エッセイ

3 イタリアのお巡りさん

 10年ほど前にスイスのチューリッヒのユング研究所に留学していたときのことである。

 夏休みを利用して北欧とイタリアに旅行した。北欧のことはいずれ書くとして、今日はイタリアに旅行したときの愉快なエピソードを紹介したいと思う。

 われわれの場合、旅行と言えば、どこへ行くにも必ず車である。車の旅行は、列車で拠点から拠点へと移動するのに比べると、いろいろと苦労があるかわりに、思いもよらない体験をすることもできる。妻も娘も免許を持っているので、三人交代制で運転できるのが強み。疲れたり寝不足のときに運転しなくていいので助かる。その体勢で、一番遠いところはチューリッヒからオスロまで遠征してきた。

 ちなみに私が初めて免許を取ったのが、30年前、ドイツのテュービンゲンである。ドイツの教習所の先生は個人営業で、予約をすると家まで迎えにきてくれる。家の前からいきなり一般道路で教習が始まる。楽なものである。

 しかし講義には困った。先生がひどい方言で、まったく聞き取れない。そこで「あなたの方言は分からない、だから教本をください、それを読んで試験を受けたい」と言ったら、言ってみるものである、ほんとに教本をくれて講義には出席しなくていいと言ってくれた。読む方は得意なので筆記試験は楽に合格。

 しかし実地試験ではあやうく不合格になるところだった。試験の途中で、どうしたわけかワイパーが動きだしてしまった。止め方が分からない。あとで考えてみたら、雨の日に教習を受けたことがなかった。予約するときに、雨の日はいやだからと、晴天の日ばかりを選んでいたのが間違いだった。ワイパーを使ったことがなかったのである。あっちこっちさわってもなかなか止まらなくて、やっと止まったときには、かなり点数を引かれて、ぎりぎりになっていたらしい。

 最後に、出発した拠点に戻ってきて、試験官が「はい終わり、降りてください」と言ったので、私はドアを開ける前に後ろを振り返り、後方確認をしてドアを開けた。そうしたら、助手席にいた教官と後ろに乗っていた二人の試験官が一様にほっとしたように、「ヤー、ヤー、グート」と言って笑顔になった。もし私が後方確認をしなかったら落第、というぎりぎりの点数だったのだろう。これは合格したなと、私もホッとした。話を戻そう。

 そのときの免許を持っていれば、なんとヨーロッパのどこでも運転ができる。ぼろぼろで色が変わっているのは、書き換えなどという面倒なことが必要ないからである。その間、運転技術が落ちたらどうするのと、日本人ならすぐ考えそうだが、そこは自分の責任で考えなさいということである。

 

 

 さて、われわれは車でひたすら南下。一日目はミラノに一泊。しかし北イタリアは帰りにゆっくり見ることにして、二日目には早くもローマに到着。ローマを三日かけて見学した。

 ヨーロッパというところは、このごろ初めてEUとなって一体化したのではなく、もともと同じ雰囲気を持っている。たとえば、南はイタリアのフィレンツェあたりから、北はスカンジナヴィア半島まで、まったく街はきれいで静かで、人々は礼儀正しく治安もいい。いかにもヨーロッパ市民社会という感じである。

 ところが一歩ローマに入ると、まるで感じが違う。はっきり言って恐ろしい。街にはそこここにヨタモノみたいな男たちがたむろしており、じっさいにもちょっと油断していると盗難に合う。

 この感じは南フランスやスペインでも同じで、あるところから南に行くと、とたんに治安が悪くなり、怖い。じっさいに女子学生でスペインに旅行した者が、まだ暗くなっていないのに、財布とパスポート入りのバッグをひったくられたとか、中年の女性がバスポートを盗まれたという話はゴマンと聞く。

 出かける前に友人たちに脅かされた。「車のラジオをはずしていったほうがいいよ」と。つまり車の中のラジオを盗もうとして、窓を割られる。中に何もなければ、窓を割られる被害に合わなくて済むというわけである。

 人によっては「ガッチャンを持っていったほうがいいよ」とも忠告してくれた。「ガッチャン」とは、傘のような形をした金属の枠みたいなもので、ハンドルにガッチャンとはめてしまうと、絶対にハンドルを動かすことができないので、車の盗難を防ぐことができる究極の道具である。(ただしたいへん高価だし、私の車はそんなに高価でないので、「そこまでは必要ないか」と思って私は買わなかった。)

 ある友達は、ヨーロッパで言われている冗談に「イタリアの自動車教習所では、まず最初に鍵のかかった車の開け方から習うんだってさ」というのがあると教えてくれた。

 これが冗談でなかったことを、われわれは実際にローマで二度も体験することになった。きちんと鍵をかけていたのに、三日間で二度もドアを開けられ、中のものを盗られたのである。一回目は真っ昼間、二回目は夜。用心して何もない状態にしていたので、実際の被害は携帯用の折り畳み式バッグと、バナナ数本だけであったのが幸いだったが、恐怖は感じた。

 もっと恐ろしいのが、ローマ以南では、どの車も例外なく、ボコボコとへこんだ傷があること。絶対に一台の例外もなく、すべての車がボコボコにへこんでいる。なぜかと言うと、平気でぶっつける。ぶっつけられたほうも平気で、直そうとしない。ぶっつけ、ぶっつけられることが、当たり前の社会であり、だれも気にしない。

 日本では考えられない、信じられないことであろう。いや、日本人だけでなく、ローマより北のヨーロッパ人にも信じられないことのようである。ローマより北では、それこそ一台もへこんでいる車を見かけたことはない。へこめばすぐに直してしまう。

 逆に、すぐに直すというほうが、南の人たちから見たら、「神経質すぎる」と言われそうである。

 ローマ市内を運転することは、それは怖い。交差点に信号がないところがある。ボコボコの車がつっこんでくる。車の中からは怖そうな男がこっちを睨んでいる。こっちも睨みかえしながらも、衝突は怖いので、やはりハンドルを切って逃げる。しかし下手をすると反対側にも車が迫っているので、そっちにぶっつける危険がある。だからといってあんまり急にブレーキを踏むと後ろからぶっつけられるかもしれない。気を使って疲れることはなはだしい。

 フランスの凱旋門のまわりが、ぐるぐる周りになっていて、そこに入る車と出る車が渦をまいていて、外国人がいきなり入っていかれるところではないが、そこでも私は案外うまく運転し、何度も入ったり出たりした。フランス人はぶっつけられるのは嫌いらしく、度胸で割り込んでいくと、避けてくれる。しかしその私でも、ローマの信号のない交差点だけは怖かった。ぶっつけることが平気という奴には勝てない。

 一度もぶっつけられなかったのは幸いであったが、一つにはこっちがスイスナンバーだったことと、東洋人が運転していたことが、牽制になっていたのかもしれない。ちなみにスイス人はなんとなく一目置かれていて、ぶっつけたら「うるさい」と思われているかもしれないことと、東洋人はなんとなく不気味で、空手や柔道をやるかもしれないと思われているからかもしれない。 (素朴なヨーロッパ庶民は、日本人は皆柔道の心得があると思っている人がけっこう多い。)

 

 話が横道にそれてしまったので、本題に戻ろう。われわれはさらに南下して、ついにナポリに着いた。ナポリはローマよりもっと怖い。対岸のシシリー島は、かの有名なマフィアの本拠地である。もちろんナポリはその縄張りの中心であろう。

 もちろん、完全に一台の例外もなく、車体はボコボコにへこんでいる。へこんでいない、きれいなのは、われわれの車だけ。へんに疎外感を感じる。いかにもよそ者という感じ。

 ナポリの郊外のなんとかいう街にある、そのあたりでは最高の高級ホテルを予約してあった。そのホテルを気にいったのは、名前が「ホテル・メドゥーサ」だったから。メドゥーサとは、例のギリシア神話の英雄ペルセウスに退治された女怪である。ホテルの玄関の正面には、メドゥーサの首の彫刻がはめこまれていた。

 われわれは夕方にホテルについた。そのときは迷うこともなく、 幹線道路から直接に、立て看板の指示に従ってスムーズにホテルに到着した。

 夜ホテルのレストランで食事をしていると、隣のテーブルに、見るからにごっつい船乗り風の男たち数人がいる。高級ホテルにはふさわしくない雰囲気である。その男たちがこちらを見てニヤニヤしている。そして聞いてきた「うまいか」。私が「うまい」と答えると、一斉に笑った。笑われる場面でもないのに笑われるのは不気味なものである。

 私は勝手に、この連中はマフィアの幹部にちがいないと思って怖くなった。考えてみれば「ホテル・メドゥーサ」という名前も、なにやら怪しげである。しかしまさか善良な (それも金もなさそうな) 旅行者に、なにかするわけもないと思って、心を落ち着けた。

 さて翌日、われわれはお目当てのポンペイの遺跡を見学した。そのときのエピソードはまた後日。

 問題は帰りである。ホテルのある街がその日、お祭りだと聞いていたので、ちょっと見物していこうと思ったのが、間違いであった。街の中に車で入ったが、祭りはもう終わっていて、街の中には酔っぱらいしかいない。どうやってホテルに帰るか、道が分からない。しかたないから、その辺の人に「ホテル・メドゥーサはどっちだ」と聞くと「あっちだ」と言うので、行ってみると、ぜんぜん違っている。そこでまた「ホテル・メドゥーサはどっちだ」と聞くと「あっちだ」と言うので行くと、また違っている。イタリア人の出鱈目さに腹が立ったが、相手は酔っぱらいなので、怒っていても仕方ない。

 どうしようかと思案に暮れていると、妻が「あの広場にお巡りさんが一杯集まっていた。あそこで聞けば」と言った。そこで広場にとってかえすと、警官隊数十人が今や警戒を終えて解散するという体勢である。私は解散されては困るとばかりに、出発しようとしていたパトカーの進路を塞ぐように、突進して行って車を横に止め、窓から手を出して振った。そうしたら、「すはっ、なにごとかっ」とばかりに数人の警官がバラバラと走り寄ってきた。

 私はちょっと大げさだったかなと反省したが、反省している暇はない。警官は「なんだなんだ」 (イタリア語だから分からないが、多分そんな言葉だろう) と叫ぶ。そこで私は大声で「ホテル・メドゥーサ ! 」と叫んだ。向こうはなんの意味か、すぐには分からなかったらしいが、何度か「ホテル・メドゥーサ」と叫んだら、ようやくホテル・メドゥーサへの道を聞いていると分かったらしく、隊長のような人がぺらぺらと説明し始めた。

 「分からない」と首を振ると、彼はしばらく困ったように考えていたが、やおら「ついてこい」という仕草をしたかと思うと、パトカーに乗って出発した。窓から手を出して「ついてこい」と合図している。

 私は「やれ、助かった」と思って、パトカーにぴったりくっついて走る。途中何回も道をつっきるが、そこは祭りの帰りの渋滞で車が数珠つなぎになって動けないでいる。そこを「そこのけそこのけ」とばかりに突っ切ったり、サイレンこそ鳴らさなかったが、グルグル回る赤色灯を車の上に乗せ、上りも下りも大渋滞の間、つまり中央分離帯を走ったり、空いている片側車線を逆走したりと、やりたい放題。渋滞中の車の人たちは「何者?」と私たちの車を見ている。

 途中、追突事故の現場を通りかかるも、後部座席に座っていたその隊長さんが「行け」と手で合図し、事故を見て見ぬ振り。

 私がちょっとでも離れると、彼は窓から手を出して「ついてこい」と合図をしてくれる。なんとも親切なお巡りさんである。ずいぶんとぐるぐる回って、やっと山の頂上のホテル・メドゥーサに到着した。こんなに複雑では、自分だけでは絶対に探しあてるのは無理だと思った。

 ホテルに到着すると、ちょうどパーティか結婚式かが終わったところで、着飾った男女がいっぱいホテルから出てきたところ。パトカーに先導されてきた者は、どこのVIPかと見守っている。衆人環視の中に、われわれはフットライトを浴びているかのように車から降りたった。警官に「ありがとう」と握手する。こちらのご婦人二人も握手すると、その警官は顔をくしゃくしゃにして喜んでいた。なんとも人のいいお巡りさんであった。

 人がよくて融通がきく。われわれにとっては有り難かったが、見方を変えれば「えこひいき」とも言えるし、「公務中にそこまでしていいの?」と考えさせられた。もっとも祭りの警戒は終わって帰るところだったのだから、公務中とも言えないか。

 日本の警察はこのところ不祥事続きで、その埋め合わせか、あるいは人気挽回のためか、市民からの相談を受けつけているそうだ。まあそれも悪くはない。私のように助かる人もいるだろうから、文句を言う筋合いではないかもしれない。しかし私の率直な感想を言えば、警察の本来の仕事は悪人を検挙し治安を守ることであるから、そっちの方をむしろしっかりやってもらいたい。それと不祥事だけは、もういい加減になくしてほしいものである。