エッセイ

4 面白うて、やがて哀しき英語訳

 

 ひょんなきっかけで、

 

Womansword

What Japanese Words Say About Women

by Kittredge Cherry ,

Kodansha International , 1987

 

という本を読むはめになった。

 

「無意識の差別意識」を意識化せよ?

 きっかけというのは、ある日本人女性と「無意識の差別意識 」をめぐって論争になり、その人から「推薦」されたのである。

 この本は、日本人の女性についての言葉を英訳したものであ る。このように英語に訳してみると、普段は意識していない女性差別を意識させられ て、たいへん有益だとおっしゃるのである。

 たとえば、女性に関する「お袋」「箱入り娘」「美人」「未 亡人」等々の、女性を表現した言葉を英語に翻訳してみると、その表現がいかにおか しいかを意識化することができるという仕掛けである。たとえば、「美人」という言 い方が女性についてしか言われないのはおかしいではないか、といった調子である。

 要するに、この本を読んでみろと言われたことは、女性に対 する自分の無意識の差別意識を意識化せよと言われたに等しい。

 そう言われて引き下がるのも「男がすたる」ので、わざわざ 取り寄せて読んでみた。

 

 いや、これが実に面白かった。面白いというより、正確に言 うと、 interesting 興味深かった。

 

 最初のうちは、単に面白がって読んでいた。

 日本語を英語に訳すとこうなるのかという好奇心で見ていた ときはよかった。

 全部直訳してある。

たとえば、

「おふくろ」は Honorable Bag (えーっ、バッグ?  という 感じ) (アメリカ人から見たら、どうして母親が Bag で、しかも Honorable がつく わけ ? という感じだろう)

「姉御肌」は Big-Sister Types

「男まさり」は Male-Surpassers

「箱入り娘」は Daughter-in-a-Box

「夫を尻の下に敷く」は To Sit on a Husband

「粗大ゴミ」は Giant Garbage

なるほど英語で言うとそうなるのか、と

この辺までは面白がっていた。

 

 傑作なのが

「子宮」 Children's Palaces

 たしかに直訳すれば「宮」は「宮殿」だから Palace だよな 。

 それにしても、どうしてこれだけ複数にしてあるんだ ?

 それに「宮」には「神社」という意味もあるぞ。「お宮さん 」とか「宮参り」というように使う。「神社」という意味に注目すれば、Child's Shrine となるはずだがな。

 

「おふくろ」のもとの意味を知っているか

 とにかくすべて直訳してある。こういう直訳をして、本当に 日本語のニュアンスがアメリカ人に伝わるのだろうか。

と、この辺からだんだん疑問が起こってきた。

 

 たとえば、「おふくろ」を Honorable Bag と訳して、「カ ンガルーの母親の袋の中に子ども二人と父親が入っている」というイラストが添えら れているが、著者は「おふくろ」の語源を知らないようである。

 「おふくろ」の語源は室町時代に女性が家の財産を「袋」に 入れて管理していたことに由来している。この呼称は日本の女性の地位が伝統的に高 かったことを表わしているのである。

 現代でも日本の夫婦の大半は妻が財産の管理を任されている が、そうした慣習ももとを辿れば室町時代の「袋」から来ているのである。< /P>

 これを欧米の人たちに話すと、びっくり仰天したり、信じな いで冗談だと受け取る人もいるくらいである。欧米ではたいていの家庭で夫が財産を 管理しているし、給料を妻に全部渡してしまうなどは信じられない「暴挙」と考えら れている。

 

 ところで、ほとんど全部直訳なのに、なぜかときどき意訳が 入る。

たとえば、「天照大神」は直訳じゃない !

Great Heaven-Shining Mother となっている ! たしかに天皇 家のもとになる男子を産んだのだから「 Mother 」には違いない。しかしどうしてこ こだけ意訳なの ?

 学術書じやないんだから、そういう細かいことを言うな、と いう弁護論もありうるけれども、日米文化の誤解や偏見に関係する問題については、 もっと慎重に取り組んでほしいものだと思う。

 

 もちろん正しい方法は全部意訳にすること。しかし直訳にし た方が面白いし、「日本人はへんな言い方をするんだな」という感じを出すには適し た方法である。

 この辺までは「疑問」は感じても、まだ不愉快とか腹が立つというほどではなかった。

 

「主人」と「奥様」は差別語か?

 真ん中ごろに来たら、「奥さん」と「ご主人」が出てきた。 これが今フェミニストたちがしきりに槍玉に挙げている「差別語」である。

 「奥さん」の訳は Mrs. Interior となっている。私の「奥さ ん」に「あんたは英語では Mrs. Interior なんだってさ」と話したら、「私は飾り なの ?」とのたもうた。「いや、内装という意味のインテリアじゃないよ」、「奥に いる人、家の中にいる人という意味を込めて訳しているらしいんだよ」と説明する。

 ここまでは笑い話で済んでいた。

 ところが、その説明の中に、「ご主人」が出てきた。それを なんと Honorable master と訳している。

 要するに「ご」とか「お」「御」「様」はすべて Honorable と訳しているのである。

 Honorable というのは、もともとはイギリスの身分制度から 出た言葉であり、身分的にだいぶ上の人 (貴族) に対する敬語として使われる言葉で ある。それを「お」とか「ご」の訳語としてもってくるというのは、はっきり言って 誤訳だと私は思う。なぜなら、ずいぶん違った感じを与えてしまうのだから。「お」 「ご」には、そんなたいそうな意味はない。ただ相手を尊重している接頭語にすぎな い。敬語を知らないアメリカ人には、そういうニュアンスが分からないから、なんで も Honorable にしておけばよいと思っているのだろうか。

 この「誤訳」にこだわるのは、この著者が (少なくともこの 訳を利用するフェミニストたちが) この訳によって男女差別のひどさを強調している からである。「日本の妻は夫のことを master と呼ぶ、それだけでも従属的なのに、 他人の夫を呼ぶときにはなんとHonorable を付けるんだって ! いまだに封建的な 言葉を引きずっている遅れた国民 ! 」ということにならないであろか。ご存知と思 うが、 master と言う言葉は「主人- 召使い」という関係の中での「主人」という 意味、「支配者」という意味が第一義の言葉である。それだけでも「封建的 ! 」と 思われそうなのに、ご丁寧に Honorable まで付けるとは「なんて封建的な、差別的 な文化なんでしょう ! 」ということにならないだろうか。

 

 ここでちょっと注釈をしておこう。

 「奥様」と「主人」という言葉は、もともとは差別的な用語 ではなかった。これは中世の武士社会で使われていた言葉であり、その場合の「主人 」という言葉は、たしかに「家来」に対するときは支配- 従属関係の「主人」であっ たが、女性の専横領域であった「奥」に対するときは、上下の関係ではなくて、ほと んど対等の関係にあった。その関係における「主人」は、タテマエとして外に対する ときの家の代表(日本社会はタテマエとしては家父長主義だった、しかし実態はそう とは限らない)を表わしていただけである。「主人は対外的な仕事」「奥様は家の中 のこと」を掌握し、互いに完全にオフリミット、口をだすことはできなかった。それ は男女の役割の区別ではあったが、差別ではなかった、少なくとも「支配-従属」の 関係ではなかった。中世の男性と女性がほとんど対等だったことは、フェミニズムの 歴史家がむしろ主張していることである。すなわち近代になるにつれて、家父長制が 強まり、男女は上下の関係になった、と。

 「ご主人」「奥様」という呼称を差別だと批判する人びとは 、こういうことを知った上で議論をしているだろうか。

 日本の文化や歴史に対する教養を持たないで、思いつきで言 葉狩りをしたり、そういう感覚で日本人の「差別」を紹介してほしくないものである 。そういう紹介の仕方だと、日本文化への尊敬心を育てることにはならないで、むし ろ軽蔑心を助長することになってしまう。

 こういう本を推奨するということは、著者の「日本人は差別 意識の自覚化が遅れている」という差別意識を、自身も無意識のうちに持っているこ とを示していないだろうか。

 というより、その人自身の中にこそ、「男性中心」とみなし た日本文化への差別意識が隠れている。その人は「日本人は差別意識の自覚化が遅れ ている」という著者の差別意識を無意識のうちに共有しているのである。それがます ますアメリカ人の日本人への軽蔑と差別意識を助長しているとも気づかずに。

 

 しかもこの著者は、「奥さん」は「奥様」とも言うと言いな がら、それを Honorable Interior とは訳してない。女性にも Honorable をつける という、この平等性については知らぬふりなのである。これこそ差別的な扱いではな いか !

 

 と私が憤慨していたら、わが「奥さん」から「日本男性はオ ナラブル・マスターではなくて、オナラスル・マスターじゃないの?」と、きつーい 一発を喰らってしまった !   私の「家内」はなんとすばらしいユーモアのある「 奥様」ではないですか。

 こういうのを日本語では「のろける」と言うが、英語ではな んと言うのかしらん、と思って和英辞典を引いたら、

He speaks amorously of his wife.

となっていた。なんだ、こんな説明的な表現しかできないところを見ると、日本語の 「のろける」に当たる言葉はないんだな、日本語の方がえらいぞ、と愛国心を満足さ せた。

 

 冗談はさておいて、もう一つ腹が立つことがある。 いちいち、「これに当たる男言葉はない」とコメントがついていることである。

たとえば、「箱入り娘」の説明の中に、

A male version of the term does not exist.

とあったり、

Mrs. Interior の説明の中に「男性はほとんどの時間を家の奥 で過ごしても、決して Mr. Interior とは言わない」とわざわざ付け加えてある。

 これほど日本語には「男女差別が染み込んでいる」という暗 示が、ちりばめられているのある。

 

「未亡人」のもとの意味は?

 日本人への偏見を助長しそうな例をもう一つ。

「未亡人」は The Not-Yet-Dead People と訳されている。

 たしかに漢字の文字通りは「まだ死んでいない人」と読める 。しかしその説明を読んで私は愕然としてしまった。

 

 日本では女性の夫が死ぬと、彼女は 「まだ死んでいない人」と呼ばれはじめる。彼女も自身をそう (つまりまだ死んでい ない人と) 思っているかもしれない。なぜならこの言葉は未亡人 (自身) が言い始め たと言われているからである。多くの日本人は not-yet-dead person という言葉を 、その文字どおりの意味を意識しないで使っている。しかしそのもともとの意味 original implication は、女性の夫が死んでしまうと、彼女は生きている目的がな くなってしまい、もう死を待つ以外にやることがなくなってしまうという意味である 。(p.127)

 

 この説明は明らかに一定の結論に誘導していく性質を持って いる。すなわち、最初の説明では一応「日本人は文字どおりの意味を意識しないで使 っている」と断ってはいる。しかしすぐ続いて、「未亡人」の「もとの意味 original implication 」は「夫が死ぬと、生きている意味がなくなり、死を待つば かりの人だ」という意味であり、本人もそう思っている可能性が高い、「なぜならこ の言葉は未亡人が自分で言い始めた言葉だから」と言っている。

 この説明を読んだ人は、おそらくほとんどの人が「現在の日 本女性も、夫が死ぬと生きている意味がなくなったと考えている」と受けとるのでは ないであろうか。なぜなら「この言葉は未亡人 (自身) が言い始めたと言われている 」と説明されているからである。

 よく考えてみれば、この説明はきわめて曖昧であり、なんの 説明にもなっていないことに気づくはずである。「言い始めた」っていつのこと ?  もしかしたら江戸時代のこと ? いやもっとさかのぼって中世の武士社会あたりか な ? ひょっとして、もっと古い時代? いずれにしても、封建的な、または家父長 的な時代の産物だろうと受け取るであろう。たしかにこの言葉の起源は家父長制度に 基づいている。ではいつ、どこで発生したのであろうか。

 発生は中国。それも紀元前8世紀から5世紀という恐ろしく昔 の話なのである。しかし著者は original という言葉を使いながら、 original が中 国語であり、その発生は紀元前だとは言わない。

 私が語源辞典その他で調べたところによれば、この言葉は『 春秋』という史書についての注釈書である『春秋左氏伝』に出てくるそうで、「夫が 死んだらそれに殉じて妻も死ぬ」という観念は紀元前8世紀から5世紀ころの中国に存 在した観念である。しかしすでにそのころでも、じっさいに死ぬ人はだんだん少なく なっていたのではなかろうか。夫に殉じて死ななかった女性は、「謙譲の意味で」「 まだ死なない人」という意味の「未亡人」と自称したそうである。

 つまり第一人称で使われた。このことを指して、著者の Cherry 氏は「この言葉は未亡人 (自身) が言い始めた」という説明を入れたのであ ろうか。しかし「未亡人 (自身) が言い始めた」ということを、「自分が役立たずに なったことを意識している」証拠として持ち出すのは、まったくおかしい。当時の女 性は意識していただろうが、現在の女性はそんなことを知りもしないし、ましてやそ んな意識を持っているはずがないからである。

  Cherry 氏が持ち出す「もとの意味 original implication 」とは、中国でのこと、しかも紀元前8から5世紀の話である。そんな話を普通の人は 知っているはずがない。私も知らなかった。よほどの専門家でないと知らないのでは ないか。

 しかし Cherry 氏にかかると、現代の未亡人自身が「まだ死 んでいない人」だと「本人もそう思っている可能性が高い」ということにされてしま う。たしかに夫をかぎりなく愛している女性は、夫に先立たれたら、「生きていても 仕方ない」と感ずるかもしれない。しかしそれは夫に従属していたからではない。対 等の関係だって、愛があれば、少なくとも夫が死んだ直後はそう感ずるものである( もちろん妻に先立たれた夫も同じである)。第一、 Cherry 氏はどうやら日本の家父 長制度のもとでの「発生」を想定しているようである。したがって読者もそういう意 味に誘導されていくであろう。

 このような「説明」によって、日本文化の正しい認識へと導 かれるとはとうてい思えないのである。

 

 さらに不愉快なことには、イラストの日本女性の目がつり上 がって描かれている。私は昔、欧米の漫画が日本人や中国人の女性を、目がつりあが っているように描き、また 日本人の男性を出っ歯に描いていたことを思い出した。 そういうステレオタイプの絵を、どうして現代の日本人のイメージとして再び描き出 そうとするのか、不可解である。

 

背後に日本人支援者がいる?

 この著者は日本にたったの3年間しかいなかった。その間に、 これだけの言葉を集め (ざっと数えて80個) 、その意味を字句通り直訳するという作 業は、まず独力ではできない。しかも職業は超忙しいはずのジャーナリストだと言う 。

 このような作業は、日本人の協力者がいなければ、ほとんど 不可能であろう。たとえば「子宮」を Children's Palaces と訳すためには、「子 」が「子ども」という意味であり、また「宮」が「御殿」を意味することを知らなけ ればならない。

 「宮」を国語事典で引くためには、それが「みや」という発 音であることを知る必要がある。そのためには、まず漢字事典を引かなければならな い。

 それはアメリカ人にはたいへん難しいことである。その上で 、国語事典を引いてみると、「神社」をはじめいろいろな意味が出てくる。それらに ついて、また読み方を漢字事典で引き、意味を確かめる。こんな気の遠くなるような 作業を一人でできるためには、よほど日本語の読み書きが堪能でなければならない。

 著者は「子宮」に関して、漢字事典どころか、国語事典も引 いていないとしか思えない。というのは、「宮」を直訳すれば、まず第一の意味の「 神社」という意味になり、Child's Shrine となるはずだからである。 この著者は日 本語の事典さえも引いていない可能性が高い。

 周りくどい言い方をやめてはっきり言うなら、つまりこの本 の陰には日本人がいるということである。日本人が「宮」は Palace だと教えなけ れば、Children's Palaces という訳は出てこない。

 ということは、問題はこの著者の女性にあるのではなく、周 りを取り囲んで教えた日本人の(多分)女性たちにあると言うべきであろう。その日本 人の女性たちのイデオロギーが、この本には乗り移っているとしか考えられない。ひ どいものである。自分たちのイデオロギーや鬱憤を、アメリカ人にまきちらして、晴 らしているのだから。そうすることで、日米の文化交流とか、相互理解は絶対に進ま ない、むしろ大きく歪んでしまう !  これでは、アメリカ人の偏見と差別意識を助 長してしまう!

 

 私が「その筋」に問い合わせて確かめたところ、この本はア メリカでよりも日本で売れたらしい。つまり日本に滞在しているアメリカ人が、日本 のことを知ろうと思って読んだ可能性が高い。 詳しい数字は言わない約束なので言 えないが、日本に滞在中のアメリカ人の数を考えると、相当な密度で読まれた可能性 がある。彼らは「日本の文化について知りたい」という強い動機を持っていた。とこ ろがその「よい」動機に答えるものとして提供されたのが、こういう疑問の多い偏っ たものだった !

 そして彼ら彼女らは「日本の女性はこんなにも差別されてい る」「日本は遅れている」という「認識」を持ち、本国へ帰って周りの人びとに話す 。じっさいに日本に滞在していて日本のことを知ったというふれこみだから、多くの 人はそれを信ずるだろう。そのようにして差別意識というものは広まり根づいていく ものである。とんでもない本を出版してくれたものである。

 

 

 日本に不満のある者たちが、不満を日本人に対して言うかわ りにAアメリカ人に日本の悪口を言うことでうっぷんを晴らすというパターン。同じ パターンは中国の「日本軍残虐」イコール「日本人残虐」宣伝に呼応する日本人にも 言える。日本の中での不満をぶちまけるために、他国の日本批判に便乗して、日本の 悪口を言うというパターンである。

 

 伝統的文化があるということは、当然封建社会を通ってきて いるということを意味しており、したがって言葉の中にはそうした痕跡が残っている のは当然である。それをいちいちチェックして「封建的」だとか「差別的」だと弾劾 していくと、「中国の文化大革命」や「タリバンのガンダーラ大仏破壊」のように、 伝統文化そのものを否定することになりかねない。

 私は怒りを通りこして、哀しくなってしまった。こんな本が 十数年前に出ていたのを知らなかった !

 面白うて、やがて哀しき英語訳