同様である。

 では、ユングが提唱したシンボル解釈の方法とはどういうものであろうか。それは「増幅法」と呼ばれている。「増幅法」とは、すでに知られているシンボルの意味と比較しながら、そのシンボルの意味をふくらませて理解していく方法である。

 ユングが模範を示したのが、錬金術による増幅である。彼は患者の夢などに表われるシンボルを、錬金術のシンボルと比較しながら、その隠された意味を探り出していった。

 その際、大切なことは、そのシンボルを自分の心の中で体験していることとも比較することである。結局「増幅法」とは、対象のシンボル(患者の夢など)と自分の内的体験、および錬金術や神話や宗教などのよく知られたシンボル、の三者を付き合わせて、その隠れた意味を探る作業である。

 その場合、もう一つ大切なことがある。それは対象とするシンボルを、そのシンボルを作り出した人の人生の全体と関係させることである。その人の生育歴や経験したことや考え方、彼が見た夢などの他のシンボルなどを関連させ、つなぎ合わせて、全体として理解することが必要になる。

 このような複雑な作業をへて、シンボルの解釈は可能になる。一つのシンボルだけを見て、「このシンボルの意味はこれこれである」とご託宣を与える人は、インチキか詐欺師と言っても過言ではない。くわしくは、とくに前掲の『ユング思想の真髄』を参照されたい。

 以上の原理をもとにして、以下、河合隼雄氏のシンボル解釈がいかに間違っているかを明らかにする。取り上げるのは、「シンボル解釈による日本人論」として河合氏の代表作とみなされる、『昔話と日本人の心』(岩波書店)、『中空構造日本の深層』(中央公論社)、『明恵 夢を生きる』(京都松柏社)である。これらの中のシンボル解釈がいかにすりかえとごまかしに満ちているかを以下明らかにしていきたい。 

 

二 方法論なき御都合主義

   ── 『昔話と日本人の心』

 私が河合隼雄氏に対して大きな疑問を持ったのは『昔話と日本人の心』が最初であった。思えばすでに18年も前のことになる。10年ひと昔と言うなら、ふた昔も前のことになり、この書の出版自体が昔話に属するようになった今になって、なにを事新しくこの書について論じなければならないのかと言えば、この書が河合隼雄氏の方法論的御都合主義の最初の記念碑的書物だからである。

 ユング心理学が方法論を壊すものであり、したがって方法論に則っていないのは当然だという誤解がかなり行き渡っているが、それは大きな間違いである。たしかにユングは特殊西洋的な旧方法論を批判したが、しかし方法論一般を否定したのではなく、むしろ方法論をきわめて重視したことを、私はこれまでつねに指摘しつづけてきた。しかるに河合隼雄は一貫して方法論を無視するか、あるいは方法論を出鱈目に御都合主義的に使ってきた。もっとも方法論が出鱈目であると言っても、古いアカデミーの世界が考えるような方法論から見て出鱈目だと言うのではない。

 たとえば『昔話と日本人の心』が方法論的に問題があるという指摘は、じつはこの書が出版された一カ月後に早くもなされている。『週刊文春』の書評欄で筆者は、「自分の思いつきを正当化するために材料を歪曲して使うことは、現代日本の文化人の特技となっている。河合隼雄『昔話と日本人の心』もこの類に属するといえるだろう。」すなわち河合の説は「材料に使った昔話が、日本人の間から生まれたという前提があってはじめて成り立つ」が、その話の多くは外国から伝播してきたものであるから、河合の説の土台そのものが「あやふや」だと批判している(1)。こ ういう批判そのものが、ユングの批判した古い間違った方法論に従っているのだから、話がややこしくなってくるのである。

 昔話や神話が日本に土着のものではなく、伝播したものだというだけで、それが「日本的」ではないとは言えないのである。伝播したものでも、それが日本人に広くかつ長いあいだにわたって愛好されてきたという事実があるなら、それは日本人の心性にマッチしたものだからであり、その話素は日本的なものだと言うことができるのである。伝播しても、その国民性に合わないものは消えていく運命にあるはずなのに、それが国民の間に定着したということ自体が、その話素が日本人の心に合っていたという証拠なのである。この筆者は、河合氏の「話の伝播を無視する姿勢は徹底している」と批判しているが、昔話の背後の心理を問題とするかぎり、伝播したかどうかを無視するのが正しい方法論なのである。

 河合隼雄氏の方法論の問題性はそんな所にあるのではない。もっと重大な所にあるのである。それは昔話とはいったい何なのかという問題に関わる。昔話とは、ユング心理学から見て、何を表わしているのか。この問題について河合氏は事実上ユング心理学のテーゼとは正反対の説を出しておきながら、なぜそういうことが言えるのか、完全に黙して語らない。

 ユング心理学の前提には、昔話は人間の無意識の心を表わすというテーゼがある。もちろん純粋に無意識のみを表わすのではなく、そのときどきの意識の在り方をも含んではいるが、基本的には無意識を表わしているというのがユング心理学の本来の見方である。しかし河合氏は、日本の昔話に出てくる女性像が日本人の自我を表わしていると主張する。これはたしかにユニークな新説ではあるが、それを主張するためには、次のようないろいろな方面からの厳密な方法論的吟味を行なう必要があろう。

 まず第一に、対象とする昔話がいつの時代に多く愛好されていたものかを確定しなければならない。つまり河合氏の言う「日本人の自我」はいつの時代の日本人のものかを明らかにしなければならない。しかし、この書をいくら読んでみても、いつの時代のことかはまったく書かれていないどころか、河合氏はつねに今の日本人のこととして論じている。昔話が昔の日本人に愛好されたと前提すれば、そこに出てくる女性像がそのころの日本人の自我を表わしていると言っても、その正誤は別として命題としては成り立つ。しかし今の日本人にどれほど愛好されているのかが分からなければ、今の日本人の自我を表わすとは言えないだろう。ましてや日本人一般の自我を表わすとはとうてい言えないはずである。

 第二に、昔話が愛好された時代の意識と無意識の関係が、その昔話にどう反映されているかという問題を明らかにしなければならない。当該のイメージ(たとえば女性像)がいったい自我意識を表わすのか無意識を表わすのかは、その問題が明らかにならないと、判断することはできないであろう。

 第三に、昔話に出てくるイメージの中には、無意識ではなく、自我を表わすイメージがありうる、ということを証明しなければならない。さらに、あるイメージがいったい無意識を表わすのか自我意識を表わすのか、どのようにして判断するのかという方法論を示す必要がある。

 第四に、女性像が男性にとって持っている意味と、女性にとって持っている意味とは違いうるし、同じ場合もありうる。この問題を論ずることなしに、女性像が日本人一般(男女両方にとって)の自我を表わしているとは言い切れまい。

 これらの手続きを経た上で初めて、昔話の中の女性像が日本人の自我を表わすと主張することができるのである。しかしこういう手続きを河合氏は一切取っていない。いきなり「日本人の自我は女性像で表わされる、それは日本人の自我が区別に基づく西洋的な自我とは違って、境界を曖昧にする性質を持っている、つまり無意識と近い関係にあるからである」という意味の主張が、ほとんど何の論証もなしに提出されている。なぜ日本人の自我が、単なる女性像ではなくて、ことさらに「昔話の中の」女性像で表わされるのか、何も論じられていない。昔話の中の像は無意識の像のはずなのに、日本人の場合にのみ、なぜ意識の像になるのか。日本人だけが特別だからとしたら、どう特別だと言うのであろうか。

 それについて唯一説明らしきことが述べられているのは、日本人の意識が「女性の意識」ないしは「母権的意識」だということのみである。「父性原理優位の西洋において、男性像が(男女を問わず)自我を示すものとなるように、母性優位のわが国においては、女性像が自我を示すものとなるのではないか」(2)と言われているところを見ると 、母性優位の社会では、自我が女性像で表わされるということになるようである。

 しかしなぜ「女性の意識」が昔話の中に現われるのか、依然としてよく分からない。「女性の意識が無意識と密接なかかわりを持つことは、母権的意識と同様である」(3) と言われており、また「女性の意識はそのような分類を拒否するものなのである」(4)とも言われているところを見 ると、「女性の意識」または「母権的意識」においては意識と無意識の境界が曖昧だし、あまり区別ということをしないで、どちらにも行ったり来たりする、だから無意識の中に現われても不思議ではないとでも言いたいのであろうか。

 母権的意識と言われているものは、本当に意識と無意識の間が曖昧で、すぐに無意識に戻ってしまうような意識なのであろうか。たしかにノイマンはそのような趣旨のことを言っている。そしてその説にしたがって河合氏は母権的意識を定義し、日本人の意識は母権的意識だから二分法には立っていないのだと結論している。この点に関するかぎり河合はノイマン説にしたがっているようである。

 なるほど河合氏は別の点ではノイマンの「母権的意識」説を批判している。すなわち河合氏はノイマンの「母権的意識」とは西洋流の父権的な意識から母権的意識を一段低いものと見たものだと批判している。しかし「母権的意識」が無意識に近いものだということは肯定しているようである。この見方は二重の意味で間違っている。というのは、第一にノイマンは「母権的意識」を「父権的意識」に対して、価値的にもまた発達段階的にも低いものだとは決して言っていないからである。むしろ逆に「母権的意識」の価値をきわめて高く評価しているのであり、意識としても弱い意識だなどとも言っていない。しかも第二に、ノイマンは「母権的意識」を無意識に近い意識だと理解していたが、それは間違った認識であり、そのノイマンの間違いを河合氏は無批判に踏襲しているからである。

 じつは母権的意識は決して曖昧な意識や弱い意識などではないのである。それは意識であるかぎり明確な価値体系を持ち、その価値観による上下の区別をし、一定の秩序を維持する文化体系なのである。ノイマンの母権的意識説はバッハオーフェンの『母権論』を基にしているので、バッハオーフェンが「母権的意識」をどう捉えていたかを見てみよう。

 バッハオーフェンによれば、母権制は、「自由な性交渉[乱婚制]」の中で女性が「おとしめられ」「死ぬほどに酷使され」ていたのに対して、「秩序ある状態とより純化された文化」とを求めた結果生まれたものである(5)。そ れは「生活形態の厳格な規律」と「婚姻における貞潔」を特徴としていた(6)。それは母と子のあいだの愛情を基礎 にして、「一切の徳を発達させ」「愛と協調と平和の原理」を生み出した(7)、「敬虔」と「神霊への畏敬」と「節 度」と「秩序」の時代であった(8)。そこではまた右に対 する左の優位、太陽に対する月の優位、光に対する闇の優位が、母性の優位と結びついていた(9)。

 要するにバッハオーフェンの言う母権制の「デメテル的原理」は、父権制の意識とは正反対の性質を持っているとはいえ、弱い意識などではなく、明確な性質を持った確固とした意識なのである。彼が母権制を「自由な性交渉から父権制への中間段階」と規定したのは、歴史的な段階としての認識を示したのみであり、決して意識の強さの程度の差として捉えていたわけではない。本来の母権的意識はそれなりに明確で強いものなのである。

 しかるにノイマンは、母権的意識を「無意識と女性的なものが支配的で、意識と男性的なものがいまだ自立と独自性を持つにいたらない心の状態」と定義した。月と闇と女性とハートの心理という言葉が、彼の思考を決定したのであろう。それは父権的な意識から見ると無意識の心理と見えるのである。ノイマンは父権的な意識の眼で、母権的意識を無意識が支配する、ないしは無意識と親近関係にある意識だと早合点したのである。それはバッハオーフェンの趣旨とはまったく異なる理解の仕方であった。

 要するにノイマンの母権的意識論は、母権的意識が明確な価値体系だということを述べている部分と、意識と無意識との境界が曖昧だということを述べている部分とが混在しており、我々は両者を分けて見るべきなのである。前者はバッハオーフェンに則っている部分であり、後者はノイマンが勝手に付け加えた部分である。バッハオーフェンは決して母権的意識を曖昧だとか、弱い意識だとは捉えていなかった。むしろ明確な価値体系として理解していたのである。弱かったのは社会的な力学ないし権力構造としてであり、だから父権制に負けてしまったのだが、意識としては決して弱いものではなかったし、まして無意識が支配している状態などではなかった。それを意識として不十分な強さしか持っていないと理解したのはノイマンの誤解である。その誤解をそのまま受けついだのが河合隼雄氏の「日本人の意識=母権的意識=女性の意識」論なのだ。

 つまり河合氏の言う「女性の意識」といえども、それが意識であるかぎりは、無意識から区別されるからこそ意識なのであり、また意識であるかぎりはある程度明確な価値観による区別や序列づけを設定せざるをえないはずであり、簡単に「区別をしない」などと言えないはずではなかろうか。それとも今までのユング心理学の「意識」と「無意識」の定義を真っ向から否定して、別の定義を立てるというのであるならば、それを明確に示してもらわないと困るのである。

 こういうあやふやな「日本人の意識=女性の意識」理論によって解釈すると、いかに恣意的な歪曲に陥るかを示しているのが「第一章 見るなの座敷」である。話の最後で、夫に見られた女房じつは鴬が飛び去っていくことになっている。原文では「その女は一羽の鴬となってとんで行きました」とある。それを河合氏は「消え去ってゆく」と勝手に言い換えるのである。「とんで行った」を「消え去った」と言い換え、さらに「消え去った」を「消え失せた」と言い換えて、それを根拠に「何ごとも起こらなかった」「無が起こった」ことにしてしまい、「無の直接体験」として主体と客体を区別のない「円のなかに包摂して」しまう(10)。これが言い換えによる河合流歪曲の極意である。

 なるほど「気がついてみると立派な館はなく、ただの萱の野原にぼんやりと立っていた」、つまり元に戻ったという意味で河合は「何ごとも起こらなかった」と言うのであるが、しかし女が恨み言を言って飛び去ったことは男の意識の中に(あるいはは無意識の中に)残ったはずであり、決して何ごとも起こらなかったとは言えないであろう。

 初めに「弱い意識」「すぐに無意識の中に戻ってしまう意識」という前提があり、それに合わせて言葉を言い換えていき、最後に「無が起こった」ことにする。最初のシーンと最後のシーンは不変であって、何事も起こらなかったことにされる。そして結論として「うぐいすの里」の話は「根源的な無に対する民衆の与えたひとつの解釈なのである」とされる。これが河合隼雄氏得意の恣意的な解釈の典型である。

 女は決して「消え失せた」のではなく、子を殺された「うらみ」を残して「去った」のである。決して無に帰したのでもなければ、何事も起こらなかったのでもない。「うらみ」を残して「去る」というのはきわめて積極的な行為であり、それは決して「消える」という言葉から印象づけられるような消極的な行為ではない。女の行動は無への行動というよりは、積極的な抗議行動としても解釈できるものである。この行動を母権的意識から出たものと解釈するにしても、母権的意識をバッハオーフェンの意味で正しく理解するなら、次のようにも解釈することができる。

 女性が男性に部屋を「見るな」と言うのは、そこが子を産み、慈しみ、育てるという母権的原理の聖域だからである。それを見ることは、その原理を踏みにじるものであり、デメテル的原理を犯すものであって、母権的意識から見れば許しがたい犯罪なのである。だからこそ彼女は「うらみ」の言葉を発して飛び去るのだ。それは母権的デメテル的原理を守ろうとする積極的な意思表示である。このような母権的行動がおとぎ話として語られていたのは、社会が父権的に意識によって支配され、母権的意識が蔑視されていたためである。

 このように解釈するのが、自然で素直な解釈というものであろう。この理解の仕方は単純で明快であり、フロイトばりのいろいろな操作や言い換えを必要としていない。鴬=女性の行動をそのまま受け取ればいいのであり、「無に帰った」のだと無理矢理解釈する必要はまったくないのである。それは母権的意識が意識としては弱いものだから、すぐに無意識に帰るのだという見方を正当化せんがための歪曲的解釈にすぎない。しかし逆にこの場合も母権的意識はなかなかしたたかで強く、面と向かって食ってかかるというほどではないにしても、抗議の行動には出るというほどの強さを示しているのである。彼女が去って、男性から見ると見えない(無意識の)世界に行ってしまうというのは、男性の父権的な意識から見ての話であって、それは母権的意識そのものが無意識になるということではないのである。ここを混同して、河合氏は母権的意識そのものが無意識になった話として読んでしまった。父権的意識に毒された見方と言うべきである。

 昔話の中のイメージ(女性像)は無意識のシンボルのはずなのに、なぜ日本人の自我を表わすとされるのか、この素朴な疑問に河合隼雄氏は答えていない。河合隼雄氏の権威をもって語られると、それは「公式に捕われないユニークな柔軟な見方」とされ、(意識と無意識の)区別を絶対的なものとしない日本人の意識(=女性の意識)のすばらしさを示すものとされる。それが母権的意識のノイマン的誤解をうまく使った、「日本人」と「女性」への媚びであることは明瞭であろう。河合隼雄氏の無方法論的御都合主義は、「日本人」と「女性」への媚びによって方向づけられているのである。

 たとえば河合氏は「日本の昔話は『男性の目』ではなく、『女性の目』でみるとき、その全貌が見えてくるように思われる」と言いながら、「女性の目で見る」とはどういうことか、ついに説明しない。説明するかわりに、すぐ続いて「しかし、この『女性の目』ということが説明が難しいのである」と逃げる。なぜ難しいかと言うと「つまり、錬金術の表のように、男性と女性を明確に二分することが、そもそも男性的であり、そのように二分されてしまった後の女性では、やはり困るからである。というより、先の男性、女性の二分法は男性の目から見た二分法であり、女性の目から見ると、また異なった分類も可能かもしれない。」からだと言われている(11)。

 これでは「女性の目で見る」ということがどういうことかまったく分からない。言葉では説明できないから、以下の叙述の中で示すということかと思うと、全編を読んでもどういうことかはまったく分からない。ただ、続いて、説明らしきことが出てくる。「『女性の目』で見るとは、換言すると、日本人の自我は女性像によって示す方が、より適切ではないかと言うことになる。(12)」これがどうして言い換えたことになるのか、この言い換えがどうして説明になっているのか、私にはまったく理解できない。要するに、これは説明ではなく、ただのキャッチフレーズを並べただけのものであり、それは女性に媚びるという動機から出たものにすぎないのである。

 この媚びは第九章の「意志する女性」において極まっている。「炭焼長者」の話のヒロインは、夫の理不尽な行為に愛想をつかして家出し、別の男性に自分の方からプロポーズするのである。そのような女性の行為を河合氏は賛美して、こう述べている。「彼女の行動は、受動も能動も含んでいて、簡単には割り切れないのである。・・・女性の意識はそのように分類を拒否するものなのである。」「このような素晴らしい女性像は日本の昔話に特異的ではないかと思われ、従って、日本人の意識を「「男女を問わず「「示すのにふさわしいものと思われる。もっとも、昔話が常に公的なものを補償し、そのような意味で未来を先取りするものでもあることを考えると、日本人の将来像を示すものと考えることもできるであろう。あるいは、話が少し大きくなるが、西洋の近代自我の行きづまり状況に照らして考えるならば、日本にのみとどまらず、世界全体においても意味を持つ象徴として、このヒロイン像を提出してもいいのではないかとさえ思われるのである。(13)」

 河合氏は「耐えた」のちに意志し行動する「素晴らしい女性像」を、男女を問わず日本人の意識を示すものだと言う。自尊心をくすぐられる人間は見落とすかもしれないが、しかしこれだけの短い文章の中で、河合氏は信じられないような矛盾を犯している。昔話の中の女性像が日本人の意識を示すと言っておいて、すぐそのあとで「昔話が常に公的なものを補償する」と言う。いったい公的な意識を表わしているのか、それを補償するイメージを表わしているのか、どちらなのか。

 河合氏は、そして河合氏の支持者たちは、そういう二律背反の思考方法こそが西洋的、父権的なものだと言うかもしれない。そういう「論理的矛盾」を気にすること自体が、父権的意識に毒されているものと言うかもしれない。しかしそれはごまかしである。意識とそれを補償するイメージとを区別して語っているのは河合自身である。言葉として区別したのなら、概念としての区別を示すのでなければ、日本語の文章として意味をなさない。ここの河合氏の文章は、じつは意味をなさないことを述べているにすぎない。ただ述べていることは、「素晴らしい女性像」が日本人の将来を先取りしているという、「日本人」と「女性」に媚びるバラ色のアジテーションだけである。そしてそれを述べるために、ほとんどただそれを述べるためだけに、方法論を無視した恣意的解釈を押し通しているのである。河合隼雄氏得意の「ええ加減」がここに極まっていると言うことができる。

 河合隼雄氏は「思いつき」を正当化するために恣意的な解釈をしているのではない。さきの週刊文春の書評の「思いつき」という批評は褒めすぎである。「思いつき」ならば自分のもの、なにがしかは彼の独創が見られるはずであるが、彼の日本人イメージは彼の独創ではなく、日本人が自分の性質を美化するときによく使う言い方にすぎない。いわく「はっきりと黒白をつけないで、適度にぼかしておく所が奥床しい」、「片方の性質だけでなく、両方の性質を持っている所が、人格の円満な所であり、心が豊かなゆえんである」等々。河合氏はこれら日本人の曖昧性をそのまま肯定するか美化したい日本人に媚びて、結論を設定し、それに合わせて似非(えせ)論理を組み立てたにすぎない。

 皮肉なことに、河合氏が取り上げている女性像は、こうした「あいまいな」日本人イメージの補償としての、「はっきりとした」意志表示をする女性という性質を持っている。最初の抗議をして去っていく女性も、最後の夫を離別する女性も、曖昧ではなく、自己の意志を明確に表わしている。そういう意味では、たしかに昔話は昔の日本人から見ると日本人の未来を示していたと言える。河合氏は昔話を現代のものであるかのように、現在を基準にして、昔話の女性像が日本人の未来を示すと言う。しかし昔にとっての未来は現在である。

 現代の女性は自分の意志を表わすことは格段に上手になった。それは未来ではなく、現在においてすでに実現している。なにも媚びを呈して、未来において実現しますよと言わなくてもよいのではなかろうか。それとも、20年前にはまだ実現しているとは言えなかったのだろうか。

 現代においては、女性が意志表示すること自体が目的ではなく、いかなる内容の意志を表示するかが問題にならなければならない。意志の質的な内実こそが問われる時代になりつつあるのである。それは日本人一般についても同様である。ただ「ノー」を言えるだけではなく、どのような内容の意思表示をするのかが問題とならなければならない。

 

(1) 『週刊文春』1982年3月25日号、130頁。

(2) 河合隼雄『昔話と日本人の心』岩波書店、1982年、216頁。

(3) 同上、291頁。

(4) 同上、293頁。

(5) バッハオーフェン『母権』岡道雄、河上倫逸訳、みすず書房、1991年、30頁。

(6) 同上、31頁。

(7) 同上、13頁。

(8) 同上、24頁。

(9) 同上、10〜11頁。

(10) 河合隼雄『昔話と日本人の心』、30頁。

(11) 同上、38〜39頁。

(12) 同上、39頁。

(13) 同上、293頁。

 

三 プロクルステスのベッド

    ── 『中空構造日本の深層』

 プロクルステスは旅人を自分のベッドに寝かせて、

旅人の身長が短かすぎると引き伸ばし、長すぎると

足を切り、そうして旅人を無理矢理ベッドに合わせた。


 次に、同じ日本人論を別の角度から論じた『中空構造日本の深層』を検討してみよう。(ただしこの論点はすでに拙著『ユング心理学と日本神話』名著刊行会において詳細に論じたので、ここでは要点のみを述べる。)

 河合氏は日本神話の中に三人ひと組の形で現われる三組の神々に注目して、日本人の精神構造のプロトタイプを発見したとする。三組の三神とは、第一がアメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カミムスヒであり、第二がアマテラス、ツクヨミ、スサノヲであり、第三がホデリ、ホスセリ、ホヲリである。これらの三者組の中で、それぞれアメノミナカヌシ、ツクヨミ、ホスセリが中心に位置していながら、名前が挙げられるのみで無為の存在であるとして、河合氏はこれを「中空」と名づけ、この「中空」があることによって、他の二神の働きや対立に微妙なバランスが保たれていると論じている。「日本神話の中心は、空であり無である。このことは、それ以後発展してきた日本人の思想、宗教、社会構造などのプロトタイプとなっていると考えられる。」というのがその結論である。

 対立を和らげバランスを保つという日本人の理想を承知した上で、それに媚びる結論を前提にして、それに合わせて事実を歪曲して理論化するというのが彼の常套手段である。しかしこの「中空構造論」は多くの方法論的な疑問の上に成り立った空中楼閣である。方法論的疑問とは次の諸点である。

 第一に、河合氏の挙げるアメノミナカヌシ、ツクヨミ、ホスセリが中心であると言えるのかという問題がある。中心であることの根拠は、ツクヨミとホスセリについては生まれた順番が三者の真ん中であるということであるが、アメノミナカヌシについては生まれた順番は一番であるが、その名前から「明らかに中心的存在であることが窺われる」とされる。生まれた順番が真ん中というだけで中心的存在だと言うのは、かなり強引な論証と言わねばならない。まして名前の中に「中」という字があるというだけで中心的存在だと言うのは相当に無理のある論証である。しかも河合の「中心」というイメージは球ないし円の中心だと自身はっきりと述べているが、生まれた順番は直線的なイメージであり、球や円の中心が中空になっている例として持ち出すのは無理があろう。またアメノミナカヌシは最も高い所にいる神というイメージが『古事記』を素直に読めば浮かんでくるのであって、『古事記』全体の中心はむしろアマテラスだとも言うことができるであろう。とくに河合氏はアメノミナカヌシが『古事記』全体の中心というよりはタカミムスヒとカミムスヒの真ん中にいると言っているのであるから、余計無理が感じられるのである。

 第二に、河合氏は、その中空を中心にして、ひとつの動きや性質に対してカウンターバランスが生じ、それによって均衡が保たれると述べているが、日本神話の中で本当に均衡が保たれているのかどうか大いに疑問である。彼は均衡の例として「勝ち負け」と、「男性原理と女性原理」とを挙げている。ここではアマテラスとスサノヲの対決において、本当に勝ち負けがはっきりしていないのかどうかを吟味してみよう。

 河合氏は「アマテラスを中心におき、スサノヲをそれに対する敵対者として簡単には規定できない」、両者の関係は旧約の神とサタンの「絶対的な善と悪」のようには「明白でも単純でもない」として、「スサノヲが天上にいるアマテラスを訪ねたとき、それを自分の国を奪おうと誤解したのはアマテラスであり、どちらの心が清明であるかを見るため行った誓いにおいては、スサノヲの方が勝っているのである。その後、スサノヲが乱暴をはたらき、天界を追われるが、彼はそこで抹殺されてしまうどころか、文化英雄になって出雲の国で活躍するのである」と述べている。要するに河合氏はアマテラスとスサノヲの関係においては善悪や勝ち負けがはっきりしていないと言いたいのである。彼はさらに論をすすめて「スサノヲは単にあいさつのつもりでアマテラスを訪ねたのを、アマテラスはまったく誤解」するという「過ちを犯すところが注目すべき点」であり、「アマテラスは絶対的な無謬性を持った神とはされていない」と述べる。そして「天の岩戸」の場面でアマテラスが鏡に映った自分を見て自分より貴い神かと思うのは、彼女が誤りを犯して傷つくことによって「以前にもまして『貴い神』になったと考えてみてはどうであろうか」と付け加える。

 ここで河合氏は二つの方法論上の誤りを犯している。一つはアマテラスがスサノヲを「誤解した」という読み取り方である。神話を元型心理学的に解釈するときに、ある登場人物(神)が他の登場人物(神)を「誤解」したのかどうかという問題の立て方そのものが的外れなのである。神話というものは、「誤解した」という設定にして、その結果として両者の対立をのっぴきならない所までいかせることを目的としているのであるから、問題はそののっぴきならない対立が心理学的に何を意味しているかという形で立てられなければならないはずである。河合はこの対立がアマテラスの「誤解」から生じたもので、和解が可能だという含みを持たせているのであろう。そういう解釈の仕方は、結論が先にあって、それに合わせて「誤解」ということを不当に過大に評価するという過ちを犯している。もしアマテラスの「誤解」だったとしても、そのような設定にしなければならなかった古代人の心理は何かという問題に関心がいくのでなければならない。

 しかも、『古事記』をよく読んでみれば、アマテラスは「誤解」などしていないことが分かるはずである。スサノヲが「山川を鳴動させ、大地を震動させて」登ってくるのを見て、「国を奪わんとして来るのか」と思うのは当然であり、簡単に「誤解」とか「過ち」と言い切っていいものではない。その前の「請して罷らん」というのも、「単にあいさつのつもりだった」と簡単に言えるものかも疑問である。これらはすべてアマテラスが「過ちを犯す」神であり、その過ちを通して「より貴く」なっていくのだという結論を見越した主観的な読み込みと言わざるをえない。河合氏の解釈にはこうした恣意的な読み込みが非常に多いのである。

 この部分に関するもう一つの方法論的誤りは、その後スサノヲが出雲の国で文化英雄として活躍するのを「バランスの回復」と見たり、またアマテラスが過ちを犯すことによって貴くなるというように、神話を時間的経過に従って因果論的に解釈している点である。神話の元型心理学的な解釈は、イメージとイメージの元型的な関係を、意識と集合的意識と集合的無意識との複雑な布置の中で読み解いていく作業であり、それらをすべて同列に置いて因果的に関係させるのは、方法論的にあまりに「ええ加減」と言うべきである。

 さらに内容的に見ても、「誓約(うけひ)」においてスサノヲ が勝ったとは言い切れない。スサノヲはただ「我勝てり」と自分で勝手に宣言したにすぎず、どちらが勝ったかについては、拙著『ユング心理学と日本神話』で詳細に検討したように『古事記』と『日本書記』の多くの「一書に曰く」では多くの揺れと混乱が見られるのである。ただ一つはっきりと言い切れるのは、アマテラスとスサノヲのすさまじい対立が描かれているということである。

 アマテラスとスサノヲののっぴきならない対立は、最後はスサノヲがアマテラスによって爪と髪の毛を切られるという罰を課され、黄泉の国に追放されるまでに至るのであり、徹底的な対立として描かれているのである。対立も徹底的なら、最終的な勝ち負けもはっきりしている。ここには曖昧さは微塵もない。そういう筋書きの深層心理学的な意味こそ、明らかにされなければならない。その意味は私が『ユング心理学と日本神話』で明らかにしたとおり、自我意識の高度な発達を前提しており、またそれを反映したものであった。それは決して自我が曖昧なことを表現しているのではなく、むしろまったく正反対のことを表わしていたのである。

 第三の問題点として、百歩譲って「バランスが保たれている」としても、それは「無為の中心」があるせいだと言えるのかどうかという問題がある。あるいは、敗者が抹殺されてしまわないのは、「中空」があるせいなのか大いに疑問である。河合自身も述べているように、中空に侵入しその位置を簒奪する者によってバランスが崩れることはよくあることであり、それがまたカウンターバランスによってバランスが回復されるのかは、見る者の主観によって異なって見えてくるものである。客観的に見て、中空の存在によってバランスが保たれるとは必ずしも言えないのである。

 第四に、中空構造が日本文化のプロトタイプであると言えるためには、日本史全体を通じた厳密な研究が必要であり、そう簡単に結論づけることはできないすばである。河合氏は昔話や神話が生まれた時代の日本人と現代の日本人が同じ心を持っていると前提して議論しているが、それは乱暴な理論というものである。神話の中にいかなる心性が反映しているかを明らかにするためだけにも、日本神話の中の政治的意図の部分を慎重に取りのぞき、その上で(母権的な)集合的意識と(父権的な)明晰な意識と集合的無意識とを区別して、それら相互の関係を解きほぐしていかなければならない。しかもその上で、それがその後の日本歴史の中で一貫して見られることを論証しなければならない。河合氏のような杜撰な方法ではとうていなしえない作業なのである。

 第五に、たしかにある時期の天皇制や、現代の政治の中に「中空構造」と言えるものが見られるかもしれないが、それは無意識の構造というよりも、意図的意識の次元か、集合的無意識の次元のことであり、それは政治的支配をもくろむ人間たちがその構造を意図的に利用して、力づくの支配ではないように見せかけているにすぎない場合が多く、本当に「中空」なのかどうかは、厳密な検証を必要としている。河合隼雄氏の日本ユング心理学界における支配の構造も「中空構造」を見せかけているが、決して「中空」などではなく、はっきりとした河合支配になっているようなものである。「中空」に見せかけた支配が一番巧妙で強力だということもありうるのである。

 

 河合隼雄氏の「中空構造論」もまた、日本人がバランスを好み、黒白をはっきりつけないで協調を重んずるという日本人論に媚びる形で、日本神話を恣意的に解釈したものであることは明瞭である。それはまさにプロクルステスのベッドと言うにふさわしい操作である。初めにベッドとしての特定の日本人論があり、それに合わせて神話素が切り貼りされる。三神のうち、「消える神」を真ん中だとするために、生まれた順番であれ何であれ、理由になりそうなことなら何でも使われる。そこには学問的良心も学問的方法に対する関心もまったく存在していない。あるのはただ自分が「面白い」ことを言って「受ける」ことを狙っている貧困な精神だけである。

 

 河合氏が論じている三組の三神の中から一神が消えて二神の二項対立になることが何を意味しているかについては、拙著『ユング心理学と日本神話』で詳しく論じたので、ここでは簡単に要点のみを述べておく。まずアメノミナカヌシは、神話編纂者の父権的な意識の抽象的産物であり、したがって具体性を持たない名前だけの存在であるのは当然である。次にアマテラス、ツクヨミ、スサノヲのうち、じつはアマテラスとツクヨミが最初のペアーをなしていた(イザナギの左目と右目を洗ったときに生まれた)のが、対等の対立の物語を作るのにはツクヨミが弱すぎて適当でないので、スサノヲが鼻を洗ったときに生まれたことにして三貴子を作りあげ、次にツクヨミを脱落させ、アマテラスとスサノヲの対立ペアーを作ったのである。最後に、ホデリ、ホスセリ、ホヲリの三兄弟は初めは炎と穂の勢いを表わす少年穀物神の性質を持つ神々(三子の末子が最も力勢があり、後継者となるという観念)であったのが、対等の兄弟対立という自我意識の高度な発達を示すためにホスセリが脱落して、海幸彦と山幸彦の対立の話になったのである。このように三者性から二項対立への変化には、当時の父権的な自我意識の発達が背後に潜んでいたのであって、決して中空構造を示していたのではない。河合氏の解釈は無方法論的な主観的恣意的なものと言わざるをえない。

 

四 賛美と阿諛追従の夢解釈

    ── 『明恵 夢を生きる』

 夢はユング派にとって大切なものであり、無意識を知るための切札的な存在でもある。しかしまた夢は解釈の方法がたいへんに難しいものでもあり、夢をどう解釈するかでその人の実力が知れると言っても過言ではないほど、ユング派にとっては躓きの石ともなりかねない厄介なものでもある。この重要ではあるが難しい問題に、河合氏としては珍しく真っ正面から挑戦したのが『明恵 夢を生きる』である。この書には、日本におけるユング派の大御所としての自信が感じられる。しかしその自信に見合った内容になっているかと言うと、必ずしもそうとは言えない。依然として方法論における河合流の根本的欠陥と杜撰さがいたる所に露呈しているからである。

 この書で河合氏は、まず最初に夢とは何かということについて、また夢分析の方法について等、夢についての一般的なことから説き始めている。こういうオーソドックスな構成を取っていることからも、河合氏の意気込みと、本格的な取り組みであることを感じさせる。

 河合氏は夢分析の方法として、なによりも夢を見る当人の状況を考慮することが大切であると述べている。すなわち夢が見られた当時の時代と社会の集合的意識や無意識の状況、そして何よりも当人の意識のあり方が重要である。とくに当人の夢に対する態度によって、夢そのものが変わってきて、その人の人生にとって意義深いものともなれば、つまらないものともなる。「意識の在り方がある程度夢に影響を与えるし」、逆に「夢が意識の在り方に影響を及ぼす(1)」。「夢によってある程度、その人の意識の在り方 を推察できるし、意識がある水準に達しなかったら、ある種の夢は見られない。」「つまり、ある程度の修練や努力なしに、意味深い夢を見ることは難しいと言える。(2)」

 こうしたことは一般論としては正しい。この一般論の上に立って河合氏は、明恵が一生にわたって自分の夢を記録しつづけ、夢を重視し大切にしたために、貴重な夢も出てきたし、またそれを正しく解釈したために個性化の道を歩むことができたのだと結論している。河合氏は明恵がユング派の夢に対する態度や解釈方法と同じ所まで行っていたとさえ評価している。

 河合氏がここに述べている一般的方法論と同じ解釈を明恵に対して実践しているかどうかを見る前に、一般論としても正しくないことを言ってる箇所があるので、しかもそれはきわめて重大な問題でもあるので、まずその問題について考察しておこう。それは主観的体験と客観的認識との関係という問題である。

 夢(もっと一般的に言うと対象としてのイメージやシンボル)を分析する場合に、その夢を一緒になって体験する(追体験する)という面と、その夢から距離を置いて冷静に「見る」という面との、両方の態度が必要である。この両方が必要だということを、私は『ヨブへの答え』の訳者解説で述べておいた。分析者(解釈者)は、分析しようとする夢に「まきこまれ」、自分の中にも同じ情動が動きだすのを感じて自分の情動をゆさぶられ、同じように不安や恐怖や快感や喜びを感ずる。そういう主観的体験に身を任せるという面とともに、しかしそれから離れて、そういう情動に翻弄されている状態を自分のそれも含めて冷静に観察する(「見る」)という態度も同時に必要なのである。そういう態度によって、分析者は単に体験された直接的なものを認識にまで高めることによって、個性的にして普遍的な意味を見いだすことができるようになるのである。

 分析者にとっては(そしてもちろんできれば被分析者にとっても)主観的体験と客観的認識の両方が必要であり、そのあいだの矛盾と緊張に耐えていきながら、両方をともに生かすことが分析の要件なのである。分析者は「客観的」な「研究者」としての態度を捨ててはならないのである。しかるに河合氏は分析家の方が被分析者のイメージや情動にまきこまれ「くわれてしまう」ことを、単に「分析家の器量」の問題としか捉えていない。そしてはっきりと「夢を客観的な『研究対象』として取り扱うのではない」し、明恵に関しては「『客観的』研究などを試みる気はあまり生じてこない」と述べている(3)。

 河合氏は「客観的研究」を主体的分析と別のこととして捉えてしまっている。主体的関与と追体験の中に、おのずと客観的研究が入り込まざるをえないのだという認識が欠けている。客観的に「見る」ということは決して傍観者的に「見る」ということではないにもかかわらず、河合氏は夢に対する態度として「自分の夢を傍観者として『見る』のではなく、それを主体的に『体験』し、深化して自らのものとする」のだと述べている(4)。彼は一貫して「見る」こ とと「体験する」こととを分けてしまっているのである。

 たしかに河合氏も、夢に対するときには「自我意識の立場から検討する」ことの必要性を説き(5)、「強力な合理性 を身につけ」た上で「非合理の世界と向き合う姿勢」が必要だとは言う(6)。彼は「合理性」とか「器量」というこ とは言うけれども、「客観的研究」の重要性については言わないで、それをむしろ主体的体験と対立するかのように、分析という営みから追放してしまうのである。この態度と彼の無方法論的御都合主義とが密接に関係していることは容易に見て取ることができるであろう。客観的で普遍的な妥当性をあくまでも追求するというのではなく、彼が自己の分析の正当性を単なる主観的な直観や権威に頼らざるをえなくなるのは、こういう彼の態度に起因しているのである。

 ユングの態度はそれとは正反対である。彼はいつでも解釈しようとする対象としてのイメージやシンボルに対して、その解釈の根拠として神話や宗教や昔話や文学の中から種々のイメージを探しだしてきて、比較をし、その異同を論じ、自分の解釈を吟味するという態度を取っていた。その比較または同定がかならずしもいつも正しいかどうかは別としても、そういう客観性を重視する態度から、方法論に対する重視も生まれたのである。こうしたユングに顕著に見られた「客観的研究」に対する重視がないどころか、河合氏にはそれに対する違和感が、いや密かな敵意さえ感じられるところがある。

 

 さて、河合氏は夢の分析について一般論を展開した上で、実際に明恵の夢を分析していくのであるが、そのさい一般論で展開した理論どおりに見事に明恵の夢を分析しているのでないとなると、彼の理論は単なる飾りだったということになる。彼の夢分析の実際をみてみよう。

 河合氏が明恵の夢を分析する基本的態度は、じつは種明かしすれば、明恵自身の解釈をほとんど追認するという方法を取っている。それ以外に明恵にも意味が分からないものについては、ほとんどユング派の公式にそった解釈をしているにすぎないのである。

 河合氏は、夢に対する明恵の態度について、ユング派の夢に対する態度と同じ境地にまで達していたと述べている。そして明恵は「相当に自由な態度で夢に接していたと想像できる」(7)し、また「明恵の夢の解釈を読むと、彼は仏 典の記述にとらわれず、彼独自の立場で解釈を行なっていたのではないかと思われる。つまりここで『吉相也』と判断しているのは明恵独自の考えのように思われるのである。(8)」と述べている。

 河合氏は明恵が「独自の判断」をしていたという根拠を示していない。ただ「のではないかと思われる」とか「ように思われる」と言う表現でお茶を濁しているにすぎない。明恵は本当に独自の方法や基準を持っていたのであろうか。私は否だと思う。明恵の「吉相」の夢は、たとえば『更級日記』の作者が「阿弥陀仏来迎」の夢を見たいと切に願い続けていて、ついにその夢を見たという場合とそう違っていたとは思えない。自分の信仰と修業の道を正しいとしてくれる「吉相」を見たいといつも願っていると、そういう夢を見るということは、それほど珍しいことではないのである。

 当時の人々は夢相を重く感じていたし、とくに密教においては好相が修業の成就する相としてよろこばれていた。『顕密円通成仏心要集』には「顕成行相」(修業の成った印の相)として「夢に諸仏菩薩聖僧天女を見、或は自身空に騰り自在なりと見、或は大海を渡り江河に浮び、或は楼台高樹にのぼり、或は白山に登り、或は獅子・白馬・白象に乗り、或は夢に好華果を見、或は夢に黄衣・白衣を着せる沙門を見、或は白物を喫し黒物を吐き、或は日月を呑むなど」を挙げている(9)。

 明恵の吉相の解釈もこれと似たりよったりで、とくに独自の基準があったとは思われない。河合氏が挙げている例では、池がつながったとか、熊野に詣でようと思うとか、要するによいと思われることを夢に見れば、何でも吉相だと喜んでいるとしか思えない。その他明恵は、たとえば白上峰における修業のさいには、「九輪に登って、九輪の最頂の流星にとりつこうとした」とか、「流星の上に立って下の十方界を見る」とか、「釈迦如来より聖教を賜った」とか、「大亀即ち老翁となり導いて竜宮にいたる」など、「瑞夢好相あげて数うべからざるものがあった」と『行状』に記されている(10)。こういう類の夢を吉相だと判断するのに、別に「独自の」解釈方法などというたいそうなものは必要ない。その態度は、自分の信仰・修業をよしとしてくれる良い兆候なら何でも心の支えにしたいという平凡な心理を示しているにすぎない。つまり自らの信仰を確信させ正当化するために、かなり一方向的に偏った見方を取っ

ていたことが分かるだけである。それを河合氏は根拠も示さずに「独自」だと言い立てて賛美し、追従を示しているのである。

 もう一つ例を示すと、河合氏は、明恵が以前に見た夢との連続性を認め、前の夢で言ったことを次の夢で実現するのは吉相だと述べている態度は、「明恵が彼独自の考えとして開拓したものではないかと思われる」としている(11)。そして「夢に対するこのような態度は、自分の夢を傍観者として『見る』のではなく、それを主体的に『体験』し、深化して自らのものとするもの」と高く評価している(12)。

 たしかに明恵の態度は、一方では夢を現実と即物的に対応させて迷信的に信ずるという古代人の誤りにも脱していないし、また多聞院英俊のように夢を勝手に自分に都合のいいように解釈したり、「少シモアワテズ、雑夢々々」と軽視する態度でもなかった。なるほど明恵は夢を重んじ、夢を深く体験したが、しかし「夢を見る主体としての自分に対する反省を免れて」(13)いなかったと言い切れるであろうか。

 たとえば河合氏は、明恵の池と池がつながるという夢について、それはフロイト流に解釈すると性的な夢としても解釈できるが、しかし明恵は性を抑圧していなかったので、そういう解釈はあまり当を得ていないと述べている。明恵が性を抑圧していなかった証拠として河合が出す証拠とは、明恵が「性衝動を感じたことを隠すことなく弟子に語っている」ことと「性的関心を示す夢なども何ら隠すことなく『夢記』に記している」ことである。「明恵は、性の問題を、後に述べるように、大きい課題としたが、それを隠蔽などしていないのである。」(14)

 ここにも河合流の言葉のすりかえが見られる。後に論ずるという、明恵が性を問題にしたというのは、男性女性という場合の性であり、直接的なセックスではない。しかしここでの「性衝動」とか「性的関心」というのはセックスの意味の性である。セックスの意味の性を明恵は完全に遠ざけていたとされる。それは幼くして僧侶となったときから、通説によれば完全に守られていたらしい。性的関心を示す夢を記しているというだけで、明恵が性を抑圧していなかったなどというのは、まったくの詭弁である。そして当該の夢に、抑圧していた性の問題が現われていると見るのはごく素直な解釈であり、見当はずれだなどとは言えないのである。

 むしろ明恵はこの夢について、性を完全に抑圧している自らの信仰の在り方について、反省し考え直すことも可能であった。げんに親=はその問題について真剣に取り組んだのである。しかしこの場合、明恵はかなり自分勝手に自らの信仰を追認し、正当化してくれるものとして、自らの夢を解釈しているにすぎないのである。

 もちろんこのような性的な解釈だけで終わりというのも狭すぎる解釈の態度であり、河合d 氏の言うとおり、性的な結合のイメージの背後には、異質のものの結合によって新しいものが生まれるという意味が潜んでいることは、ユングが『転移の心理学』で明らかにしたとおりである。そういう意味では、明恵がこの夢について、自分と超越的なものとの結合の意味を読み取っていることも間違いだと言うのではない。別にどちらと決め付けるのではなく、どちらの意味もこめられているものとして受け取ることができるのではなかろうか。

 

 次に河合氏が明恵の夢を解釈している例をいくつか見て、その解釈がどのくらい適切で納得のいくものであるかを吟味してみたいと思う。

 明恵の夢の解釈に入る前に、河合氏が英俊の夢を検討している中に、不適切な解釈の典型的な例が見られるので、まずそれを見ることにする。英俊の夢に歯が抜けるという夢が異常に多いことに注目して、河合氏は「歯は咀嚼するもの」であるから、「夢の方から、夢をもう少しうまく噛みくだいて自分のものにできるように、歯の抜ける夢によって再三にわたって英俊に警告を発したが、とうとう気づいて貰えなかったのではなかろうか」(15)と解釈している。このように「歯とは咀嚼するもの」という定義から解釈する方法を私は「定義的解釈」と呼んでいるが、この解釈などもその方法の典型である。

 こうした解釈の方法はチューリッヒの分析家の多くが昔から踏襲している方法であり、いわばチューリッヒ仕込みの方法と言えるかもしれない。歯は咀嚼するものという歯の意味は、いわば意識されている意味であり、夢がそうした意識的な意味を示すためにサインを送ってきているというのは、河合氏自身も述べている「未知の意味を示す」という夢本来の機能に反する解釈と言わねばならない。夢解釈というものは、「歯は咀嚼するもの」という決まりきった意味以外の意味を探り出すところにこそ意義があるのではなかろうか。しかも河合氏は「多様な解釈が可能であるが」と言いながら、どのような多様な解釈があるのか、そしてそれらの解釈の中からなぜこの解釈を選んだのか、何も説明していない。もちろんこの書は明恵の夢の分析が主題で英俊の夢分析が中心ではないので、それに多くの頁をさくことができないからと河合氏は弁解するかもしれないが、本当にいろいろな解釈の中から選んだのならば、それを単に列挙するだけでもするはずである。問題は態度であり、態度はおのずとにじみ出るものであるが、そういう方法論的な態度がここには感じられないのである。

 歯はもちろんいろいろな感じを与えるものである。白い健康な歯は美しいものであるし、若さの印でもある。そういう感じからすれば、歯が抜けるというのは若さが衰えるということのシンボルになりうる。また歯は食いちぎるとか噛みつくなどの行為から受ける感じとしては攻撃的なものを感じさせる。その感じの歯は恐怖の対象とさえなるであろう。また攻撃とまではいかなくても、何か積極的で強い感じがする。逃げたり逃避したりするのでなく、積極的に立ち向かっていく感じである。きちんとした感じ、ビシッと決まった感じも与える。こういう感じから見ると、歯が抜けるというのは、物事をきちんと処理したり、積極的に立ち向かっていくのではなく、いい加減であったり後向きに逃げだす感じを表わしているということになる。

 こうしたいくつかの意味の中で、英俊の人生に一番ピッタリと当てはまるのはどの意味かというと、最後の意味ではなかろうか。英俊は現実に対して正面から対決するという積極的な人生態度ではなく、どこか逃避的であったらしい。自分にとって重大な関心のある問題を夢に見ても「少シモアワテズ、雑夢々々」と言って関心の外に出してしまい、真剣に考えることを放棄している。こういう人生に対する態度に対して警告を発していたのが歯の抜ける夢だったのであり、単に河合氏の言うような「夢を噛みくだいて」考えよという夢の見方のみに対するものではなかったと感じられる。河合氏は「定義的解釈」によって、英俊の人生に対する意味を捉えることに失敗しているのである。

 さて、前置きはこれくらいにして、明恵の夢の解釈そのものに進んでいこう。まず明恵の最初の夢と言われる「乳母の死の夢」というのがある。それは9歳のときの夢であり、「死にたりし乳母、身肉段々に切られて散在せり」というものである。

 この夢について河合氏は「体が切られてバラバラになるという身体切断の主題」(16)(傍点筆者)と言い換えている。そして「切断」というところに注目して、「切断」はロゴスの働きであり、父性原理を表わしていると解釈する。この部分に河合流のすりかえ的「言い換え解釈」の典型が見られる。

 「切られて」を「切断」と言い換えることは、そんなに大きな言い換えではなく、たいした違いではないと感じられるかもしれない。たいていの人が許容するであろう。そして「切断」が父性だというのも、河合氏の持論であり、誰も疑問を呈した人はいない。私を除いて。こうして明恵のこの夢は9歳の日本の子供にしては珍しく父性を示した夢だとされてしまった。

 「バラバラに切られて散在している」という所を、「バラバラに」という所に重点を置いて見るか、「切られて」という所に重点を置いて見るかで、ずいぶんと印象が違ってくる。この場合はどちらであろうか。この場合は素直に読めば、「切る」という行為に重点が置かれているのではなく、「バラバラにされている」ということを「段々に切られて」と表現しただけで、とくに「切断されたのだ」ということを強調するために「切る」という言葉を使っているのではないことが分かるであろう。乳母の体がバラバラになっていることに明恵はショックを受けているのである。それを河合氏は「切る」行為の方に比重を置き、しかもそれを「切断」と言い換えた。「切る」と「切断」とでは、印象がだいぶ違う。「切断」と言うと、きつい感じがする。いかにも父性という感じである。このすりかえの操作によって、明恵のこの夢が父性を表わすものとされたのである。

 そもそも「切断」を父性の特徴と見ること自体にも問題がある。「切断」はいまだ未熟な父性の特徴であり、成熟した父性はおのずからなる構成および再構成の力を持っていて、「切断」などという力づくの性質を必要としないのである。したがってもし明恵の夢が「切断」を示すものだとしたら、明恵の父性が未成熟なものだということを示しているということになる。

 もう一つ河合流のすりかえが見られるのは、ゾシモスのヴィジョンに対するユングの注釈を参考にしている箇所である。ユングはゾシモスの「身体が刀で切断される」というヴィジョンを錬金術の「分離」「分解」の段階だと解釈し、そのさい身体が「調和の規則」に従って切られたことを、「ロゴスの力」を示していると解釈した。それは規則的な切断だからこそそう解釈したのであり、「切断」がいつでも「ロゴス」を示すという意味ではなかったはずである。しかもロゴスは必ずしも父性だけを示すものではなく、もう少し広く男性原理一般と関係のある性質である。

 しかし河合氏は「切断」がすなわち「ロゴス」「父性」を意味するという解釈を権威づけるためにそれを引き合いに出している。参考にしただけだとしても、不適当な参考の仕方であると言わざるをえない。明恵の夢の切られ方は、決して規則的だとは言われていないからである。それよりも何よりも、ゾシモスの夢では刀で切られるという行為に重点が置かれているのに対して、明恵の夢では切られてすでにバラバラになってそこにあることに重点が示されている。この決定的な違いをこそ見るべきなのに、河合氏は「切断」という、ありもしない共通点を見てしまった。

 明恵の夢を解釈するのに、何もゾシモスを持ちだす必要はさらさらない。そういう無理な類比によるこじつけをしないでも、もっと素直にこの夢の感じを感じ取れば、乳母が身体をバラバラにされていることから、明恵の生命のもとが死んでバラバラになっているものとしか考えられないのである。それは明恵の生きる姿勢への警告でもあり、補償でもあった。

 これは明恵が9歳のときに親類のもとを去って高雄山に登った日の夜に見た夢である。それは旧約聖書のアブラムが神に仕えるために故郷を捨てて放浪の旅にでたときの感じ、またはニーチェのツァラトゥストラが故郷の湖を捨てて山奥に入ったときの感じに似ている。それは故郷も親類縁者も捨てて、従って母なるものも捨てて、男性的な世界(精神ガイストの世界)に、つまり男性的な宗教的世界に入ることを意味していた。

 精神ガイストの世界は宗教にとっては大切な世界であり、宗教人が一度は通過しなければならない厳しい世界である。しかしそれは宗教の一面であり、宗教的修業としてはその後にもう一度世俗やエロスの世界をも含めた統合のプロセスを歩まなければならない。精神ガイストの世界にあまりに教条的に固定化されてしまうと、その後の統合のプロセスを歩むことができなくなってしまうであろう。

 明恵の少年のころの姿勢は、相当に教条的だったと言うことができる。そのことは彼の捨身に対する考え方に如実に現われている。彼は13歳のときに「年スデニ老イタリ」と思い、どうせ死ぬなら「トラ狼ニモクハレテ死ヌベシ」と思って、墓地に行って横たわっていた。これはたいへん教条的な行動、つまり仏教思想の短絡的な実践化であり、こうした公式主義は精神元型に憑かれた者によく見られる行動様式である。

 こうした短絡的な教条主義は、彼が九歳のときに親類のもとを去って高野山に登ったときにも、彼を捕らえていたものと推測できる。その教条主義に対する批判ないし警告として、つまりは補償として、乳母の体がバラバラになっている夢が現われたと考えるのが妥当であろう。夢を解釈するときは、夢を歪曲したり、言い換えたりしないで、そのままを素直に受け取るのでなければならない。河合氏の夢解釈の仕方は、この第一の基本から逸脱していると言わざるをえない。

 河合氏はこの乳母がバラバラになる夢を、明恵の「捨身」への意志とともに、母体への下降とそこから出て再生することを意味する夢だと解釈している。つまり河合氏は捨身も乳母の夢も、同じ「無意識への下降」を意味するものと解釈してしまっていて、明恵にとって捨身が「無意識への下降」とは正反対の精神ガイスト元型による憑依を意味していることを理解していないのである。

 同じ問題は、明恵が自らの耳を切ったことに対する解釈にも現われている。「明恵は捨身の象徴的な成就の後に、母胎への回帰を体験し、仏眼仏母との一体感を体験した。彼がより一層成長していくためには、そこから出ていくこと、いわば再生の過程が必要であり、その過程のハイライトとして、彼が自らの耳を切るという行為があったと考えられる。(17)」つまり明恵の捨身は「自己去勢」「自己犠牲」であり、「再生のための儀式」だったと言うのである。明恵の「自己去勢」は、俗世間から決別して、修業に専念する覚悟を示すものであった。ふつう僧侶は俗世間から離れることを示すものとして、髪を剃り、墨染めの衣を着るのであるが、当時の僧侶は剃髪をし僧衣を着ていても俗生活にひたっている者が多く、剃髪・僧衣はもはや禁欲を表わすシンボルにはなりえないという状況があった。そこで明恵は禁欲への強い意志を表わすために、もっと過激な手段を取らなければと考えて、自らの耳を切るのである。

 ここには河合氏も言うようにたしかに「激しい精神性への希求がこめられている(18)」。それは現世拒否的な宗教にはつねに見られる特徴であり、男性性の最も純粋になったものである。しかしそれは必ずしもただちに父性にはつながらない。父性というならば、それにプラスして、構成力、すなわち秩序を確立し、管理し指導し、その確立したものを確保し、伝えるという機能が加わらねばならない。それは母性から離れて男性性を確立したということとは異なる心理である。しかるに河合氏は父性を「切断」する機能と理解していることも作用しているのであろう、この耳を切るという行為を「父性的な強さを立証するための試練(19)」と解釈してしまっている。

 ところで、この精神ガイスト元型は男性の青年期から三〇歳前後によく見られるものであるが、それは激しいと同時に非常な片寄りを持ったものである。それは世俗的なものを否定し、身体性や女性性も否定し、ひたすら精神の純粋な世界に憧れる。それは宗教にとっては必要な原理を含んでいるが、それだけに固まると狂信的になったり、柔軟性を欠いた傲慢に脱する危険がある。ニーチェの描くツァラトゥストラのありようが、その危険をあますところなく示している。したがって、ある人がこの元型に捉われたというのならば、その人がこの元型をどう担い、どう処理していくかが大きな問題になるはずである。しかし河合氏は精神性については指摘しながらも、それが片寄りであり、問題を含んでいることは何ら指摘していない。ここでも例によってただ賛美するだけである。

 明恵自身も、例によって、自己の夢によって自身の行為を正当化している。そこのところは河合氏によって次のように述べられている。「耳を切ったその夜、明恵は印象的な夢を見た。夢にまたもやインド僧が現われ、明恵に向かって、自分は頭、目、手足などを仏法のために惜しまない行為をしたことを記録する者である。この度、明恵が如来を慕い、仏のために身命を捨てて、耳を切って如来を供養したことを記載し留めておく、と言って大きい一冊の書に書きこんだ。この夢は明らかに、明恵の行為が仏によって、──明恵の魂によって──承認されたことを示している。その行為は意味深いこととして記録されたのである。(20)」

 明恵の行為や決断は、必ずといっていいほど、自身の夢によって正当化ないし承認されることになっている。これはいったいどう解釈したらいいのであろうか。これを単純に、明恵の選択がいつも彼の魂の傾向から見て正しかったからだと考えることもできるであろう。あるいは彼の元型の発露だと考えてみることも可能であろう。それだと、明恵はたいした偉い人だということになる。たしかに偉い人には違いないが、しかしどんなに偉い人でも、意識的な判断や行為が無意識の判断とこれほどまでに一致するということがありうるのであろうか。ありえないと考えるのは凡人の浅はかな考えにすぎないのであろうか。

 明恵の場合の意識と無意識の不思議な一致を、明恵が元型の現われに従ったためだと解釈してみることも可能である。この場合だと、彼は精神元型の現われに従ったことになる。たしかに彼の常軌を逸した行為は、精神元型に従ったためだと考えられる。だからこそ、夢もそれをよしとする内容が現われたのであると。

 この解釈にはしかし、私は少し違和感を覚える。元型に従った人生を生きた人というのは、前もってその元型を表わす夢や幻想が現われる場合が多く、しかもその夢や幻想は意味が必ずしも明瞭ではなく、後になって初めてその元型的な意味が明らかになるものである。明恵の場合は、初めに意識的な決断があり、後からその意味を表わす夢が来ている。これをどう理解してよいのか、私には分からない。しかしはっきり言えることは、もし明恵の決断や行為が元型に導かれてのことだとしたら、そこには何らかの片寄りが見られるはずであり、そのための問題性も見られるはずだということである。そこで明恵の夢が元型的だと言うのであれば、その問題点も指摘することが必要である。しかし河合氏の論調はあくまでも明恵を手ばなしで賛美するだけで、そこにどういう危険か潜んでいるかについては何も述べていない。

 もちろん明恵は精神性一辺倒だったわけではなく、後に身体とも和解をなしとげ、世間との交わりや布教活動もし、かつ女性性をも統合することになったと河合氏は言う。本当に明恵は身体と和解し、女性性をも統合したと言えるのであろうか。

 明恵が身体についてどう考えていたのか、彼の修業と身体との関係がどうなっていたのかという点については、資料が乏しいのではっきりしたことは言えない。それに比べて彼の女性との関係については、これも十分とは言えないが、多少のことは分かっているし、夢も豊富に残されているので、検討することは可能である。そこで以下、明恵と女性との関係について考察してみたい。

 明恵は女性に対して男性に対するのとほとんど同じに接していたらしい。当時としては男女の差別を最もしなかった人間だと言えるであろう。しかしそれだけをもって、彼が女性性を統合していたとは言い切れない。問題は性に対してどういう態度を取っていたかである。

 女性に関する明恵の夢を見て印象深いのは、単に女性が登場するというだけでなく、性的な夢が多いことである。とくに河合が「性夢」と名づけた夢は注目に値する。その夢の性に関する部分を現代語に訳してみると、こうなる。「大きなお堂がある。その中に一人の貴女がいる。ふくよかな顔をしていて、たいへん肥満している。・・・この人と一緒に寝て、交陰する。・・・すなわち互いに相抱き馴れ親しむ。いとしいという感情が深い。(21)」

 「此の人と合宿、交陰す」とはっきり書かれている。また「互ひに相抱き馴れ親しむ」というのは、現代ならば「睦み合う」とでも言うことのできる状態であろう。そして「哀憐の思ひ深し」というのは、一応「いとしい」と訳したが、そんなに単純ではなく、哀しさや憐れみを含んだ複雑な深い感情であろう。性の行為に伴う複雑な感情を明恵はここで味わっているのである。

 ここで、実際の経験なくして、これだけの具体的な性行為の夢を見るものであろうかという疑問が生ずる。性行為を経験したことのない者は、普通は性行為の直前で目が醒めてしまうものである。たとえ経験していても、なかなか性行為そのものにまで行くことはない。問題は知識として知っているだけで、性行為の夢を見るかという点である。その点で参考になるのは、空を飛ぶ夢である。我々は誰も一人で空を飛んだ経験はない。しかし強い願望や心理的な必然性があれば、空を飛ぶ夢を見るのである。したがって明恵がセックスの夢を見たからといって、必ずしもセックスの経験があったとは断定できない。彼も人からセックスについて聞いたことはあったものと思われる。知識として知っており、それに加えて心理的な圧力があれば、性交の夢を見ることもありうると思われる。

 そこで問題なのは、心理的圧力という点である。明恵が実際に性交の経験があったかどうかは問題ではない。一回あったかどうかというような問題ではなく、彼が生涯を通じてセックスを抑圧していたという事実が問題である。彼は戒律をことのほか重んじる立場にあった。そしてことのほか真面目な明恵のことであったから、その戒律を真面目に守っていたであろうと想像される。つまりセックスの経験はなかった可能性がきわめて高いであろう。言い換えれば、明恵の意識の立場はきわめて明確に性を抑圧していたと言うことができる。意識の立場がこのようであるとき、無意識はどう反応するであろうか。

 意識と夢の関係について、ユングはこう述べている。「意識と夢の間には、非常に厳密な因果関係と、微妙な釣合を保った相関関係とがあります。」それゆえ「私は夢解釈を試みるときにはいつでも、どのような意識的な構えが夢によって補償されているのかという疑問を抱くことにしています。(22)」

 意識と夢は密接な相関関係にあり、多く補償関係にある。明恵の場合もその関係は同様であろう。意識の立場が強い禁欲的な態度である場合、夢はその補償として性的な色合を帯びるのは当然である。だから明恵の夢に性的なものが現われていることは、明恵が性を抑圧していなかった証拠ではなくて、むしろ逆に彼が性を抑圧していた結果と見るべきなのである。明恵は性を肯定してはいなかったし、性を統合していたとは言いがたい。その点は性を統合したと言いうる親鸞とははっきり異なっているのである。

 しかるに河合氏は、明恵が「欲望を肯定」したとし、その上で「なお戒を守るという困難な課題に取り組んだ」と結論している。明恵が「欲望を肯定した」とする根拠は、例によって曖昧である。河合氏はまず明恵が不思議な声によって『理趣教』を授けられて学んだ事実を挙げ、さらに明恵が読んだ『理趣教』とは違う、性交や欲望が「ぼさつの境地」としてあからさまに肯定されている、もとの『理趣教』を示し、そしてこう言う。「明恵が『理趣教』によって、どこまで「性」の肯定に達したかは定かでないが、欲望の肯定という考えに接したことは事実であろう。・・・明恵は欲望を拒否したり、抑圧したのではなく、それを肯定しつつ、なお戒を守るという困難な課題に取り組んだのである。ここに明恵の偉大さがある。(23)」

 「欲望の肯定という考えに接した」がいつのまにか「欲望を拒否したのではない」に変わり、さらに「欲望を肯定した」に変わっている。ここでも河合流すりかえの術が健在である。

 明恵が「欲望を肯定」したとする、もうひとつの根拠として、河合氏は次の明恵の言葉を引用している。「欲心深き者、必ず仏道を得る也。されば能々此の大欲を起して、是を便として生々世々値遇し奉りて、仏の本意を覚り明らめて、一切衆生を導くべき也。」

 「欲心深き者、必ず仏道を得る也」という言葉は、決して欲望を肯定したものではない。「欲心」はあくまでマイナスの価値であるが、そのマイナスなるがゆえに救われるという逆説なのである。それはちょうど親鸞が「善人なおもて救われる、悪人においておや」と言ったからといって、親鸞が悪を肯定したのではないのと同様である。この明恵の言葉をもって、明恵が欲望を肯定したと言うのは、あまりに単純な理解と言わざるをえない。こういう浅薄な理解に基づいて「偉大だ」と賛美されては、明恵もあの世で苦笑していることであろう。

 第一「欲望の肯定」という言い方そのものが、じつに曖昧な表現なのである。「欲望」とはいったい何を指しているのか。「肯定」とはいったいどのようなことなのか。その意味を明確にしないで、「欲望の肯定」について論ずること自体、乱暴な議論と言わざるをえない。まさに曖昧な日本の、曖昧な京都の、曖昧な議論によるすりかえ、としか言いようがない。

 この辺りで十分であろう。これ以上、河合隼雄氏の出鱈目なすりかえ解釈と詭弁に付き合う必要はない。要するに河合氏の夢解釈は、先に結論があり、この場合には明恵を偉大だと賛美するという動機があり、そのために言い換え、すりかえを使って強引に「対立物の統合」「自己実現」の模範であるかのように描きだしたにすぎないのである。もちろん私は明恵が偉大でないなどと言いたいのではない。明恵は偉大な宗教者である。しかしそれは彼がユング心理学の公式に照らして、その公式どおりであったからでも、なかったからでもない。彼の時代の制約の中で、ひとつの立派な個性的な宗教者としての生を生きぬいたからこそ偉大なのである。

 だからといって、彼の時代的な制約ゆえの不十分さや、またユング心理学の眼から見た個人的な不十分さを、はっきりと指摘することは必要である。明恵は性を統合しえていなかった。これは素直に見れば誰の眼にも明らかであって、この事実を詭弁によってごまかしてはならない。もちろん、その故をもって単純に明恵の宗教が劣っていると言うのではない。しかしその点が問題点であることは確かであろう。この問題点に誠実に対決してこそ、本物の人物論になりうるのである。河合氏はこの点について、見事に統合しえたという結論に導くことによって、問題との対決を免れている。その意味で河合氏の明恵論は、とくにその夢解釈は、根本的な方法や態度において論たるにふさわしいものとはとうてい言いがたいのである。

 

(1) 河合隼雄『明恵 夢を生きる』京都松柏社、1987年、32頁。

(2) 同上、27頁。

(3) 同上、24頁。

(4) 同上、31頁。

(5) 同上、43頁。

(6) 同上、44頁。

(7) 同上、18頁。

(8) 同右上、29頁。

(9) 田中久夫『明恵』吉川弘文館、新装版、1988年 、21頁。

(10) 同上、40頁。

(11) 河合、前掲書、30頁。

(12) 同上、31頁。

(13) 同上、39頁。

(14) 同上、25頁。

(15) 同上、41頁。

(16) 同上、89頁。

(17) 同上、126頁。

(18) 同上、129頁。

(19) 同上、129頁。

(20) 同上、130頁。

(21) 同上、227頁。

(22) ユング「夢分析の実用性」、GW.16, pa.334。(江 野専次郎訳『こころの構造』日本教文社、107頁)

(23) 河合、前掲書、123頁。