フェミニズム批判

 

2 専業主婦の歴史的意義

 

(『婦人公論』平成12年3月7日号に

「専業主婦救国論・『青い鳥コンプレックス』への警鐘」として発表)

 

なぜ薬を飲むのか

 ハイテク犯罪とでも言うべき事件が、たてつづけに起きている。インターネットを通じて劇薬を注文し、それを使って自殺する。あるいは伝言ダイヤルで知り合った女性に睡眠薬を飲ませて昏睡させ、金品を奪う。

 新聞や雑誌は、パソコンやテレコミというハイテク手段に目を奪われているが、これらの事件の本質は、ハイテクを使ったというところにあるのではない。

 自殺をしたい者がそんなに多くいて、しかも自殺願望を共有することで仲間意識を持ちあう。非常に淋しい者たちの共感の空間が成立しているのだ。一方、電話を通じてしか会話を楽しめない者たち。たいていは実際に会って話すことを敬遠しているが、もっと淋しがり屋が、実際に話し相手に会ってみようと思う。会った相手が、「肌がきれいになる薬だから飲んでごらん」と言う。

 なぜ彼女たちは飲んでしまうのか。識者らは「不用心だ」「警戒心が足りない」と言うが、彼女らの心理はこうである。「それを断わると、嫌われるかも、責められるかも、人間関係が壊れてしまいはしないか」である。

 つまり彼女たちは、関係が壊れて傷つくのを極端に恐れるのである。だから薬を飲むことを断われない。相手から「信用していないのか」と責められることを、何よりも恐れている。

 こういう心理は、幼児期から正常な人間関係を経験してこなかった人間、肯定したり否定したりという関係の中で、相手との距離を適切に取ることのできない人間に特徴的な心理である。

 深層心理学の研究によれば、乳幼児期に家族の中で、とくに母親から可愛がられたという感覚を持っていない者、母親との間に親密な一体感を体験しなかった者は、他人とも親密な関係を持つことが難しくなる。人間は一度母との一体感を体験したのちに、次第に母から自立しはじめ、他人との間に適度な距離を取ることができるようになっていく。この正常なプロセスを経ないで、一体感から距離を取るまでの基本的な経験を欠いて育つと、他人との間にも、健全な距離を取ることができなくなってしまう。

 こういう人間は、親密な関係になるとノーを言ってはならないと思いこんでいたり、距離を取ると嫌われると思っていたりする。そうかと思うと、奇妙な連帯感が自殺の連鎖を生んだりする。

 

子どもを可愛がれない母親たち

 子どもが正常な人間関係を結びかねているのは、じつは育てる母性に異変が起きているからである。マスコミの中には、「密着育児」の弊害とやらをしきりに喧伝しているものもあるが、それは一つの現われ方であって、他方では母親が子育てを放棄していたり、子どもの扱いをどうしていいかわからない、無性にイライラする、いじめてしまうなど、いろいろな現象が起きている。これらは一口に言うと「母性の異変」とも言うべき現象である。普通に子どもを扱う、普通に可愛がる、普通に叱るということができない。放置になるか、過剰になるか、押しつけになるか、すべて母性が正常に働いていない現象として捉えることができる。

 そういう中で、おかしくなった母性に育てられた子どもたちが、「淋しい子」として、インターネットに、テレコミにと流れ込む。温かい家庭があって、やさしい母親と楽しい会話ができる子どもが、パソコンや電話になにかを求めるはずがないのである。

 とくに娘というものは、母親と親密になるものである。母娘の一体化は、それ自体が不健康なわけではない。C・G・ユングも言っているように、母と娘の心理的一体化は、それ自体としては自然な関係である。もちろん子どもが大人になっても、一生一体化しているのは不健康である。しかし20歳くらいまでは、子どもの心の安定のためにはむしろ必要な面もある。やみくもに母と子を引き離すほどよいと言う人がいるが、それは大きな間違いである。

 そうした、必要で健全な母子(親子)のつながりが、今の社会で大量になくなっていて、満たされない心を持った「淋しい子どもたちの群れ」が発生していることが問題なのである。

 子どもをめぐる環境の中で、とくに乳幼児期の母親の存在は決定的だが、その母親たちの中に、子どもを可愛くないとか、扱い方がわからないと言う者が増えている。

 こうした母性の異変は、なにも専業主婦か働く女性かという違いから生ずるわけではない。どちらにも同じように生じている。しかし私はあえて言うが、乳幼児にとってはやはり母親が専業主婦であるほうが、格段に望ましいと思う。

 よく新聞などには、密着育児の弊害やストレスは専業主婦のほうが多いなどと書かれているが、それは専業主婦が陥りがちな間違いを拡大して喧伝しているだけである。専業主婦の価値を落とすための「作られた神話」にすぎない。

 人間の心の発達において最も大切な乳幼児期の子どもにとって、お母さんが家にいるという状態は最も望ましい。母親が心のゆとりをもって子どもを可愛がるということが、子どもの心が豊かに育つ基本である。

 働いている母親でも、「帰宅してから集中的に可愛がればよい」とか、「密度濃く愛情を注げばよい」と言う人がいるが、それは嘘である。現実には母親は疲れきり、子どもは眠いという状況のもとで、なかなか密度濃く可愛がるということはできにくい。第一「集中的に可愛がる」とか「密度濃く愛情を注ぐ」とはどうすることか。本を読んでやるときに早口で読むことか、抱いてやるときに強く抱くことか、具体的にはどうすることなのか。そんな言い方はしょせん屁理屈の域を出ていない。

 本当に子どもに愛情が伝わるのは、母親が心の余裕をもって、ゆったりした気持ちで子どもに接するときである。そういう意味では、専業主婦のほうが子どもに愛情をそそぐのには有利な条件を持っていると言うことができる。

 もちろん、そのよい条件を上手に使っていない専業主婦がいることも事実である。しかし下手な例や悪い例をもってきて、全体を否定するのは間違いである。

 とくにフェミニストたちはやっきになって専業主婦を悪く描き、否定しようとしているが、それは大きな弊害をもたらしている。

 

青い鳥コンプレックス

 ―「専業主婦の憂うつ」はなぜ起こるのか

 フェミニストたちは専業主婦のことを「家畜」「売春婦」だとおとしめる。そういう差別語を平気で使うことも問題だが、その非難をもっともだと感ずる専業主婦たちがいることも問題である。専業主婦であることに自ら否定的な妻たちがいて、フェミニストたちの間違った喧伝に呼応している。

 昨年の11月から12月にかけて『朝日新聞』が「専業主婦の憂うつ」という特集をして意見を募集したところ、約2000通の投書があったという。初めは「憂うつ」という題名に誘われて「憂うつ」を訴える手紙が圧倒的だったのが、後半は「専業主婦で幸せ」という手紙が多くなり、最終的には半々になったそうである。

 興味深かったのは、最後の担当記者のまとめの部分である。「取材した『憂うつ』な主婦の方々が、異口同音に『本来の私』『自己実現』を訴えていました。単調な家事や育児は、『本来の私がすべきことではない』ということのようなのです。『家事の手伝いなんかしなくていいから、勉強しなさい』。小さいころから、母親にこう言われて育った方が多いのにも驚きました」。

 このまとめは、カウンセラーとして私が経験していることと、ぴったり一致している。専業主婦というあり方に憂うつだったり、不満を述べる女性は、必ずと言っていいほどに、家事や育児といった「本能・生活・日常・身体」の領域を軽蔑したり、低い価値を置いているのが特徴的である。それに対して「文化・芸術・社会・仕事」という領域が対置され、価値の高いものと考えられている。

 母親のことばで言えば、「お手伝いなんかしなくてもいいから、勉強しなさい」となる。家事と勉強と比較して、勉強のほうが価値が高いという価値観を小さいときから刷り込まれて育った世代なのである。こういう女性が専業主婦になると、「社会から切り離されてしまった」とか「文化的に取り残された」と感じ、イライラするのである。

 イメージ的に言えば、現代という時代は、女性が大地から根こそぎにされて、浮き上がったり、宙に浮いていると言えそうである。心理的に浮き上がった女性たちが、専業主婦というあり方に対して違和感を持つのである。

 私はこの女性たちの心理を「青い鳥コンプレックス」と名づけた。日常の生活の外に何かすばらしいもの、意義のあるもの、幸せがありそうに思える、という心理である。「本来の私」を「日常生活の外に」探すという心理である。これは思想史的に見ると、近代思想に特有の理性偏重・文化偏重(本能蔑視・日常蔑視)とつながっている。

 

子どもへの悪影響

 この心理は子どもに対してたいへんな悪影響を及ぼしている。育児にイライラする母親の圧倒的大多数が、この心理を持っている。この心理の持ち主から見ると、家事育児という次元の営みは、最も価値の低いことに思えるから、アセったり、イライラするのは当然なのである。イライラはしばしば虐待にまでエスカレートする。幼児虐待の最大の原因は、この「青い鳥コンプレックス」だと言っても決して言い過ぎではない。

 「こんなイライラする母親に育てられるよりは、保育園に預けたほうがいい」と正当化して、保育園に預けて働きたいという専業主婦も多い。そういう人にかぎって保育園を美化する。しかし保育園はそんな理想的なところではない。とくに乳幼児保育の弊害が大きいことは、多くの識者の指摘していることである。(保育園神話の危険については他に書いたのでここでは繰り返さない)。

 子どもにとっての母親の大切な意味を認識して、イライラの原因を取りのぞき、母親が安定した心で育児にたずさわれるように、社会全体で研究し、アドバイスをしていくべきである。その意味では、フェミニズムの理想は「乳幼児の母親も働ける社会に」ではなく、「乳幼児の母親は働かなくてもいい社会に」でなければならない。

 

専業主婦は歴史的に最も進歩的

 専業主婦という形態は、二つの意味で、歴史的に最も進んだ形態である。第一は近代社会に特有の「働け」イデオロギーから脱して、「ゆとり」を手にしたという点。第二は、その「ゆとり」を使って家族愛、母性愛を十分に発展させる可能性を手に入れた点。

 なるほど近代家族の愛情による絆の歴史は短いので、それを人類はまだまだ上手に使いこなしているとは言えない。母が子に過干渉になってしまったり、一方的な価値観を押しつけたりというように、ゆとりや母性を間違って使う例も多い。また「子どもに愛情をそそぐべし」と言われることを重荷に感ずる人や、母性愛・家族愛が「縛るもの」「閉じ込めるもの」だと感ずる人も多い。

 しかしゆとりや母性を大切だと思う考え方や、それを可能にする専業主婦という形態自体は進歩的で人間的な要素を持っているのである。

 家族のあいだの愛情などの情緒面が重要視されるようになったのは、歴史的に見て大きな進歩である。子どもたちの犯罪や問題行動の背後にあるのは、ほとんどの場合、愛情不足であることを見ても、子どもを父性と母性のバランスのもとに正しく育てることの重要性が認識されなければならない。親がきめ細かな愛情で可愛がって育てることは、子どもの人格が健全に育つためには不可欠の条件である。

 21世紀の将来の社会では、家族愛はもっと大切なものと考えられるようになるであろう。そこのところをフェミニストたちは逆に認識してしまっているのだ。フェミニズムの考え方は、逆さまである。近代を批判したかったら、女性を外へ外へと浮き足立たせて駆り立てる近代的「働け」イデオロギーをこそ批判すべきだろう。そして家族がそろって余裕を持ち愛情を交し合うことができる方向を模索すべきではないだろうか。そのほうが歴史的に進歩的な側に立つことができると思われる。

 専業主婦という形態は、子どもを健全に育てるためには非常に有利な形態であり、教育という国家百年の計を考えるならば、専業主婦を大切にすることは国を救うための最良の策だとも言えるのである。その意味では、年金にせよ税制にせよ、専業主婦を優遇することは正しい政策である。

 最後に、誤解のないように断わっておくが、私は女性が働くことを少しも否定するものではないし、女性は一生専業主婦をやっていなさいと言っているのではない。

 子どもが成長したら、働きたい女性が良好な条件で働くことのできる社会にしなければならない。また短時間労働者に対しても、良好な条件で働くことのできる社会にしなければならない。今までのフェミニズムはフルタイムで働く女性だけを念頭に置いたイデオロギーであったが、子どもを自分の手で育てたいと願う女性たち(彼女たちは多くパートで働いている)にも光をあてるようなフェミニズムが、出てきてほしいと願わずにはいられない。