エッセイ

14 立てば芍薬(しゃくやく)

      (平成17年5月16日初出)

 立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。昔の人は、美しい女性の姿を花に喩えて、こう表現した。スラリと立った痩身の美女、華やかな中にも落ち着いた牡丹のような貫禄、百合は頭が重いので風にゆらりゆらりと揺れる、その様子はしなやかに上品に歩く美女に似ている。

 意味は分かるのだが、芍薬がどうしてスラリと立った姿と言えるのか、私は長いあいだ不思議に思っていた。芍薬の立ち姿は牡丹に似ている。スラリと立った痩身の美女とは言えないではないか。じつはイメージが間違っていたのだった。私がイメージしていたのは西洋芍薬であった。

 我が家に日本芍薬がやってきた。牡丹に近い西洋芍薬と違って、たしかにスラリとしていて、花も控えめで小さい。西洋芍薬や牡丹が六頭身いや四頭身だとすると、こちらはまさに八頭身いや十頭身美人である。下の写真をご覧あれ。

      

  日本芍薬          鉄砲百合(てっぽうゆり) 


    

  牡丹 


 我が家の芍薬はちょっと太りぎみ。横の枝葉を切って、一本の茎だけを残せば、「立てば芍薬」の言葉どおりの姿になるのだが、そんなことは可愛そうでできないので、葉が茂りほうだいにしてある。一番手前の一本だけが、かろうじて「立てば芍薬」のイメージを残している。

 百合の写真は残念ながら下の方をカットしてしまったので、「ゆらりゆらり」と風に揺れる姿を想像していただきたい。

 牡丹は華やかである。中国の原産で、唐の時代に人々がその華麗な雰囲気に夢中になった。「花王」と呼ばれ、富貴の象徴であった。「牡丹にあらざれば花にあらず」とばかりに、花期の20日間は花見に右往左往した。白居易は「牡丹の芳」で「一城の人皆狂えるがごとし」と詠んだ。また「名花(牡丹)傾国(楊貴妃)両(ふた)つながら相歓ぶ」と牡丹と楊貴妃を重ねている。

 中唐の詩人、劉禹錫は「牡丹を賞す」で「芍薬は妖として格無く(あでやかだが品格なく)、芙渠(この字の上に草冠がついている)(蓮の花)は浄くして情少なし(清浄だが風情が乏しい)、唯だ牡丹のみ国色あり。花開くの時節、京城を動(ゆる)がす」と詠んだ。「国色」とは国中で一番の美人の意味。「天香」とともに牡丹を詠むときの決まり文句である。

 以上、種明かしをすれば、じつは「中国文化の会」の西正さんの蘊蓄をそのまま借用したもの。西さんは昨年まで私の囲碁の授業を手伝ってくださっていた。その御縁で、中国文学や万葉集に出てくる花について、多くのことを教えていただいた。その蘊蓄は機会をみて、おいおい紹介したい。

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