エッセイ

 平成15年午年元旦

 あけましておめでとうございます。

 いつもご愛読ご支援いただきありがとうございます。暮に新居に引っ越したので、しばらくご無沙汰していましたが、新生活に慣れてきたら、また活発に論陣を張りますので、よろしくお願い致します。

 昨年の最大の特徴は、なんといっても、北朝鮮の恐ろしい本質と実態が日本国民のあいだに広く知られたことでしょう。

 そしてその問題も含めて、テロの頻発とそれへの大国の反撃が、昨年一年間を通じて見られました。われわれも近い将来、今年のうちに、武力行使について、決断をせまられる事態になるかもしれません。そのときに備えて、早急に国論の統一を図る必要があります。

 そうした中で、今年も「時事評論」の出番が多くなることが予想されます。今年のもう一つのテーマは「家族と家庭教育」になると予想されます。幸い昨年暮れに『家族の復権』(中公新書)を出版することができました。それを基にして、今年はますます家族論を充実していきたいと考えています。どうぞご支援よろしくお願い致します。

 さて、今年も干支(えと)にちなんだ年頭エッセイを書きました。どうぞお読みください。

 

9 利用しやすい羊

 (平成15年・未年・年頭エッセイ)

 

 今年の干支は「発未」(みずのとひつじ)である。「発」(みずのと)とは文字通り「水の弟」だから「陰の水」を意味している。「未」(ひつじ)は五行のうちの「土」にあたる。

 これをイメージの世界に置いてみると、土の上に水があるという形になる。この場合、水と土がどういう関係になるかが問題である。

 一般的に言えば土と水は相補う関係にあり、水が雨となって降り注ぐことによって初めて大地は潤い、稔りを豊にすることができる。水も大地があって初めてその力をふるうことができる。水が大地の中に平和的に浸潤していけば、両者の関係は稔りあるものになりうる。

 もちろん相補的な関係ばかりとは限らず、ときに水は洪水を起こして大地を荒らし、作物をだいなしにしてしまう。しかしその後には肥沃な土をもたらす。「発」は「陰の水」だから、そう派手に暴れたり、大乱を起こしたりはしないと思うが、一時的な洪水を起こすことはありうる。しかしその後に平和と稔りをもたらしてくれるといいのだが。

 

 さて「羊」について、皆さんはどういうイメージをお持ちだろうか。私のイメージは「おとなしい、平和的」というイメージと「いろいろと役に立つ」というイメージである。

 羊はおよそ戦いとか攻撃というイメージとはほど遠い。武器も持っていないし、弱いために簡単に食われてしまう。

 他方で、羊はじつに利用価値がある。外側からいくと羊毛、角も細工に使える。それから乳、毛皮も使える、そしてもちろん肉。内蔵も食べられる。腸も利用できるらしい。

 これだけの利用価値のある動物だから、昔から飼育されて、人間にとことん利用されてきた。おとなしいから飼うのも楽である。イギリスの資本主義は羊を飼う牧草地の囲い込みから始まった。モンゴル族は羊を飼う牧畜民である。キリスト教の担い手も羊などの小家畜の飼育を生業にしていた。羊はキリストのシンボルである。キリストは「万軍の主」と呼ばれている。

 いずれも、ものすごい攻撃性を持っており、世界を侵略・征服したり、勢力をのばしてきた。平和な羊を支配した者たちは、決して平和的ではなかったと言える。

 

 さて、この羊のイメージにピッタリの国民がいる、と言ったら、もうお分かりだろう。そう、日本人である。もちろん「最近の」とか「戦後の」という限定をつけなければならないが、「おとなしくて」「平和愛好家」で、それでいて豊かだから利用したり、収奪・横領・強奪されやすい。

 この性質に眼をつけた内外の利口者たちが、そこから甘い汁を吸いつくしてきた。その結果残されたのは、膨大な国家予算の赤字である。

 たとえば、日中友好を演出した中国共産党と日本人資本家・政治家たちは、中国への経済援助を口実に甘い汁を吸い続けた。日本人の国家予算から中国に援助して、それによる公共工事の受注を日本企業に請け負わせ、日本企業は政治家に献金する。

 この仕組みを作り、利益を得たのが田中角栄氏と、その一党の政治家たちである。野中氏をはじめとする自民党の政治家の中に中国寄りの態度を取る者が多いのはそのせいである。

 朝鮮に対しても同様の構図が見られる。韓国に対しても講和を結ぶ見返りに莫大な経済援助をした。それによって潤ったのは韓国経済ばかりではない。日本国民の血税を使って、援助をした分の受注を受けた日本企業と政治家も大いに潤ったのである。

 「植民地支配や侵略」の補償として多額の経済援助をする。それを相手は感謝するどころか、贖罪だとして威張って受け取る。こちらはぺこぺこと何度でも「謝罪」する。こういう構図を作ってきたのは、左翼でも革命政党でもなければ、中国や朝鮮に肩入れする勢力でもない。政財界の一部の勢力こそが、この構図を作りだしてきたのだ。左翼はせいぜいそれを言論で応援したにすぎない。

 北朝鮮との関係にいたっては、まさに羊を取り巻く狼というイメージがぴったりである。朝鮮総連を使って資金を吸い上げる。たとえば、日本国内には朝鮮人の経営するパチンコ屋が少なくない。その莫大な収益の多くが万景峰号によって北朝鮮に運ばれていたのだ。(しかも国内では、賭博性の強いパチンコにはまって破産や一家離散という不幸が頻発していたときに、土井たか子社民党首は「パチンコは庶民の娯楽」だと持ち上げていた。相呼応していたとしか思えない。)

 彼らは「北朝鮮とは戦争状態だから、早く国交正常化しろ」と言っていたが、どうして「戦争状態」にある国の船舶が日本の港に堂々と入り、国交もない国へ人も物資も自由に出入りできたのか、まか不思議である。

 その上、工作船が我が者顔に出没し、人間を誘拐してテロその他に利用する。麻薬を売りつけて、儲けると同時に日本国内を堕落させようとする。その姿はまるで無抵抗な羊の群の周りを狼が取り囲み、一番外にいる羊を一頭ずつ捕獲しては食ったり飼育して利用したりしている図である。

 それに対して日本は何も抗議しないできた。いやその事実そのものも認めないできた。もし事実を認識して抗議すると、争いになる、戦争になると心配したからである。つまりは北朝鮮を怖れてきたのである。つい最近まで、工作船を見つけても、射撃もしてはならないことになっていた。射撃をすることは、「戦争につながり、侵略につながる」という奇妙な論理による。狼の方としては、やりたい放題、笑いが止まらなかったことだろう。無防備な羊の群は、さぞかし狩りがしやすい対象であったことだろう。

 

 拉致事件を通して、日本国民は少しは学習したはずである。北朝鮮という国の独裁者には、「善意」は通用しない、「常識」も通用しない、ということを。しかし依然として、「人道援助」という馬鹿な幻想を持っている者だちがいる。彼らはただ自分が「いいこと」をしたいだけなのである。それが実際にどういう結果をもたらすか、援助物資が飢えている人たちには届かないで、ただ非道な独裁政権を支えていることには関心がない。

 

 ではどうすればいいのか。それを考えるためには、北朝鮮とその支配者金正日の本質を正しく認識する必要がある。

 金正日の正体は無能で我が儘で権力欲だけ強い、どうしようもない人格である。国内の経済政策を始めとする政治力はゼロに等しい。国内経営に失敗している。その代わりに軍事力と無法な裏工作に力を入れ、他国を脅して食料やエネルギーをぶんどる。

 人格が幼児的だから、だだをこねて得をはかれるとなると、何度でもその手を使おうとする。その手が使えないとなっても、もっと過激な脅しを使えば、今までの手が通用すると思い込んでいるかもしれない。すると「一発ミサイルを撃ちこんでしまえ」となる可能性も否定できない。そのミサイルの弾頭に「生物兵器か化学兵器をしこんでおけ」と命令しかねないのが、金正日という男の人格である。

 それを防ぐには、政権を覆すのが一番の良策だが、「内政干渉はいけない」というのが国際法だというので、手出しができない。

 もしこれが、たとえば日本の国の中のある県の知事が独裁権を持って、勝手に法律を作り、勝手に警察権を握り、ちょっと批判した県民を強制収容所に入れて虐待し、殺しているとなったら、どうなるであろうか。国はただちに知事を逮捕し、裁判にかけるであろう。もし知事が軍事力を楯に抵抗したら、内戦になり、国は知事の「反乱」を鎮圧することだろう。

 しかしそういうことは、国と国のあいだでは認められない。国連も手出しをできない。なぜできないかというと、国際法があるからだという。またそういうことを認めたら、逆に横暴な大国が出てきて、弱小国を武力で支配下に置く危険があるからだという。それが今の国際関係の常識となっている。

 しかしこの「常識」はどこかへんではないだろうか。この「世界の常識」は私は20世紀的な常識だと思う。既存の国際法とやらを楯に、現に塗炭の苦しみにあえいでいる独裁下の人たちを見殺しにしていいものだろうか。暴虐の限りをつくす悪人と戦うべきではなかろうか。

 悪人と戦うためには武力がいる。極悪人というのは武器と組織と戦略戦術を持っているものだからである。

 今年は北朝鮮は必ず脅しをかけてくる。日本国内の第五列を通じて、「北朝鮮暴発」説をまきちらして脅しをかけてくるだろう。

 そのとき「そんなものは脅しにすぎない」と言っても、説得力はない。じっさい、脅しにとどまらず、本当にミサイルを撃ち込んでくることも考えられる。ミサイルを撃ち込むことを脅しの手段として使いかねないのが金正日という男である。そのとき、日本は反撃して、ミサイルの基地を攻撃できるだろうか。

 いや、金正日がミサイルを撃つと脅しをかけ、実際に燃料を注入し終わって、機首をこちらに向けて準備完了した時点で、それを攻撃できるだろうか。

 もし生物兵器か化学兵器を装填したミサイルが、日本のどこかの都市に落ちたら、その被害は想像を絶するものがある。それでも予防攻撃は悪なのか。

 それではルールがなくなると言う人もいるが、ルールはある。相手が「撃つ」と脅しミサイルの準備をしたら、その時点で攻撃すると通告しておけば、ルールは存在している。たとえ相手が認めなくても、こちらはルールをはっきりと設定し、通告しておけばいいのである。

 もちろんそのためには同盟国のアメリカと事前の詳細な意思統一が必要であり、また国内の法制的な準備も必要である。

 こういう決心が必要になる事態が、今年の早い時期にくる可能性は大きいと私は思う。その時に備えて、一刻もはやく国内の世論の統一と、法律的な準備、軍事的な準備を進める必要がある。でないと、北朝鮮から脅されたときに、堂々とはねかえすことができなくなる。

 日本政府は、国家の独立と国民の生命・財産を守るという「国」の原点を確保するために、性根をすえてかかってもらいたい。またわれわれ国民も、ばかな平和主義に騙されることのないように、正しい世論の喚起に努めていかなければならない。

 軍事力をなにがなんでも使ってはいけないという足かせを、今のうちに解いておかないと、羊の群全体が狼の言うことを聞かなければならないような事態も出てきかねない。

 今年は我が国にとって一つの正念場になるかもしれない。ただ困ったことは、国民はもちろん、政治家たちにも、その危機感が薄いことである。事態の深刻さと、日本人の脳天気さのギャップが怖い。そこをなんとかしないと、日本は危ない。

 羊であることを、日本人はぼつぼつ卒業しなければならない時期ではなかろうか。