フェミニズム批判

 

4 フェミニズムの陰謀

  (5) 国民の洗脳をもくろむフェミニスト・ファシズム

 

怖れていた事態

 平成11年に施行された「男女共同参画社会基本法」は、各地方自治体に同様の趣旨の施策を進めることを義務づけている。いますべての自治体において、男女共同参画社会に向けて審議会を作り、条例を作り、男女平等のための教育や啓蒙活動を展開している。

 「男女平等」と言うと聞こえはいいが、その内実は99パーセントまでが「男女の区別をなくすこと」を意味している。

 どの地方自治体でも、また学校の現場でも、「男女平等」とは男女の違いをなくすことだという理解が圧倒的に浸透しており、その意味での「男女平等」を推進しようとしている。

 これは「男女の区別をしてはいけない」という思想統制であり、思想信条の自由に対する重大な侵害である。人間の意識に対するイデオロギー的な強制である。人権に対する重大な侵害と言わざるをえない。

 しかし問題はそれのみにとどまらない。実際に男女を区別してはいけないとなると、子どもたちのアイデンティティーが危機にさらされるのである。人間のアイデンティティーが確立されるためには、自分が男性に同一化するか女性に同一化するかが、重要な要素になる。自分の生物学的な性に同一化することは、健全な心の発達にとってたいへん重要である。これが自然になされないと、子どもたちは不安を感じ、心が不安定になり、自我が正常に発達しない恐れさえある。極端な場合には人格障害に陥る場合もある。

 男女の違いを否定したり、「男らしさ」「女らしさ」を否定するのは、男の子と女の子がアイデンティティーを持つことに対する重大な障害になりうる。

 このアイデンティティーを混乱させるような「ジェンダーフリー教育」を徹底して受けた子どもたちは、将来「心の病」になる率が飛躍的に増大する危険がある。

 ところが「男女共同参画社会基本法」の地方自治体への浸透に比例して、教育の場で「男女の区別をなくす」施策が、ここにきて急ピッチで現実化しつつある。

 これは由々しき一大事と言わなければならない。本当は男女の区別を正しく教え、男女の正しい違いと分業を教えることが必要なのである。

 

男女の心理的な壁がなくなると

 しかし今推進されているジェンダーフリー教育は、服装も服や持ち物の色も、健康診断も、体育の授業も、すべて区別なしに行うことを目標にしている。そうなると、当然、男女の心理的な壁はなくなる。すると男女の性的な交わりへの心理的な壁も薄くなる。心理的抵抗感がなくなるのである。そこへもってきて、性教育とやらで、妊娠しない方法が教えられ、ピルの使い方まで教えられる。

 性交体験の低年齢化がおし進められ、精神が幼稚なままで同棲や妊娠・出産を強いられるようになる。ヤンママの傾向は今までも進んでいたが、ジェンダーフリー教育によってさらに加速されるだろう。

 

「男女混合名簿」60パーセントに!

 ところが、自治体の長や教育長の多くが、まったく無批判に「ジェンダーフリー」を「良い」ことのように信じており、男女の区別をなくすことを熱心に進めようとしている。

 たとえば、千葉県では、男女混合名簿(日教組はこれを「女男混合名簿」と呼んでいる)が、今年度は16パーセントだったのが、来年度は一挙に60パーセントになるそうである(『産経新聞』平成14年3月14日の「アピール」欄での浪平繁貴氏)。大阪府の男女混合名簿の採用率は千葉県をしのいでいるそうである。

 長野県でも、県の教育長が男女混合名簿にするように指令を出したそうである。あらゆる地方で、同様の事態が進んでいるのであろう。

 

男女平等意識を育てる ?

 千葉県には「県政モニター」という制度があり、モニターを引き受けた市民に「県政モニターアンケート調査」が送られてきた。そのコピーを私に送ってくれた人がいる。

 それを見るとアンケートというものがいかにゴマカシに使われる危険を隠しているかよく分かる。

 質問「あなたは、学校の中で男女平等を進めるために、どのようなことを行う必要があると思いますか。」として次の選択肢が示されている(複数回答可)。

1. 出席簿をはじめ、座席やロッカーの順番、集会時の整列など、男女を分ける習慣をなくすこと

2. 例えば、学級委員長を男の子、副委員長を女の子にするなどを行わずに、学校生活での児童・生徒の役割分担を男女同じにすること

3. 男女必修で行われている家庭科をはじめ、男女平等の意識を育てる授業を充実させること

4. 男女平等教育に関する教職員の研修を行うこと

5. 生活指導や進路指導において、男女の性別にとらわれず能力を生かせるよう配慮すること

6. 自分の性に関する認識を確かにさせ、意思決定や行動選択などができるよう、性教育の充実に努めること

7. 男女平等に対する保護者の理解を深めること

8. 校長や教頭に女性を増やしていくこと (下線-林)

 

 普通に(素朴に)「男女平等はよいことだ」と思っている人は、おそらくこれらの項目のほとんどに丸をつけるのではないだろうか。

 しかしよく考えてみると、「男女を分ける習慣をなくすこと」、「役割分担を男女同じにすること」、「校長や教頭に女性を増やすこと」は、正しいのかどうか大いに問題がある。少なくとも真の男女平等にとって必要なことかどうかも、大いに問題である。

 しかし県政モニターを引き受けている「進んだ考え」をもった人たちは、この項目全部に丸をつけかねない。

 こうして、県民の代表によって選定された政策は、実際に学校で推進されるようになる。

 とくに「男女必修で行われている家庭科をはじめ、男女平等の意識を育てる授業を充実させる」「男女平等教育に関する教職員の研修を行う」「男女平等に対する保護者の理解を深める」と言いながら、「男女平等」の中身は実は「男女の区別をなくす」ことである。

 「男女混合名簿」に見られるように、フェミニストにとっては「男女平等」と「男女の区別をなくすこと」とは同じ意味である。つまり「男女平等」教育はアンケートによってこれだけの支持が得られたと言って、「男女混合教育」が実施されていくことになる。

 この意味での「男女平等」へと「意識」を変革し、男女の違いをなくしてしまおうというのが、フェミニストたちの目標である。

 

三重県の「参画条例案」は憲法違反

 この意識変革をあからさまに標榜しているのが三重県の「参画条例案」である。新田均氏の新著『一刀両断 先生、もっと勉強しなさい』(国書刊行会)によると、その条例の「基本目標」には「男女の固定的な役割分担意識の是正」が唱われている(211ページ)。「意識」そのものが槍玉に挙がり、「意識」を変えることが目的とされている。

 これは私が「男女共同参画社会基本法」の制定の当時から共産主義的またはファシズム的な「隠された意図」として指摘してきたことであるが、やはりこうした形で具体化されてきたのである。

 さらに同条例の個別の条文の中には「県民は、性別による差別意識や固定的な役割分担意識を見直し、男女が共同参画することに価値を見出すよう努力しなければならない」と規定される予定であるという(同ページ)。

 これははっきりいって個人の思想信条の自由を唱っている憲法に違反する条例と言わなければならない。個人の意識や価値観に対して、これだけの押しつけをするような暴挙は、共産圏や独裁国ならいさ知らず、自由主義陣営では見たことも聞いたこともない。

 フェミニストというのは、よほど独裁的・支配的な精神を持っているものと見える。

 

 三重県や千葉県にかぎらず、いま全国で大同小異の条例や施策が進められている。この馬鹿げた、しかし危険な陰謀がまかり通らないように、われわれは監視し、行動を起こしていかなければならない。

 

 皆さん、各自治体の実体をお知らせください。