エッセイ

16 看護婦言葉

      (平成21年2月8日初出)

 病院との付き合いも長くなると、いろいろと面白い現象が目に付く。中でも看護婦の言葉遣いが面白い。二、三紹介しよう。ただし、これらの現象が全国的にどのくらい普及しているか、狭い範囲の体験しかないので、私には分からない。

 まずは、どなたもご存知のとおり、看護婦という言葉は公式には存在しない。看護師と言わなければならない。「シチョーさん」と言うから誰のことかと思うと、看護「師」の長だから「師長さん」、以前の「婦長さん」のことである。

 しかし面白いことに、患者のあいだには「看護師さん」という呼び方はあまり普及していない。無邪気に「看護婦さーん」と呼んでいる。看護婦の方もぜんぜん気にかけないふうに「ハイハイ」と応じている。多勢に無勢、「看護婦さーん」と言う患者の方が圧倒的に多いので、いちいち「看護師と呼んで下さい」と訂正することは不可能なのだろう。長年慣れ親しんできた「看護婦さん」という呼び方を、一片の通達で変えてしまうことなどできはしないのだ。

 看護婦たち自身も自分たちのことをあまり「看護師」とは呼ばない。私がお世話になっている病院だけの現象かもしれないが、「ナース」と呼ぶ。日常の会話でも「ナース」と呼んでいる。聞いてみると、ドクターと一緒の会議のときとか「うちうちではナースと言うことが多い」そうである。昔から「ナース」と呼んでいたのか、それとも「看護師」という呼び方がしっくりこないので「ナース」に変えたのか、どちらだろう。少なくとも、「看護師」という言葉はほとんど聞かれない。

 さてここで一つ、面白い言葉遣いを紹介しよう。

 その言葉とは「……してもらってもいいですか」というもの。看護婦からこう言われたら、患者の側に拒否権はない。「お熱を計ってもらっていいですか」などと言われたら、イヤとは言えない。

 この言葉遣い、考えてみるとなんとも奇妙である。意味は「……して下さい」である。でも「……して下さい」ではあまりにぶっきらぼうだし、「……してもらいたいです」では失礼になる。少しは丁寧に言おう。しかし「……していただいてもいいですか」では丁寧すぎる。そこで編み出されたのが、「……してもらってもいいですか」という、相手を見下しているのか重んじているのか、わけの分からないキメラのような言葉なのだろう。

 一時期、「お名前さま」とか「ご注文はよろしかったでしょうか」とか、おかしなサービス業界用語が話題になったが、これもまたそうしたものの一種かもしれない。

 我が家でも、この面白い言葉がひとしきり流行った。そこで短歌を一首。

 (妻と二人の食卓で)

   おいしいと

     言わせてもらって

         いいですか

    妻が笑った

      傑作のしるし

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