フェミニズム  

33 高校試験問題にまたもや偏向出題

        (平成16年12月7日初出)

 

 「濱の真砂は尽きるとも」世にジェンフリの種は尽きまじ。入試や期末試験を生徒の洗脳や思想誘導のために使った例として、大学入試センターの試験に「朝鮮人強制連行」を史実として正解とする問題が出されて世の顰蹙を買ったが、またもやとんでもない逸脱が明るみに出た。

 鳥取県立境高校1学年「現代社会」の「12月考査」において、「ジェンダーフリー」を進めるのが当然だという前提の次のような問題が出された。

 次の記事を読んで、どのようなことに注意しながら「ジェンダー・フリー」を進めれて(ママ)いけばよいか。あなたの考えを300〜340字で述べなさい。

 として、「記事」が引用されている(末尾に問題文の全文を引用)。ところがこの「記事」がどの新聞または雑誌に掲載されたものか、どこにも書かれていないのである。「記事」とだけ書いて出典を示さないのは著作権上も問題であろう。

 さらに、肝心の内容たるや、フェミニストの主張にそった、きわめて偏ったものである。フェミニストの主張とは、

 「ジェンダーフリー」とは本来は「性差別解消」「社会的・文化的な性差からの解放」という意味なのに、「一部で」間違って「性差否定」の意味で使われている。つまり用語の意味について誤解がある。ところが東京都教育委員会と都知事は、その誤解を正すことをしないで、いきなりジェンダーフリーを否定した。これは偏見や歪曲をそのまま利用して、ジェンダーフリーを葬ろうとするものである。

 すでに繰り返し指摘してきたように、「ジェンダーフリー」は「性差別解消」という意味ではなく、教育や自治体の実践の場では圧倒的に「性差否定」という意味で使われてきた。そもそも「フリー」という言葉には「差別解消」という意味は含まれておらず、むしろ「性差そのものの解消」という意味に取られやすい。それどころか、「性差別解消のためには男女の区別をなくさなければならない」として、積極的に性差解消を目的にした実践をしてきたのがフェミニストたちである。

 今になって「性差別解消と性差解消は別だ、性差否定と受け取るのは誤解だ」というのは、事実に反しているばかりか、言葉のダフルスタンダード(両義性)を悪用した卑怯な言い逃れでしかない。ジェンダーフリーという言葉を都知事が「歪曲して使っている」と言うが、「歪曲して」と言われるような「性差否定」の意味で使っていたのはフェミニスト自身ではなかったのか。

 試験問題に引用されている「記事」は、このフェミニストの卑怯な言い逃れにそのままそって書かれている。冒頭に

 「ジェンダー・フリー」は一般的に「社会的・文化的な性差からの解放」という意味で使われている

というウソが書かれている。「一般的に」という何を意味するか不明な言葉を使うこと自体が欺瞞的だが、社会全般を見ても、教育や自治体による啓蒙の現場では「性差否定」の意味で使われている場合が非常に多い。このウソに従って「考える」ことを生徒たちは強制されているのである。

 その上に、女性団体や教職員組合の主張、北京で開催された「世界女性会議」やNGOのジェンダーフリー派の見解だけを取り上げており、国がジェンダーフリーという用語を使うべきでないと明言したことや、男女共同参画社会基本法にはジェンダーフリーという用語が使われていないことは書かれていない。いろいろな意味で偏った記事であることは明白である。

 この記事、じつは『毎日新聞』本年10月14日の記事である。こういう偏った記事をそのまま「正しい」内容として試験問題に使ったのである。この教師自身がきわめて偏った思想の持ち主であることを示している。

 次に問題なのは、問題文の出し方が最初から「ジェンダーフリーを進めるのはよいことだ」という価値観から出されていることである。「どのようなことに注意しながらジェンダー・フリーを進めていけばよいか」という問題の出し方はきわめて一方的であり、一定の価値観を押しつけるという意味できわめて不適切である。もし「ジェンダーフリー」を取り上げるのならば、もっと客観的に「ジェンダーフリー」の意味とか、この言葉を巡ってどのようなことが論争点になっているのかといった、ジェンダーフリーについての客観的な理解を深めるような問いにすべきである。

 しかし、このような問題文だと、「正解」は「ジェンダーフリーの本来の意味は性差別解消なのに、性差解消という間違った意味に取って反対する人たちがいるので、その誤解を解いて、ジェンダーフリーを進めていくべきだ」ということになる。それ以外の「正解」「解答」は考えられない。はじめから「問い」が偏っているので、「解答」も偏らざるをえないのである。

 この「問い」と「解答」のセットの犯罪的なところは、生徒たちに「ジェンダーフリーは正しいが、誤解されただけだ」として、ジェンダーフリーがまき散らした弊害や逸脱を無視したり過小評価させようとしている点である。というより、生徒たちには弊害や逸脱の事実を教えていないのではないか。批判者たちが程度の低い誤解をして、性差別そのものに対して馬鹿な反対をしているというように描いているのである。教育の中立性から大きくはずれたテストの問題文と言わざるをえない。

 この教師は、「問いと正解」を強制するという権力(問題作成権と採点権)をもつ立場を利用して、教育の場を生徒の洗脳の場にしているという意味で、厳重に処分されるべきである。校長は監督不行届きとして責任を取り、今後こういうことが起きないように厳重に対策を講ずるべきである。またこの教師の名前を公表すべきである。

 

 以下にその問題文の全文を引用する。

 1年 現代社会 12月考査 H.16.12

(1〜11省略)

12.次の記事を読んで、どのようなことに注意しながら「ジェンダー・フリー」を進めれて(ママ)いけばよいか。あなたの考えを300〜340字で述べなさい。

 

■都教委が否定的見解

「ジェンダー・フリー」は一般的に「社会的・文化的な性差からの解放」という意味で使われている。

 都教委は8月26日、この言葉について、「一部で『男らしさ』や『女らしさ』をすべて否定するという意味で使われている」として、「男女平等教育を推進する上で使わない」とする見解をまとめた。これに基づき、都立学校長に出した通知では「ジェンダー・フリーに基づく男女混合名簿を作成してはならない」と指示した。いずれも、用語の使用をめぐって「誤解と混乱が生じている」ことを問題視した。

 石原慎太郎知事も6月の都議会の答弁で「男と女がある限り、男と女が同質であるわけはない。ジェンダー・フリーなるものが、男女の質の差までを否定するというならば、これは文化的にも歴史的にも間違っている」と述べていた。

 都教委は今回の通知の背景を「一部の小学校で身体計測や内科検診を男女混合で行ったり、高学年の組体操を男女混合で行ったりする例があった」と説明する。

 これに対し、女性団体などでつくる「ジェンダー平等社会をめざすネットワーク」は9月22日、「都教委は誤解とわい曲を吟味・検討し混乱を正すのではなく、かえって意図的に言い立てて強圧的な対応を行っている」として、見解と通知の撤回を求めた。都教職員組合も都教委の姿勢を「一面的で偏見に満ちている」と非難した。

 また、超党派の地方議員らで構成する「全国フェミニスト議員連盟」の佐藤百代代表は「知事はわい曲したまま使用している。本来の使い方をやめることは、わい曲された意味を強めることになる」と話す。

 

■ 男女混合名簿にもクギ

男子が先に並べられた名簿については、1995年に中国・北京で開催された「世界女性会議」で、「女性は後回しという考えを無意識に浸透させる」と指摘された経緯がある。このため、同会議の参加者によるNGO(非政府組織)「北京JAC関東」は「トイレや更衣室の男女別は当たり前だが、出席簿の順は女子が男子の後でよいとは思わない」と石原知事に申し入れた。

 都としても、02年にまとめた「男女平等参画のための東京都行動計画」では混合名簿の導入推進を明記した事実がある。それだけに、「ジェンダー・フリーの考え方に基づく混合名簿の作成」を禁じる今回の通知に学校現場では戸惑いが広がっている。

 都教育庁によると、混合名簿の廃止を決めた学校の報告例はまだないが、組合関係者の話では見直しを検討し始めている例はあるという。学校関係者の1人は「ジェンダー・フリー思想に基づく名簿と疑われることを恐れた『萎縮(いしゅく)効果』が生じている」と指摘する。

 今回の通知について、都教育庁総務部の担当者は「男女混合名簿をすべて否定するものではない。都教委の見解を踏まえ、改めて学校長に判断してもらうということだ。男女共同参画をめざして進んできた都教委の本質的な考え方は変わっていない」と説明している。

 

 

採点基準は字数 ! ?

        (平成16年12月14日加筆)

 

 神奈川県の野牧雅子氏がこの出題教諭に直接電話をかけた内容が氏のホームページに掲載されている。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~constanze/nomarintopx.html

 それによると、「どのようにして採点するのか」と採点基準について問いただしたところ、「答案の字数によって点をつける」と答えたそうである。さらにこの問題は100点満点のうち25点であり、ジェンダーフリーについての授業は2時間をかけたことも分かった。

 どの点をとっても、あまりにも常識はずれである。

 そもそもジェンダーフリーについて何を教えたかが問題である。ジェンダーフリーについて教えるということは、もちろん指導要領の中にはないし、政府が使わないと決めた言葉である。それをなぜわざわざ取り上げなければならないのか。こんなに社会的に争点になっているテーマを取り上げて、どういう教え方をしたのか、ぜひ知りたいと思う。

 試験というのは当然、授業の中で教えたことをよく理解しているかどうかを評価するためのものである。教えていないことを試験に出したのなら問題だし、この問題にあるようなことを教えたのなら偏向授業だと言わざるをえない。

 それにしてもこの特殊なテーマに2時間もかけたというのはバランスを欠いているし、点数配分が4分の1というのもあまりに比重が高すぎる。

 さらに、字数によって採点するというにいたっては、あまりに非常識で、あきれてしまう。一生懸命に答案を書いた生徒を馬鹿にした答弁である。もしかすると、本当は生徒の「考え」の内容によって採点するなど別の採点基準があったのだが、その基準を言えなくてとっさに「字数」と答えたのかもしれない。もしそうだとすると、「考え」を採点の対象にする意図を持っていたという意味で、生徒の思想信条の自由に対する重大な侵害である。

 以上、どこをとっても、適性を欠いた教師だと言わざるをえない。

 校長や教育委員会は事の重大性をよく認識して善処してもらいたい。野牧氏の電話記録によれば、校長先生はしっかりした方のようで、事の重大性を認識し、こういう出題はあってはならないとお考えのようである。厳しい対処をしていただきたい。

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