フェミニズム批判

 

21 蔓延する狂ったフェミニズム

    (平成14年11月25日初出)

    (平成14年12月6日加筆)

 

 いま日本中で狂ったフェミニズムの悪影響が蔓延している。とくに子供に影響の強い教育界でいちじるしい。狂った思想で育てられた子供は、大きくなるにしたがって、社会の秩序を乱し、混乱させる要因になる。早く対策をこうじないと、取り返しがつかなくなるだろう。

 常軌を逸したフェミニズムの典型的な例をいくつか取り上げる。

 

あきれた「ふりーせる保育」

 

 千葉県松戸市は「ジェンダーフリー」と「子どもの権利条約」をベースにした「ふりーせる保育」なるものを実施しているそうである(「ふりーせる」とは「自由」「安全」「自信」の英語の頭文字を取った造語。市内の3保育所で試験的に導入中)。

 その考え方や具体例は、あまりにも愚かというより、狂気の沙汰としか言いようがない。その事実を『産経新聞』(11月22日付)しか報道していないので、『産経新聞』を取っていない人たちに知らせたいと思う。

 まずその保育方法の基本となる考え方は「子供とは権利を行使する存在で、大人と対等」であり、「子供の意思を尊重すべし」ということだそうだ。

 「子供の意思を尊重」? その場合の「子供」って、保育所なんだから「乳幼児」のことだよね。乳幼児に「意思」があるの? あるとして、どの程度の質の「意思」なの? それをすべて「尊重」していいの? 判断力のない子供の意思を尊重して正しい育て方ができるの? 

 疑問は限りなく湧いてくる。いったい具体的にどういう保育をしているのか。

 保護者の苦情で明るみに出た保育の実状とは、

 たとえば、「一歳以上の園児にはおやつの選択の自由がある。嫌いなら牛乳は飲まなくていい」「食事も選択の自由で、遊びに夢中で食事を抜くことがある」。

 あきれて物も言えないとはこのことだ。馬鹿な人間があるイデオロギーにとりつかれ、そのイデオロギーが間違っていると、そこまで行ってしまうのかという見本である。

 「言葉やはしの持ち方も指導が十分でなく」、「言葉遣いが格段に悪くなった」という保護者たちからの苦情も相次いだという。

 保護者が「子供たちの発表会がみたい」と申し入れると、保育士は「それは保育士が決める問題ではなく子供たちの意思で決めるべき」と答えたという。

 運動会のダンスの曲の中に「母親がご飯を作る」という歌詞があると、それは「ジェンダーフリーに反する」という理由で、カラオケで演奏されたという。(ジェンダーフリーとは公式には「ジェンダーにこだわらない」と規定されているはずだが、「お母さんがご飯を作る」ことをそこまで否定するのも、逆「こだわり」ではないか。)

 こういう育てられ方をした子供は、ただ我が儘になるだけで、必要な集団ルールを守れない人間になってしまう。学校に入ると「枠」をはめられるのが苦痛で、不登校か学級崩壊のもとになる。早くなんとかしないと、その弊害は取り返しがつかない。

 ところが、保護者から再三にわたって申し入れが繰り返されたが、一向に改善が見られないという。

 この問題は21日の衆院青少年問題特別委で山谷えり子氏(民主)が取り上げ、福田康夫官房長官(男女共同参画担当相)は「現実感覚から離れている。行き過ぎはよくない」と答弁。米田健三内閣府副大臣も「由々しき事態」として、行き過ぎたジェンダーフリーの実践例などに積極的に指導する意向を示した。

 

文部科学省、「推奨ではない」と苦しい言い訳

 

 この「ふりーせる保育」を文部科学省が委嘱して作らせたパンフレットの中で、「先進的保育プログラム」として紹介しているそうだ(『産経新聞』11月24日付)。

 問題のパンフは文部科学省の委嘱を受けた「日本女性学習財団」が作った「新子育て支援・未来を育てる基本のき」。その中で「ふりーせる保育」を「子どもの最善の利益と自立を目指す」「子どもの可能性が最大限発揮できるよう松戸市が開発した保育プログラム」と紹介している。

 このパンフは「雛祭りや鯉のぼり」を否定的に記述しているそうだ。

 これについて文部科学省は「内容をいちいちチェックしていない」「単に問題提起として示したもの」「省として推奨したつもりはない」「あくまで財団の独自事業」なので回収は考えていないと語っているという。

 いったい「委嘱」とは何か。「委嘱」というからには、お金だって出しているのだろう。貴重な税金を使っているのに、「内容をチェックしない」とは無責任もはなはだしい。「省として推奨したつもりはない」と言うが、これだけ口を極めて「ふりーせる保育」を称賛する内容のパンフを作らせておいて、推奨したつもりがないなどという言い訳は通用しないだろう。

 こういうパンフレットは、ただ回収すればいいというものではない。委嘱した官僚には責任を取らせるべきである。

 

小宮山洋子氏(民主党)の馬鹿さかげん

 

 回収と言えば、例の「コンドームの失敗率は12%、ピルの失敗率は1%」としてピルを奨励している、中学生向けの小冊子「ラブ・アンド・ボディBOOK」が絶版になったことについて、『朝日新聞』(平成14年11月9日)は参院議員(民主党)の小宮山洋子氏の「内容正しい 絶版見直しを」という文を載せた。

 趣旨は、この本を絶版にするとは、「中学生の実態をあまりにも知らなさすぎる」、(絶版という)「処置はぜひ見直すべきだ」というものである。

 中学生の実態とは、

 

 群馬県の高校3年生の初交経験率は男子が46%、女子が42%。東京都の調査でも、高校3年生の男子で37%、女子が46%という結果が出た。避妊をしていない女子は8割にのぼる。

 

 この「実態」について、小宮山氏は

 

道徳教育の充実だけではもはや間に合わなくなっていることを、しっかりと認識すべきである。

 

と書いている。

 

 道徳教育では間に合わないというのは疑問である。どういう道徳教育をどのくらいしているのかという問題を抜きにして、「道徳教育では間に合わない」と言うのはあまりに短絡的にすぎる。道徳教育など、ほとんどなされていないのだ。セックスをコミュニケーションの手段だとか、快楽の手段・癒しの手段だとか教えたのでは、フリーセックスを奨励し、セックスの低年齢化に拍車をかけるばかりである。

 性をどう捉えどう教えるのかという問題を抜きにして、ただ安全にすることだけを教えるのが、正しい性教育だろうか。

 それではただ知識と技術を教えているだけであり、とうてい「教育」の名に値しない。教育とは性なら性が人類社会の中で持っている意味を正しく捉えることを教えるのでなければならない。避妊の方法がなかった時代には、妊娠したら責任が生ずるから、結婚して子供を育てられるまでは控えるべきだということを教えた。その教育が現代では無効になっただろうか。決して無効になったとは思えない。ただその教育をきちんとやっていないだけではないのか。

 楽に避妊できる方法が現われたからといって、安易にそれに頼ることを教えたのでは、フリーセックスを奨励する結果になってしまう。セックスを「安全」なものにする技術を教え、しかも「性の自己決定」を推奨するフェミニストたちは、フリーセックスを世の中に蔓延させたいという隠された動機を持っているとしか考えられない。

 性道徳を教えるべきか、それとも避妊の知識と技術を教えるべきかと問えば、私は躊躇なく性道徳を教えるべきだと答える。性道徳に限らず、道徳を正しく教えることをもっともっと重視すべきである。小宮山氏は、問題の小冊子に反対したのが「性道徳を重視する一部の人」と書いている。まるで性道徳を重視することが悪いことのような言い方である。

 性道徳のかわりに彼女はピルを勧めるべきだと言う。

 しかし安全と言われるピルは決して安全でなく、医師の処方が必要だということに表われているように、危険を伴うものである。それも、医師が全員良心的だとは限らず、儲け主義でピルを勧める悪徳医者も多く存在する。

 というより、医者がいいと云ったらいいのだという簡単な問題ではないのである。ピルは環境ホルモンとなって生物のオスのメス化を進め、人間の男性の精子を減少させるという恐ろしい事実は今や広く知られている。ピルは「買ってはならない」「使ってはならない」環境汚染物質なのだ。

 ピルを勧めることはいまや人類に対する犯罪と言うべきなのだ。ピルを勧める人間は馬鹿というより、犯罪者と言うべきである。

 こういう犯罪的な論説を載せる『朝日新聞』もまた犯罪的と言うべきだ。

 

男性の育児休暇を推進するNHK

 

 11月22日のNHKの「クローズアップ現代」で、「父親の育児休暇取得」について取り上げていた。その扱い方はというと、のっけから「父親の育児休暇取得」は正しいという前提に立って、それをいかにしたら増やすことができるかという観点から作られた番組であった。まるで独裁国が作った思想宣伝の番組かと目を疑うような内容であった。

 父親が保育をすることに対する疑問は、かけらもないかのような扱い。父親が保育をするということは、母親がしないということを意味している。当然、母乳による育児は不可能になる。

 なぜ母親が育児休暇を取得するより、父親の方がいいのか、という疑問に対しては、「仕事中心の価値観を反省できた」という父親の正当化理論が紹介されただけ。肝心の子供に対する影響は無視されていた。

 例の悪名高い厚生省のポスター(SAMが乳児を抱いていて「育児をしない男は父とは呼ばない」と書かれていた)以来、女性を働かせるために男性に保育をさせようという意図が、フェミニストと企業と政府の一部に露骨に表われている。

 男性の育児休暇取得率を10パーセントにすることを目標にする、などと言われている。余計なお世話だ。夫婦のあいだで乳幼児の保育をだれがするかということは、夫婦の自由だろう。数字をあげて目標にするなどは、独裁的な共産主義国家のすることだ。

 ちなみに、あのポスターに使われた夫婦は離婚した。男性が保育をすると離婚するはめになるという宣伝をしたようなものである。

 

学校管理職の女性比率の飛躍的向上?

 

 数字を目標にすると言えば、しきりに宣伝されているのが、学校管理職や大学教員の中での女性の比率を上げよという要求である。いや、いまやそれは「要求」ではなく「強制」にまでなっている。

 たとえば埼玉県では、無理やり女性管理職を増やすため、基準の緩い女性枠まで作って「女性管理職」を増やしている。そのため、不適任な女性が管理職になったり、ただでさえ競争率の高い管理職試験が、男性にとってはその分狭い門になっている。この例などはまさに憲法違反とも言うべき差別ではなかろうか。

 同様に中央教育審議会が平成14年11月14日に発表した「新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方について」の「中間報告」の最後尾には、(参考)「計画に盛り込むことが考えられる具体的な政策目標の例」として「学校管理職への女性の登用や大学・大学院における女性教員比率等の飛躍的な向上を促進する」と書かれている。

 このように狂ったフェミニズムの思想をちょろっと忍び込ませるのがフェミニスト得意の戦術である。批判されると、「参考」の「例」にすぎないと言い訳をするのであろう。放っておくと、こんな馬鹿げた思想が中央教育審議会の答申案の中に盛り込まれてしまう。

 この「中間報告」は「愛国心」をうたっているからと保守派が評価しているようだが、一番最後に悪の種が植え込まれていることに気づくべきである。

 

加筆1(平成14年12月6日)

高校共学化は統制社会化

 

 狂ったフェミニズムの典型が高校の一律共学化である。各県は男女共同参画事業の一環として公立高校の共学化を推進すべしとしている。

 しかし高校の一律共学化は「男女まぜこぜ主義」の最も馬鹿げた帰結である。

 高校時代(より一般化して言うと思春期)の人格形成にとって共学の方がいいか別学の方がいいかは、一概には言えない。それぞれにメリットとデメリットがある。それぞれの中でどういう教育をするかによる。共学にせよ別学にせよ、それぞれの良さや弊害を充分に意識化した上で、良さを活かし考えられる弊害をなくす努力をすることによって、それぞれが存在する意義が高まる。一律にどちらの方がいいとは言えないのである。

 ところが男女共同参画社会基本法に基づくと称して、各県は公立高校の共学化を決定しつつある。全国的に共学化が実施されている。その中にあって大論争になったのが、埼玉県である。

 埼玉県では、別学の16校(いずれも伝統と高い進学率を誇る高校)が別学であることに対して、県民(といっても、どうせフェミニストの女たちであろう)から「男女共同参画苦情処理委員」に「県教委は共学化に消極的だ」という「苦情」が寄せられた。

 委員三人は「別学は人格形成からも、男女共同参画社会作りの視点からも問題」として、県教委に「早期共学化」の勧告を出した。この委員殿の名前を知りたいものだ。そしてどのような根拠から「別学は人格形成から問題だ」と結論したのかも是非知りたいものだ。私の学問的知見からは、そのような一方的な見方はできないとしか考えられない。

 こういう偏った意見を「第三者機関」といういかにも中立的な名前をかぶせた者たちが出し、それに基づいて行政がなされるのは、大問題である。

 じつは、「第三者」の委員というのも、どうせ党派的で公式主義のフェミニストであろう。恐らく「男女共同参画」の分野といえば女性の副知事に丸投げで任されていて、男女共同参画審議会の委員も、苦情処理委員も、フェミニスト一色の人事がなされているのであろう。

 こうした装置が出来上がっているところへ、県民を自称するフェミニストが「共学化が進んでいない」と「苦情」を言っていく。すると「苦情処理委員」は「共学化を急げ」と「勧告」をする。それに逆らう者は悪者扱いをされる。まるで独裁者がいかにも民主主義的な手続きを経て決めたかのような外見を装い、「思想統制」「政策統制」をしているようなものである。

 ヒトラーも民主主義的な手続きで首相になり、合法的に独裁者になった。男女共同参画事業もまたそうした経過を辿りつつある。ヒトラーは狂気であったし、ナチスはユングの診断によると「集団ヒステリー」であった。フェミニストの多くも「集団ヒステリー」であることを、よくよく認識する必要がある。

 

加筆2(平成14年12月6日)

アメリカの純潔教育

 

小宮山洋子氏が「道徳教育の充実だけではもはや間に合わなくなっている」と述べたのに対して、性に関する道徳教育など今までなされたことがないと批判したが、それに関する重要なニュースが飛び込んできた。12月5日付の『日経新聞』によると、

 米国の10代の男女間で結婚まで性行為を控える傾向が強まり、新たな性革命が進行中――と2日発売の米誌ニューズウィークが報じた。結婚までの禁欲を勧める高校での教育も広がりを見せているという。

 それによると、疾病対策センター(CDC)の2001年の調査で性行為を経験したと答えた高校生は46%で、1991年の54%から急減した。10代の妊娠も減っている。

 結婚まで「純潔」を守ろうとする若者の風潮について同誌は「気楽に性行為に走る親の世代の風潮を拒否し、視聴率を稼ぎ、製品を押し売りするため日常的にセックスを利用する主流メディアと明白に対立する新たなカウンターカルチャー」と位置付けた。

 禁欲教育は道徳的・社会的な問題だけでなく、性病予防策としても重視される傾向があり、米全国の高校の3分の1以上が実施している。ブッシュ政権は禁欲教育にかける予算を1998年の6000万ドルから1億3500万ドルに増やそうとしている。

 

 ご覧のように、今アメリカでは若者たち自身のあいだに結婚前の性交渉をやめようという傾向が出てきており、それと呼応するように政府も禁欲教育に乗り出している。

 対して日本の性教育論者たちは、ことさらに道徳教育を貶め、無効だと言い立てている。彼らは「現実」や「事実」をただ追認し、それを変えようとか、批判しようという姿勢がない。それはじつは自分たちの放縦な性生活を正当化したいからかもしれない。しかしアメリカでは1991年から2001年までのあいだに高校での性経験の率は54%から46%へと急減した。どうして「道徳教育の充実だけではもはや間に合わなくなっている」と言えるのか。なぜ「道徳教育の充実」を真っ先に唱えないのか。

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