フェミニズム批判

 

6 自著自薦

(3)『家族破壊』徳間書店、7月31日発行

 

特徴

フェミニズムの家族破壊思想を徹底的に批判し、家族の大切さを説いた本。

 

目 次

はじめに ──日常意識化するフェミニズム

序章 フェミニズムは「家族」を捨てた

第一章 ファシズム化するフェミニズムの脅威

      ──男女共同参画社会基本法の危険

第二章 介護保健法に隠された危険

      ──家族破壊のもくろみ  

第三章 “女性軍団”アマゾネスの陰謀

      ── 性の自己決定論の落とし穴

第四章 家庭破壊と母性否定

      ── 林−田中論争の意味するもの

 

はじめに

 ──日常意識化するフェミニズムの家族破壊思想

 

続発する少年事件の背後に横たわる家族問題

 少年が起こした異常な事件が相次ぎ、世間を驚愕させている。新潟で起きた少女誘拐事件では、犯人は少女を九年二カ月も監禁していた。名古屋市では中学生が中学生から五千四百万円を恐喝した。豊川市で起きた一七歳少年による主婦殺害事件、佐賀市の一七歳少年によるバスジャック殺人事件では、目的が「人を殺す経験をしてみたかった」と聞かされると、その異常さに心底驚かされる。その前には京都で小学二年生を校庭で殺害した二一歳の男。その前には「酒鬼薔薇」と名のり、小学生の首を切って校門に置いた一四歳の少年。

 

 すべて自分より「弱いもの」をねらい、それを支配する欲望をもっており、それが高じて殺すという行動に出ていることが分かる。これは思春期において自尊心を獲得することに失敗した者の特徴的な行動である。なんらかの挫折体験があり、しかもその現実を受け入れるだけの精神的強さを獲得していない場合には、自己肯定的な感情を持つことができなくなって、それを補償するために弱いものを自己の支配下に置こうとするのである。

 

 このようなひ弱な精神は、まず第一に父性の不足によって引き起こされる。これらの少年のすべての父親が事実上の不在であったり、弱く消極的な人格を持っていたことは多くの資料によって明らかになっている。

 

 これらの少年の母性にも明らかな歪みが見てとれる。離婚による母の不在、溺愛、過度な期待、無神経な扱い、優しさの欠如など、典型的な母性の歪みと言うことができる。

 

 要するに、これらすべての奇怪な事件の背後には、必ずといっていいほどに父性と母性の不足や歪みが見られるのである。

 

 これらの異常な事件の背後にうずもれた形になっているが、じつは日常的なレベルでも異常な事態が進行している。たとえば、「援助交際」という名の少女売春、ローティーンの少女が深夜の盛り場をうろつき、そのまま「プチ家出」と称して家に帰らないで、親には無断で友達などの家に泊まったり、少年グループが一人の少年をリンチし殺したり重傷を負わせるという事件も相次いでいる。それらの犯人たちの家庭もまた崩壊していると言わざるをえない。

 

 親とくに母親たちの関心が「働く」ことや自分のことに向いていき、子どもに対する関心や愛情を邪魔だと感ずる感覚がはびこっている。子どもに「縛られる」のは「遅れている」という感覚が蔓延しはじめている。

 

 一般的に言うと、母性が不足すると自暴自棄になったり、攻撃的になりがちである。家の中に暖かい母性がなければ、子どもたちは家に帰りたくないから外の街をほっつき歩くようになり、さらに父性不足からくる規範意識の希薄な者はアウトローになって暴力をふるうようになる。日本中から暖かい明るい家庭が消滅しつつあることが、これらの異常な現象の背後に横たわっているのである。

 

気づかれずに浸透してしまったフェミニズムの猛毒

 母性と家族を否定し、親たちを家の外に駆り立てている最大の勢力がフェミニズムである。この思想にかぶれると、子どもが邪魔に感じられ、「子どもに縛られている」自分がみじめに感じられてきて、外で「颯爽と仕事している」女性をうらやましく感じるようになる。すると子どもが憎らしくなり、だんだん暴力をふるうようになり、最後は虐待にまで及ぶ。幼児虐待は家族崩壊と母性解体の最も残酷な帰結である。

 

 日本じゅうがフェミニズムの仕掛けた罠にはまりつつある。フェミニズムの害毒は大衆レベルにまで浸透し、その心を洗脳し、蝕んでいる。フェミニズムのスローガンは、フェミニズムのものとは気づかれないで、日常生活の中に入りこんでいる。

 

 たとえば、「個の自立」という言葉がしきりにもてはやされる。この言葉から「女性は自立するために働くべし」というスローガンが生まれ、日常生活の中に浸透している。「自立」指向と「働け」イデオロギーとは対になっている。そして、働かない専業主婦は「怠惰だ」「非生産的だ」と非難される。「女性の自立に反対する夫とは別れなさい」と離婚が奨励される。明らかにフェミニズムの影響なのに、本人はそう思っていない。

 

 「自己実現」という言葉もたいへん流行っている。なぜかこの言葉を使う女性は、「自己実現」が育児を通してもなされるとは決して考えないで、子どもを他人に預けて働くことによって得られると思い込んでいる。これもフェミニズムの影響なのに、本人は普遍的な真理だと思い込んでいて、フェミニズムの影響を意識していない。家事も育児も「社会化」することが進歩的だと思い込んでいるが、それもフェミニズムの影響なのである。

 

 「多様な家族」というかけ声も強く浸透している。「いろいろあっていいじゃん」という言い方が普通に聞かれるようになっている。良いことも悪いことも、みな平等に存在する権利があると言わんばかりである。離婚の結果の片親も、シングル・マザーも、ホモカップルも、すべて対等に認めよ、「多様な」価値を認めよというかけ声は、フェミニズムの家族論と密接に関係しているが、これもフェミニズムの関与は意識されていない。

 

 「性別役割分担」の否定に代表される、男女の区別否定論も、フェミニズムのスローガンだったのに、今では普通のこととして若者の中に浸透している。教師の、とくに家庭科の教師の多くがフェミニストであり、授業の中で「ジェンダーフリー」教育をほどこすので、生徒は知らぬ間にフェミニズムのシャワーを浴びて育つ。意識しないうちにフェミニズムを持たせられてしまう。

 

 「母性神話」「三歳児神話」という言葉もどんどん浸透し、「母親でなくてもいい」とか「親はなくても子は育つ」という言葉が大手をふってまかり通っている。

 

 これらの言葉やスローガンは、もとはフェミニズムの用語だったものだが、それがフェミニズム起源だとは意識されないで、当然のものであるかのように大衆の中に浸透している。この現象はすでに大衆的な洗脳と言うべきところにまで来ている。フェミニズムは大衆の心を洗脳することにかなりの程度成功している。

 

 この洗脳の結果、何がもたらされつつあるか。それは家族の破壊である。「個の自立」「外に出て働くことによる自己実現」「家事と育児のアウトソーシング(外注)」「子育てに親はいらない」「多様な家族」等々の言葉は、結局は「家族はいらない」という一つの言葉に収斂されていく。フェミニズムの大衆的浸透の結果は、結局、家族不要論に行き着くのである。

 

 フェミニズムは家族破壊論だということを、われわれは今こそ認識しなければならない。以下、フェミニズムの家族破壊的な理論を暴露して、警鐘を鳴らしたい。