フェミニズム

 

16 歩くコンプレックス

 

 ──私的感情から国政を語るフェミニストの公私混同

 

 「生き字引」のことを walking dictionary と言うが、このごろのフェミニストたちを見ていると、 walking complex という言葉が浮かんできた。

 コンプレックスから作られたイデオロギーをふりかざし、無意識の衝動に突き動かされて突っ走る女性たちを見ていると、思わず walking complex !  と言いたくなる。

 イデオロギー主導の「エセ科学」「エセ論理」の弊害は、マルクス主義でさんざん経験したはずなのに、人間はまたもやそれをフェミニズムという形で蔓延させている。

 イデオロギーが基準なので、どんなに理性的な議論をしても、どんなに科学的な反証をしても、「蛙の面に水」で聞く耳を持たない。

 

 今回の「夫婦別姓」問題がそのいい例である。別姓を必要とする理由がくるくると変わる。彼女らにとっては、理由などどうでもいいのである。一つの理由が論破されると、別の理由を出してくる。それを論破するとまた別の理由が出てくる。(「時事評論」16、19、20を参照されたい)

 理由がないのに別姓にしろというのは、本当の理由を隠している証拠である。隠されている本当の理由とは、たいていコンプレックスに基づいている。隠されているコンプレックスとは、この場合、家族が壊れてしまった者、または家族を壊してしまった者たちのコンプレックス、さしづめ「家族崩壊コンプレックス」とでも呼ぶべきものである。自身や親が離婚した者、私生児だったという者、これらはみな姓について不快な経験をしていたり、強烈なコンプレックスを持っている。

 そういう不快なことをなくすための最も手っ取り早い手段は、戸籍制度や婚姻制度をなくすことである。彼女・彼らは、国家制度を変えることで、自分たちのコンプレックスを解消しようとしているのだ。たとえば、離婚をしやすくし、離婚しても目立たないようにしたいのだ。

 たとえば、笹川堯議員は自民党法務部会で「自分は非嫡出児だ。大学入試の時、試験用紙に書いた名前と戸籍上の名前が違うと分かり、入学許可が下りなかったことがあった。名前がどうこういうことで悩まない社会を築ければいい」と語ったという(『朝日新聞』平成13年12月4日付)。個人の体験から直接的に国家の政策を語るということの問題性について、ここまで無邪気かつ無神経な人間が政治家になっているとは驚きだ。

 松島みどり自民党議員も同様である。昨年の選挙で初当選した彼女は、「結婚前の姓で選挙を戦ったが、当選証書には法律上の姓である夫の姓が書かれていた」という体験から、別姓賛成になったそうだ。そこには、国家の制度をどうするかという問題と、個人の感情の問題とがきれいに混同されている。(ちなみに今日の『産経新聞』によると、彼女は当選までの4年間に、帝京大学関連会社から架空の給与3000万円を受け取っていたという。)

 野田聖子議員も同様である。祖父から引き継いだ家名を守りたいというのが、当初の理由づけであった。ただ彼女の場合には、家名を守るためという表向きの理由が崩れても、別姓推進の先頭に立ち続けて、社民党などの女性議員たちと共闘を組んでいるというのは、なにか隠された理由があるとしか思えない。

 

 彼女・彼らは、恨みつらみを解消することだけが目的なので、どんな論理的矛盾も辞さないし、どんな汚い手でも使う。その例として、こんな事実がある。

 『産経新聞』の平成13年12月5日付の「正論」欄に、八木秀次氏(高崎経済大学助教授)がこういう事実を暴露した。政府の「男女共同参画会議」の「基本問題専門調査会」(どうしてフェミニストというのはこうも仰々しい名前をつけたがるのか)が、「夫婦別姓を導入するための作戦会議と化している」として、そのホームページで一部公開されている議事録の内容を紹介した。

 その会議では、なんと「選択的夫婦別姓制度を導入することでどういう影響が表れると考えられるのか、どうすればよいかということが議論されるのではなく、どのようにすれば一日も早く夫婦別姓が実現できるのかといった運動戦略ばかりが語られている。世論調査の結果を公表することは果たして有利かだの、海外の事例を紹介することは逆効果になる可能性があるのでやめた方がよい、といったことが話し合われている。」

 新聞のコラムだから、それ以上に詳しいことは書いていないので、私が調べたところ、たとえばこんなやり取りが記録されている。

 猪口邦子委員が「海外の例ですが、これはあまり前面に出さない方がいいと思うのです」と言ったのを受けて、樋口恵子委員は「離婚率は、アメリカはもちろんヨーロッパも日本より高いです。婚外子の数もはるかに高い。だから、そのような家族の崩壊を招いているということになってしまいませんか」と言っている。

 アメリカやヨーロッパで家族の崩壊を招いているという事実を承知していながら、「だから」「家族崩壊の原因になっているかもしれない別姓については慎重に」と言うのかと思うと、「だから」「そのことは言わない方がいい」という結論に持っていく。まさに「臭いものには蓋」という戦術を取れと言っているのだ。

 その法案がよいかどうかを検討すべき審議会で、全委員が法案を通すための戦略・戦術について発言するのが当然という雰囲気なのである。誰がどう見てもおかしい。八木氏が「同調査会はフェミニストの作戦会議と化している」と批判するのはしごくもっともである。

 同調査会がフェミニストの作戦会議と化しているのには理由がある。その委員は全員フェミニストかその同調者ばかりなのである。ざっと見ても、樋口恵子、住田裕子(弁護士)、山口みつ子(市川房江記念会の常務理事)、伊藤公雄(本HPの「父性」12で批判している)、竹信三枝子(朝日新聞記者、本HPの「母性とフェミニズム」の「7の(2)」で批判している)、猪口邦子、高橋和之(東大法学部、憲法学者)、等々。どうしてこうも党派的に人権主義者やフェミニストばかりを選べるものか、という者たちばかり。これでは仲間うちの作戦会議になるはずである。

 これまでは審議会を作るという場合にも、「反対派も入れて、ただし少数派にする」というような粉飾をほどこすのが普通であった。しかし人事権を取ってしまうと、なりふりかまわず党派的に行動し、反対派は一人も入れず、全部賛成派にしてしまう。こういうファシスト的体質がフェミニストの本質である。(もちろん粉飾するのがいいと言っているのではない。粉飾すらしない、その無神経と厚顔無辱を指摘しているのである。)

 

 これだけ衆知を集めて作戦を練っているのに、彼女・彼らは、都合が悪くなると作戦や理由づけをくるくると変える。ウソがバレると、反省も弁解すらもしないで、知らん顔で他の理由を出してくる。それはとりもなおさず、理由が本当の理由ではないことを自ら白状しているようなものである。彼女・彼らの「理由」はすべて「作戦」の一部にすぎないのだ。

 「理由」を強引に作り出す場合もある。同調査会が呼びかけて「同姓制度のもとで不便を感じた体験」を募集したこともある。これなどは「理由」を一方的に募集して「作り出そう」という作戦である。それも国費を使って。

 

 この「男女共同参画会議」のホームページについては、面白い後日談がある。八木氏の「正論」が発表された二日後の7日に、「男女共同参画会議」のホームページにアクセスしてみたら、forbidden となっていてアクセスできなくなっていた。公開していたのを止めてしまったのである。都合が悪いと思うと、情報公開の原則さえも自ら閉ざしてしまう。ここにこそ彼女らの運動が理想や信念から出たものではなく、コンプレックスに主導されたものだという本質を露呈していると言える。

 こういう馬鹿馬鹿しいことが、自民党が与党である政府の中で行われているところに大きな問題がある。内閣府のごまかし世論調査も、まさに自民党公認の所業なのである。自民党はいまや「良いものを守る」という意味での本当の保守政党であることを止めつつある。

 たとえば、「自民党厚生労働部会」が決めた「保健婦助産婦看護婦法」の改正案では、「助産婦」という呼び方を「助産師」に変えるという提案がなされている。これは国民の大部分が反対し、とくに当の女性たちの99パーセントと言いたいほどの圧倒的多数が「男性の助産士はいや」と言っているのに、名前だけでも変えようというのである。こういう馬鹿馬鹿しいことを国政のレベルでやりだしたら、政治は無茶苦茶になってしまうだろう。そこではコンプレックスが巨大化した怪獣になり、日本はジュラシックパークになってしまう。

 いや、フェミニストはいまや怪獣などではない。白アリである。皆が気づかないでいるあいだに、内部を食い荒らし空洞化している白アリである。

 政府や官僚組織を蚕食しているフェミニストどもを退治しないと、日本は中枢部から腐っていくだろう。