フェミニズム批判

 

23 警察と自衛隊に浸透するフェミニズムの危険

      (平成15年5月17日初出)

 

 男性社会ほど女性に優しいという逆説をご存知だろうか。もちろん今までは差別もあからさまだったり、女性について無知だったりした。しかしその反面、女性に対してうぶであり、女性崇拝者も多い。イデオロギーとしてのフェミニズムではなくて、「女性に優しい」という素朴な意味でのフェミニストは多いのである。イデオロギーとしてのフェミニズムに対しても免疫がないので、いったんイデオロギーとしてのフェミニズムが浸透しはじめると、歯止めがなくなる。

 

警察へのフェミニズムの浸潤

 

 少し前に「痴漢冤罪」問題がマスコミを賑わした。その報道を見て、私は「これはフェミニズムが一枚かんでいるな」とピンときた。よほど警察の中にフェミニズムが浸透していないと、こういう冤罪事件は起きないものだからである。

 「痴漢冤罪」問題とは、電車の中で身に覚えのない「痴漢」を訴えられ、事情を説明すれば分かってもらえると思って警察に行くとそのまま何十日も拘留され、家族も含めて外部と連絡も取れなくさせられる、という話なのだ。当然、被疑者の家族は父親の突然の「失踪」「行方不明」にショックを受け、会社は首になり、人生がメチャクチャにさせられる。

 私はこの話を知って、正直驚いた。こんな人権無視の扱いが、今の人権過剰社会である日本の中に存在しているのか。警察の中でそんな前近代的な人権無視がなぜまかり通っているのか。スリでさえ現行犯でなければ逮捕できないというのに。

 この話に対するフェミニストたちの反応は、私(および大方の男性)とはまるで逆である。「今までセクハラを受けてきた女性たちのことを思え。女性の人権を守るためには、少しくらいの行き過ぎはやむをえない」と言うのである。

 この論理が警察の中で、いつの間にか支配していたのだ。もちろんあってはならない論理である。たとえ明確に犯人だと分かっていても、その人権を守ることに懸命に努力してきたのが、戦後日本の司法と警察であったのだ。ましてや何の証拠もない、ただ被害者と名乗る女性がそう主張しているというだけの「被疑者」である。それをうむを言わさず21日間またはそれ以上も拘留し、弁護士を呼べることも教えないケースもあったそうである。これはとうてい民主主義国の警察とは思えないのである。

 「女性の人権を守るためには、少しくらいの行き過ぎはやむをえない」という論理は、まさにフェミニズムの論理である。「虐げられてきた者を守るためには、多少の(決して多少ではない)行き過ぎは仕方ない」と言って済ませてよいものでは絶対にない。他方では殺人犯の人権でも必死に守ってやるのが人権主義者たちであるのに、どうして痴漢の被疑者の人権だけは無視できるのか。

 フェミニズムが警察の中によほど深く浸透していなければ、そういう勝手な論理で実際の被疑者の人権を侵害するというところまでは絶対にいかないはずである。

 私は警察の内部事情に詳しくないので、どういう経緯で、どういう方法で、フェミニズムが実際の方針に影響を与えるようになったのかを検証することはできない。しかし現象を見るかぎり、フェミニズムが最悪の影響を与えたことを推測することができる。それがなければ、こんな馬鹿げたことは絶対に起こりえないのである。

 一つだけ思い当たるのは、フェミニストの指導者格の岩尾寿美子氏が長いあいだ国家公安委員会の委員になっていることである。岩尾氏が長いあいだ公安委員だったことと痴漢冤罪事件のあいだにはなんの関係もないのであろうか。

 最近、委員なり役職に女性を入れることが流行っている。男女共同参画関係は言うに及ばず、今まで男性ばかりだった委員会にも必ず女性を入れなければならなくなっている。入る女性は必ずと言っていいほどフェミニストである。その女性がフェミニズムにうぶな男性たちを煙に巻いて、党派的なフェミニズムの政策を認めさせてしまう。

 この図式の典型が男女共同参画社会基本法であった。この図式は今、日本のあらゆる分野に浸透している。

 その結果、たとえば警察では一時パトカーにも女性警官を乗せることになった。しかし喧嘩の現場に急行して、女性警官に対して上司が「いけ!」(中に割って入れ!)とは言えない、ということなどがあって、今ではパトカーに女性警官は乗っていないということである。

 たしかに警察の仕事の中にも、女性の方が向いている仕事もある。女性警官の象徴になったミニパトは別としても、たとえば鑑識の仕事は、きめ細かい、根気のいる仕事であり、絨毯の中から髪の毛一本を探し出すというような仕事には、女性の方が優秀だという場合もあるらしい。職種によっては男性よりも力量を発揮することもありうる。だから一概に警察から女性を排除せよとは言わない。しかし昨今のような歪んだフェミニズムの跳梁を許してはならないだろう。

 このごろは痴漢冤罪事件は報道されなくなった。警察でもひそかに反省し、対応を改めたのなら、結構なことである。しかし今までの冤罪に対しても、謙虚に反省し謝罪し補償を考えるのでなければならない。

 

自衛隊へのフェミニズムの浸潤

 

 フェミニズムの浸透について、もっと深刻なのが自衛隊である。一部のフェミニストたちは、自衛隊を標的にして、自衛隊の中の「あらゆる職種」を女性に解放せよと運動している。女性自衛隊員たちもそれに呼応して、「女性自衛隊員にあらゆる職種を与えよ」と主張している。

 またそれを自衛隊の幹部が肯定し、受け入れているようなのである。

 「自衛隊編集協力」と銘打つ雑誌「セキュリタリアン」(「財団法人 防衛弘済会」発行)の2003年2月号には「女性自衛官を読む」という特集が組まれており、そこには潜水科の教員になった女性とか、パイロットになった女性、中隊長の女性が、いかにもカッコよく紹介されている。そして極め付きは巻末のインタビュー、例の樋口恵子氏が4ページの中に7枚もの巨大な顔写真で登場し、自衛隊の中での男女共同参画について語っている。

 いわく「改正雇用機会均等法」の第20条には「ポジティブアクション」と言われる条項があり、「女性の縦と横へのチャレンジ」を国がサポートすることになっている。「縦へのチャレンジ」とは昇進すること、「横へのチャレンジ」とは「今まで進出していない分野に広がる」ことだそうだ。この原理から、女性を自衛隊にも入れ、その中でも「女性が全職種に進出せよ」がフェミニズムの至上命令となる。フェミニズム教条主義の結論である。

 しかし「自衛隊の全職種に女性を」という主張には、素朴な疑問が出る。戦争になったとき、女性を最前線に立たせるの? 潜水艦にも女性を乗せるの? 戦闘機のパイロットもさせるの?(潜水艦や戦闘機に乗るということは、最前線に出て戦うことを意味する) 捕虜になったときレイプの危険はどうするの? 

 本当かどうか分からないが、駐屯地に保育所を作ることを検討しているとも聞く。中世の傭兵ではあるまいに、赤ちゃん連れで戦争する気なのか!? こういう発想は、どうせ「文民」のキャリア官僚から出たものだろう。子供ができたら一時やめるという発想でなく、「なにがなんでも勤めつづけるべし」という原理で考えているということは、防衛庁の「高級」官僚はフェミニズムに洗脳されてしまったということか。

 シビリアンコントロール(文民統制)というのは、文民官僚が制服組の軍人よりも上にいて統制するという原理である。しかしその文民が間違ったらどうなるのか。自衛隊へのフェミニズムの浸透は、上にいる「文民」が間違っていることを示している。シビリアンコントロールだから安心できるということではないのだ。

 自衛隊の関係者は、よほどしっかりとした定見を持たないと、本当に戦争になったときに、困ったことに直面させられるだろう。

 フェミニストたちは「議員」を就職口と考えているようだが、自衛隊も同様に一つの就職口と考えているのではなかろうか。言うまでもなく、自衛隊はいざというときには戦争をするための軍隊である。サラリーマンと同じように考えてはならないのだ。

 たしかに、どの職種は女性に門戸開放する、他の職種はいけないという、線引きをするのはたいへん困難である。そんな難問に直面しないで楽をしようとすれば、「基準をクリアすれば、男性女性を問わずに全職種に受け入れる」と決める方が楽である。しかしそれでは、実際に戦闘になったときに、困った事態が生ずるのではないか。

 自衛隊の男女共同参画は、志願制を前提にしているが、徴兵制になったらどうするのだろうか。男女半々ずつ徴兵し、軍隊を構成するか? 原理的には、そこまで考えておかないといけないのではないのか。女性を自衛隊に入れるということは、入れる方も入る方も、半端な覚悟ではできないことのはずである。

 そのうち「女性に優しい自衛隊」というキャッチフレーズでも出てきそうである。そういう感覚では、本当の有事のときに役に立つ自衛隊であるのかどうか、心許ないと感ずるのは私だけではないだろう。

 ともかく「自衛隊の全職種を女性に門戸解放せよ」(横に広げるチャレンジ)などという要求は、「平和ボケの婆さん」(東京都知事選のとき樋口氏が自分で言ったんだからそう言っても構わないだろう)にふさわしいナンセンスである。

 今のうちに警察も自衛隊も、女性にはどういう職務につかせるか、どういう任務を免除または禁止するかを、国民が納得できる形できちんと決めておかなければならない。100パーセント男女を同じにすることは不可能だからである。

 警察も自衛隊も、上の命令は絶対という組織である。上が間違ったフェミニズムに浸潤されると、全体が腐っていく危険がある。防衛庁も警察庁も最高幹部がしっかりしてくれないと困るのである。

 

資料 イスラエルの女性兵士(イスラエル国防軍のホームページより抜粋)

 

 (イスラエルは軍隊の中での男女平等が最も進んでいる国の一つであるから、この問題を考えるのに大いに参考になる。)

 

 イスラエルでは現在、18歳に達したすべての健康な人は、男性は3年間、女性は(約?)2年間、兵役につくことになっている。

  女性への兵役は21ヶ月である。女性は、宗教的理由から徴兵に反対であることを明言すれば、兵役を免除される。既婚女性も兵役を免除され、兵役中に結婚した女性は、ただちに除隊になる。

 

 IDF(イスラエル国防軍)の創設後すぐに、すべての女性を前線への配置から免除する規則が、法によって定められた。この決定の決め手となったのは、捕虜となって敵の手に落ちる危険が、きわめて現実的である事実だった。女性にも男性と同じ犠牲や危険を要求すべきだという議論もあった。しかし女性捕虜がレイプや性的凌辱を受ける危険性が、男性捕虜の場合とは比較にならないほど高いのだ。

 

 以来、女性兵士は、実際に武器を用いた訓練を受け、前線任務を果 たす用意もできていながら、前線部隊への配置は許されていない。1994年の最高裁判所の判決により、現在女性兵士も、空軍パイロットあるいは航空士としての訓練を受けることが認められている。

 

 現在女性の兵役は21ヶ月と短く、様々な理由で免除される者の割合がかなり高いにもかかわらず、任務に就いている女性の数は比較的多い。このためIDFは、厳密には軍事的ではない国家事業を、数多く請け負っている。女性兵士たちは、わずかな専門訓練を受けただけで、たとえば、国境地帯の保育園や初等学校レベルの教師あるいは補助教師として雇用される。あるいは新しく移住してきた人がヘブライ語の基礎を学ぶ手助けをしたり、兵士たちが中等学校教育を修了するための支援を行ったりしている。ほとんどが女性で占められている特殊なカテゴリーとしては、イスラエルの地理及びIDF史を中心とするイスラエル史の講師がある。すべてのIDFの学校及び訓練所で教えているが、圧倒的に女性のインストラクターが多い。 他にも、女性が大半を占める任務として、中等学校内のガドナ(少年大隊)の講師がある。国外から体験入隊を組織する任務にも、ほとんど女性がついている。これは国外から来た青年たちがIDFの基地にしばらく滞在し、非軍事的任務を行い、一体感を体験するというものである。

 

 最後になるが、上記に劣らず重要な任務がある。女性兵士は福祉担当員を務めることもあり、必要が生じた場合、兵士たちの家族の面倒を見ることもあるのだ。

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