フェミニズム批判

26 破壊される「男らしさ」「女らしさ」意識

        (平成16年2月17日初出)



 今朝の『読売新聞』に興味深い(というより恐ろしい)意識調査の結果が載った。それによると日米中韓で行われた「高校生の生活と意識に関する調査」で、日本の高校生は「男は男らしく」「女は女らしく」といった性差意識が突出して低いことが分かった。

 調査は、文部科学省所管の財団法人「一ツ橋文芸教育振興会」と「日本青少年研究所」によって昨秋、4か国の各1000人余りの高校生を対象になされた。

 

 日本が特異な値を示したのは「女は女らしくすべきだ」との設問で、肯定した人が28・4%しかいなかった。同じ問いかけを米国は58・0%、中国は71・6%、韓国は47・7%が肯定した。「男は男らしく」も、日本で肯定したのは43・4%(米63・5%、中81・1%、韓54・9%)で、4か国で唯一半数を割り込んだ。

 また、「結婚前は純潔を守るべき」との設問に対する肯定も、日本は33・3%(米52・0%、中75・0%、韓73・8%)と著しく低くなっている。

 

 以上の結果を男女別の表にすると、以下のとおり。

 

           日本  米国  中国  韓国 

男は男らしく   男 49.2  65.1  83.0  67.4

すべきだ     女 40.4  62.4  79.7 40.9

 

女は女らしく   男 38.9  61.0 75.9 61.3

すべきだ     女 22.5 55.5 68.0 32.3

 

結婚前は純潔を  男 40.9  47.5  72.9  71.2

守るべきである  女 29.2  55.9  76.5  76.6

 

 

 目立つのは、日本の女子高校生の意識。とくに「女は女らしくすべきだ」と「結婚前は純潔を守るべきだ」が極端に低いこと。他国に比べてそのモラルの崩れ方は驚愕すべきものがある。われわれ世代の常識では、純潔意識というものは男性より女性の方が高いのが普通である。これが一部の常識でない証拠に、他の国ではすべて男性より女性の方が高い数字を示している。日本だけなぜこれほどに低いのか。

 記事は「近年の男女共同参画社会の推進により、日本の若者意識が影響を受けたと見られる」と解説しているが、まさにそのとおり。間違ったジェンダーフリー教育と即物的な性教育の「成果」なのである。

 

 日本の女性の精神の「崩れ」については日頃感じていた。例えば、犯罪に合う女性の多くが夜中の2時だとか夜明けに外出していて被害に遭っているという記事をよく見かける。行動に「つつしみ」というものがまるで感じられない。

 昨夜、私にコメントを求められたので答えたのが、次のように載っている。「学校教育によって『つくられた意識』であり、不健全だ。」「中学、高校の教科書は、ジェンダーフリーの考え方に基づくものが圧倒的に多く、調査結果もその影響が大きい」「男女は体だけでなく脳や心理的な部分も違う。『差別』ではなく、『正しい男女の区別』を教えることが大切だ」。

 短いコメントなので舌足らずのところを補うと、もちろん学校教育だけの影響ではない。ジェンダーフリーを垂れ流すマスコミの影響も大きい。私の教え子の女子大生が言うには、彼女たちの中学生、高校生のころは、女らしいといじめられるので、わざと男っぽい乱暴な言葉を使ったり、ボーイッシュに見せたりと「苦心」していたそうである。女らしい女の子はいじめられる ! いま学校はそういう世界になっているのだ ! 女らしさを否定するように強制されていると言っても過言ではない。そういう強制的な雰囲気の中にいる高校生に対する意識調査の客観性とは何なのか、疑問に思わざるをえない。

 ちなみに大日向雅美氏のコメントも載っている。「驚くような結果ではない」「男らしさ、女らしさを強調する文化は西欧社会の考え方で、日本ではそうした考え方は伝統的に薄い」。

 この人の偏った意見には、私も慣れて「驚かなく」なってはいるが、なんともおかしな見方である。

 「驚くような結果ではない」と言うが、ちょうど一年前2003年2月の『読売新聞』の意識調査では、「男らしさ、女らしさのどちらにも抵抗を感じない」が72パーセントであった。それに比べて、「女は女らしくすべきだ」に対して、高校生の場合は男の38.9パーセント、女の22.5パーセントしかそう思っていないという結果に驚かないでいられる人間は、よほど無神経か、特殊なイデオロギーに凝り固まった者だけであろう。

 「驚くような結果ではない」という言い方には、この結果が男女共同参画やジェンダーフリー教育の結果だとする批判をかわそうという意図が感じられる。「驚かない」ことを正当化しようとして、彼女は次のような不自然な理由を挙げている。

 

 「男らしさ、女らしさを強調する文化は西欧社会の考え方で、日本ではそうした考え方は伝統的に薄い」と。「あんた学者かい?」「日本文化について、どのくらい知っているの?」と聞きたくなった。日本文化の伝統には、端午の節句やお雛祭りに代表されるように、「男は男らしい美しさを」「女は女らし美しさを」育てる豊かな伝統的な文化があった。衣服や立ち居振る舞いの美しさで、男らしさと女らしさの区別をして、それざれの美しさを競ってきた。そういう中から「いなせな」とか「粋な」「やわらかい物腰」という言葉も生まれた。言葉も男言葉と女言葉に分かれ、それぞれの美しさへと分化し洗練されてきた。「伝統的に薄い」などという認識は、日本文化への理解が極めて「薄い」と言わざるをえない。彼女らは、日本の伝統的文化を壊しておいて、昔から「薄かった」とうそぶいているに等しい。

 文化破壊のジェンダーフリーが、ここまで「成果」を上げていることに、われわれは最大の危機感を持たなければならない。

  (その後、大日方氏がテレビで話しているのを見たら、「日本では男女を区別する考え方は伝統的に薄い」という認識の根拠が分かった。氏が言うには、江戸時代の農業を例に挙げて、男女が同じように働いていたので、男女を区別する意識は薄かった、としていた。しかし農家でも町工場でも、たしかに女性も仕事場で働くが、主たる重労働は男性が担い、女性はよほどの例外は除いて軽労働を分担し、早く切り上げて食事の支度をするなど、適切な役割分担をしてきた。男女がまったく同じことをしてきたかのように言うのは、実情を知らない者の言うことである。)

 (「ご意見紹介」58「「純潔」知りませんでした (16歳・男子高校生・横浜)を見てください。この高校生は男女別名簿も経験していないし、「純潔」という言葉も学校では教えられなかったと言っている。学校では性行動を前提にしたコンドームのつけ方、ピルの飲み方を教えている。それではいつでもどこでも性行為をしていいと教えているに等しい。「純潔」を押し付けるかどうかは別としても、「純潔」という考え方があるということ、またセックスはどういう相手とどういうときに、人生のどういう時期にすべきことなのかを、教えるか、少なくとも考えさせる教育が必要ではないのか。  またこの高校生が証言しているように、大日方氏はメディアのせいにしているが、学校教育にこそ問題がある。その問題から目をそらしてはならない。) 

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