フェミニズム

 

30 高校教科書は変わったか 家庭科 家族否定思想が浸透

 

       ──『産經新聞』平成18年7月21日付

 

 家庭科の教科書や授業が歪んだフェミニズムによる宣伝と洗脳の場になってきたことは、つとに指摘されてきた。来春から使われる高校の家庭科教科書において、その点がいかに改善されているかを調べてみたが、まだまだ改善とはほど遠いことが明かとなった。問題点はとくに「家族」と「子育て」の箇所に集中している。これらの点でのフェミニズム汚染は、強弱の違いはあっても、すべての教科書に共通している。(以下引用の中で出版社名のみを示す場合には、『家庭基礎』を指す。)

 第一の特徴は、「家族」の定義が欠けていることである。定義を書いている場合にも、「家族とは血縁者を中心に共同生活する集団」と考えられてきたが、近年では「家族形態が多様化し変化している」ので、「家族の定義は難しくなっている」としている。

 定義ができないのは、「それぞれの人が家族と考える範囲は、人によって異なっている」「だれを家族と考えるかは主観的なもの」だからと述べられている(東京書籍『家庭総合』など、すべての教科書に共通)。

 「家族」を客観的に捉え考えるかわりに、自分が思うものが「家族」だと言っているに等しい。この思考方法から見ると、家族はどんどん多様化しているし、いくらでも変化していくものと捉えられることになる。

 つまり「家族」の定義は人間の数だけあるということになる。「家族」を客観的に捉え考えるかわりに、自分が思うものが「家族」だと言っているに等しいのである。

 第二の特徴は、「固定的性別役割分担」または「性別役割分担」そのものを否定する記述が多い点である(東京書籍、大修館書店、開隆堂、教育図書)。例えば大修館書店には、「男は仕事、女は家庭」という「性別役割分業意識にとらわれることは、家庭においても社会においても、そして女性にとっても男性にとっても充実した生活を実現する妨げとなる」と書かれている。これなどは偏向した思想の押しつけ以外の何物でもない。

 第三の特徴は、「三歳児神話」には「科学的根拠はない」という記述が多く見られる点である。そう断言する科学的根拠はなにかと言えば、きわめて特殊なフェミニズム公式主義によって書かれた平成10年の『厚生白書』一点張りである(実教出版、大修館書店)。その「白書」自体の科学的根拠はまったく示されていないのに、政府の「白書」だという権威をかさにきて、絶対の権威のこどくに扱っている。

 第四の特徴は、国連の「女性差別撤廃条約」「子供の権利条約」等の「条約」や国際会議の決議を多く引用して権威づけ、特定のイデオロギーに基づく偏向した内容であることを隠蔽している点である。日本人の国連神話、国連信仰を利用して、特定のイデオロギー(フェミニズム)を注入しようとしている。

 とくに「子供の権利条約」の紹介の仕方がきわめて偏っている。「意見表明権」「思想信条の自由」「結社・集会権」ばかり強調され、それらの権利は「成熟した人格を前提としている」ことが条約そのものの中に謳われていることにはどの教科書もまったくふれていない。

 夫婦別姓について扱っている教科書は、すべて賛成論だけを紹介し、反対論にはまったくふれていない(実教出版、)。東京書籍は内閣府の1991年の夫婦別姓に関するインチキ世論調査の図表を掲げている。

 総じて言えることは、家族や育児に関して、すべての教科書がフェミニズム公式主義に汚染されているということである。中には、構成の点でも客観性の点でもバランスのとれた第一学習社や教育図書のような教科書もある。ところが残念なことに、教育図書の場合には「家族」についての記述の中にフェミニズムの公式が無批判に並んでいる。

 例えば「多様化する家族」や「生まれた家族」「創る家族」という分類法、「夫は職場、妻は家庭」を守るべきかについての平成14年の内閣府による世論調査(1997年より賛成が減り、反対が増えている)を示している。また「家事労働」が「無償労働」(アンペイド・ワーク)であるという註をわざわざ付けたり、M 字型就労の図を掲げている。

 最も妥当だと思われる構成や記述をしている教科書にして、この有様である。教科書の世界でも、いかにフェミニズム汚染が進んでいるかを示していると言える。

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