フェミニズム

 

28 フェミニズムに媚びる学問の堕落 ──川上清文氏の場合 

        (平成17年1月17日初出)

 

 女性学またはフェミニズムが学問を崩壊させている。マルクス主義のもとで学問はイデオロギーの侍女になりさがったが、フェミニズムのもとでも学問は確実にイデオロギーに叩頭(こうとう)している。とくに方法論がめちゃくちゃになり、フェ理屈が横行している。フェミニズムに媚びた言い方や結論を出せば認めてもらえるので、方法論に対する厳密さや緊張がなくなるからである。

 最近見られた典型的な例を示そう。『産經新聞』の「こども」面に「新・赤ちゃん学 私の研究室から」という連載が載っている。現在の担当者は川上清文氏(聖心女子大学文学部教授)である。平成16年12月28日付には「母性神話の崩壊」という題名で、また平成17年1月11日付には「においとストレス」について書かれているが、両者とも崩壊した方法論の典型、というより学問の頽落を示している。

 川上氏は、赤ちゃんが採血するときに痛さにどう反応するか、音を聞かせたら反応がどう変化するかを研究したそうである。一般に、音がストレスを緩和するという効果についてはよく知られており、われわれも単調な音を聞いていると眠くなるという形で日常的に体験している。問題はどういう音がより効果的かである。それを川上氏は研究したという。平成16年12月28日付によると、

 泣いている赤ちゃんに、心音を聞かせると泣きやむ、お母さんのおなかの中で聞いた音だからだ、という話に私は疑問を持っていました。

ということである。なるほど、なにごとにも疑問を持つことはよいことである。疑問は学問の始まりであり、基本である。しかし、もっと大切なのは、その疑問をどう客観的に解明するかである。疑問を持っただけでは学問にはならない。

 川上氏は、赤ちゃんを三つのグループ(何も聞かせない、心音を聞かせる、ザーという雑音=ホワイトノイズを聞かせる)に分けて、調べた。結果は

 心音を聞かせると、確かに音がない群より泣きが少ないのですが、ホワイトノイズはさらに効果的だったのです。

 この研究結果で重要なのは、次の二点です。ひとつは、ホワイトノイズが効果的だったということです。前に述べたように、赤ちゃんが恐らく聞いたことがない音、しかも少し不快かもしれない音が、ストレスを緩和したわけです。母性神話の崩壊です。(後略)

 これだけの研究から、いきなり「母性神話の崩壊です」という結論が出てくるのには驚かされた。結論にまで至る学問的手続きや方法論というものが、まったく無視されている。

 そもそも「母性神話」という言葉がどういう意味で使われているのか分からない。普通は「母性神話」とは、「子供の成長にとって母親の存在やあり方が特別な意味を持っている」ということは神話にすぎない、すなわち母親は特別な意味を持っていない、という意味で使われる。「母性神話」とは、単に「心音を聞かせると泣きやむのは、お母さんのおなかの中で聞いた音だからだ」という命題ではない。確かに、その命題は、母親の特別な意味を示しているので、「母性神話の象徴だ」とは言える。しかしその命題が否定されても、決して「母親の特別の意味」一般は否定されない。つまり「母性神話は崩壊して」いないのである。(こんな当たり前のことを、「教授」の肩書きを持った学者を相手に一生懸命に論じなければならないとは、なんともなさけない。)

 要するに、これだけの研究から「母性神話の崩壊」を結論するのは、あまりにも過度な一般化であると言える。しかしこの研究の解釈には、他にも重大な欠陥がある。

 この研究が示しているのは、「緊張を弛緩させる(注意をそらせる、気をまぎらわせる)には心音より雑音の方がやや効果的だ」という一般常識を追認したことだけである。それ以下でもそれ以上でもない。私の子育ての体験でも、子供のそばで掃除機をかけたら子供が眠ってしまった。それも一回や二回ではなく、常にそういう現象が見られた。またビニール袋をゴシャゴシャともむと子供が泣き止むという実験をテレビでしているのを見たことがある。そのテレビ番組の解釈は、ビニール袋をもむ音が、母親の体内の血流の音に似ているからというものだった。しかしそのせいか、単なる雑音のせいかは、分からないと言うべきである。

 しかも、川上氏の研究結果によれば、母親の心音によってもかなりの確率で赤ちゃんが泣きやむことが確認されている。心音とホワイトノイズの効果はほとんど変わらないくらいである。心音もまた効果的だったことが確かめられたと言うべきである。この研究結果によっては、「母性神話」は少しも崩壊していないのである。どうして鬼の首でも取ったかのように、「母性神話の崩壊です」と宣言することができるのか、不思議な頭脳と言うべきである。

 川上氏の研究は、ストレス解消についての研究である。しかし母親の心音や血流音の効果は、もっと別の効果、すなわち赤ちゃんを安心させる効果を持っているのかもしれない。緊張緩和の効果と、安心させる効果とは、近い関係にあるし、相互に影響し合うだろうが、しかし概念的には分けて考えるべきである。そして安心させる効果こそが、赤ちゃんの心の状態や発達にとって最も大切なものである。それは単なる雑音では決して持つことのできない心理的な重要な「効果」である。この二つをまったく無邪気に混同して、あっけらかんと「母性神話の崩壊です」と言い切ってしまう無神経には、驚きを通り越して呆れてしまう。

 こういう「学問」を教えられた者が母親になると、赤ちゃんが泣いてもテレビを見せておくとおとなしくなると言って、母子のコミュニケーションを軽視する母親になりかねないのである。母親が持つ「 効果」をストレス解消に矮小化してはならない。心理的な相互作用こそ、赤ちゃんの心の発達にとって最も大切なものである。

 

「心音」仮説と「刷り込み」に関する欺瞞

 さらに平成17年1月11日付には、学問の欺瞞的な使い方の典型が見られる。欺瞞をあばき間違いを正すのが学問の使命なのに、彼の場合は世間をまどわすために学問を使っている。しかもその欺瞞はフェミニズムに媚びる内容になっており、フェ理屈そのものである。

 川上氏は「刻印づけ」( imprinting 今までは「刷り込み」と訳されることが多かった)について、こう述べている。

 赤ちゃんが心音を聞くと泣きやむのは、お母さんのおなかの中で聞いていた音だから、と考えた人がいます。心音に刻印づけされた、というわけです。刻印づけの専門家は、刻印づけと呼ぶための二つの条件を示しています、(1) 生後の限られた時期(敏感期)にのみ起こる、(2) 二度と消えない─です。そして、ヒトには厳密な意味でそれらにあてはまるものはない、といいます。ヒトは融通性に富む存在なのです。

 いかにも学問的な言い方をし、学問的に聞こえる用語を使い、厳密な定義をしてみせるかのように権威づけして語られている。しかし、この言説はすべてごまかしなのである。うっかり読み流すと、ごまかしに騙される。

 第一のごまかし。「赤ちゃんが心音を聞くと泣きやむのは、お母さんのおなかの中で聞いていた音だから」という仮説を、「心音に刻印づけされた」と言い換える。その仮説を主張している(した)人は多いが、私の知るかぎり、それを「刷り込み」だと言った人はいない。「刷り込み」と同一の現象だと主張した人を私は知らない。私の知らないところでそういう用語を使った人がいるかもしれないが、いるとしてもそれはごく少数派である。上の「心音」仮説を「刷り込み」説だと言い換えるのは、意識的な欺瞞でなければ、学者にふさわしくないあまりにも粗雑な言葉の使い方である。

 第二のごまかし。「ヒトには厳密な意味でそれらにあてはまるものはない」。当たり前の話である。「刷り込み」は鳥類にのみ見られる現象であり、他の生物には「厳密な意味では」存在していない(正確に言えば「発見されていない」)。だからそれが人間に見られないのは当たり前の話である。しかし、だからといって、「心音」仮説が誤りだとか、母子の結びつきのメカニズム一般が人間に欠けているという結論にはならない。そういう結論に導くのは、なんらかの意図かイデオロギーをもった欺瞞的誘導でしかない。

 母子の絆が形成される(あるいは絆が確認される)メカニズムは、きわめて多くの生物に見られる一般的な現象である。例えば、母子が声で確認し合う場合、匂いで確認し合う場合などは、広く見られる。いずれも驚くほどに確実に母子が互いを認識できるのである。それらは全て生得的に備わっている能力である。鳥類の「刷り込み」という現象は、それらのうちの一形態にすぎず、とくに視覚に頼った方法(声も頼りにしているかもしれない)だと言うことができる。それは生後に獲得されるように見えるけれども、じつはそのメカニズムそのものは生得的なものである。視覚に限らなければ、母子の絆の形成は生物界に広く見られる、ごく当たり前の(子供が生きていくために絶対に必要な)現象である。

 この母子の絆の形成という観点から見ると、人間にも明らかにこのメカニズムが備わっているのである。この研究は「母子相互作用」の研究としてよく知られている。母子の双方から、相互の確認がなされる。人間の場合、その作用に愛情が伴うのが特徴である。また人間の場合、視覚も聴覚も臭覚も味覚も触覚も、すべてが総動員されているという研究もある。(赤ちゃんは母親の乳の匂いや体臭も嗅ぎわけるし、母乳の味も分かるし、もちろん声も聞き分けることができるし、顔を見分けることもできるようになる。くわしくは拙著『母性の復権』を参照されたい。)人間の特徴は、一つひとつの手段は鋭利でなくなっているが、多くの手段を組み合わせていることと、心理的な要素、とくに愛情という要素の作用が重要性を増していることである。

 「刷り込み」に似た、またはそれに対応するような現象は、人類にもあるのである。ただし、ヒトの母子結合は「(1) 生後の限られた時期(敏感期)(たいてい数分間)にのみ起こる、(2) 二度と消えない」というような機械的な形では起こらない。もっと緩やかであるが、複合的である。例えば、心音の記憶のように生まれる前に起きたり、「人見知り」を引き起こす心理的な母子結合のように、生まれてから半年以上という長い期間に亘って徐々に出来上がる場合もある。

 要するに、人間の母子のつながりの形成が、鳥類の「刷り込み」と同じでないからといって、絆の形成それ自体が存在しないとは言えないし、ましてや「母親の特別の作用」(母性神話と言われる)の意義がなくなるわけでもないのである。

 「お母さんの心音」は、子供の側からの母親の認識の一つの手段にすぎない。それが「刷り込み」のような狭い概念に当てはまらないということを示しただけでは、「母性神話」を批判したことにはならない。なのに、川上氏は「母性神話の崩壊」という言葉を入れて、フェミニズムに忠誠を誓ってみせる。まさしくフェミニズムに媚びた学問の歪みであり、堕落である。

 ここまで学問が崩壊しているのだ。とくに女子大ではどこでもフェミニズムの支配が進んでおり、イデオロギー主導の女性学が学問を堕落させている。さらにとくに心理学の領域では、主観的なアンケート調査をもって「実証的研究」と称したり、方法論に対する無関心が横行している。この川上氏の方法論的無神経も、単独の現象ではなく、フェミニズムの影響下にある学問の退廃を示しているのである。

 それにしても、最近の『産經新聞』はおかしい。フェミニズムにどんどん傾いている。『産經新聞』よ、お前もか、と言われるようなことにならなければよいが。

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