母性

6 母のいない母たち

──NHK(教育)「特集・子育ては楽しいですか?」を見て

         (平成12年8月6日初出)。

 

 8月5日(土)午後6時半から9時半に放映されたNHK・教育テレビ「特集・子育ては楽しいですか?」を見た。妻と娘も一緒に見て、見ながら、また見終えて、話し合った感想を次にまとめる。これは私だけの感想ではなく、いわば我が一家の感想である。

 

ママたちの母親が一度も登場しなかった!

 この番組を見終わって、一番不思議に思ったことは、母親たちの母親が話題の中に一度も登場しなかったことである。つまり、司会者・会場の母親たち・ゲストを含めて、誰一人「おばあちゃん」の存在をうかがわせる発言・発想をしなかった。(以下、区別するために若い母親を「ママ」と呼び、その母親を「母親」と呼ぶ。)

 これは私たち一家から見るときわめて異常に映った。私の妻は自分の母や姉とつねに密接につきあい、ときに応じてアドバイスを受けたり、助け合ってきた。娘は結婚してからも、常に母親のアドバイスを求め、知恵を借りてきた。

 生まれてくる子どもの体質や気質は、自分か夫に一番似ているものである。子どもの気質に対する扱いとか、育て方のコツとか注意点は母か姑に聞いてみるのが一番参考になるはずである。

 しかしスタジオに集まったママたちからは、情報のもととして「育児書」「友達」「先輩」「地域」という言葉はしきりに使われていたが、自分の母親に助けてもらうとかアドバイスを求めるという話は一つも出てこなかった。また司会者やゲストも、そういう質問をしなかった。スタジオの全員に、そういう発想が欠けていた。

 たしかに、転勤族だとか、親とは一緒に住んでいない人も多い。しかし電話というものがあるではないか。どうして母親に聞いてみようという発想にならないのであろうか。子育てのときに、「自分の母親ならどうしただろう、ちょっと聞いてみよう」ということがまったく思い浮かばないということは、考えてみればじつに異常なことである。

 番組の中では、「いま子育てが済んだばかりの先輩に聞いてみるのがよい」という意見もあった。それももちろんいいことではあるが、どうして一番身近な先輩の「おばあちゃん」が出てこないのか。

 

 このことの原因についてわれわれ一家が話し合った結論はこうである。

1 おむつの種類、風呂の入れ方、母乳についての考え方、離乳食についての情報などなど、技術的な面については今は昔とかなり違っており、母親の知識は当てにならないと思われている。技術的に当てにならないという先入観から、すべてについて当てにならないと思いこんでいるのではないか。

2 育児についてだけでなく、人生百般について、親の世代を信用していないのではないか。つまり世代間断絶がある。この世代は母子の世代間断絶が一番大きかった世代ではないか。もっと一般的に言えば、年輩者や老人の知恵に対する尊敬の念が欠けているのではないか。

3 母親の世代は、子育てや家事といった生活上の仕事を一段低いものと見なして、関心が外に向いていた世代であり、「手塩にかけて育てる」ということから最も遠い子育てをしてきたので、子どもの世代は「自分のような育てられ方をしたくない」と思っている。

 たとえば、番組の中でも、「自分は母親の手で育てられなかったので、自分の子どもを自分で育てながら、母の愛情を追体験している」という趣旨のことを言っている人もいた。私の教え子の中にも、母が働いていていつも淋しかったので、自分は自分の手で子どもを育てたいと言って、専業主婦になっている女性も少なくない。

 つまり母親たちの子育てを批判するところから始まっているので、母親のアドバイスを求めるなどという発想にならない。求められても、母親の側にそれに答えられない場合もあるのではないか。

 

 そもそもママたちの母親の世代である4、50代の女性たちは、たとえ専業主婦をやっていても、家事育児の価値を自ら低く見ている女性が多く、目はいつも外を向いていた。本当に考えて育児をやっていた人の率が少ない世代なのではなかろうか。ましてや、保育所に預けていた母親には、専業主婦のママ特有の悩みに対してアドバイスすることは難しいだろう。

 もし母親(姑も含めて)が本当に育児の価値を考え、工夫して育児をやったなら、たとえ技術的には古くとも、もっと基本的な育児についての態度や、子どもに対するときの心の持ち方、「そんなことにこだわらなくてもいいんだよ」といったちょっとしたアドバイスなど、いくらでも助けることはできるはずである。また一度そういう「助かった」「役に立った」という経験があれば、何度でも「おばあちゃん(おじいちゃん)の意見を聞いてみよう」となるだろう。そうなれば、「孤」育てや精神的密室育児になるはずもないのである。

 このこととの関連で、知り合いから、こんな話を聞いた。娘に子どもが生まれたので、母親が「私が育ててあげるから、あんたは働きなさい」と言ったところ、娘は「私を正しく育てられなかった人に、育ててもらいたくない」と言ったそうである。

 一番身近な自分の母親を信用できない、当てにできないというところに、この世代の不幸と孤独があるのではないか。

 

「完全神話」を「母性神話」と表現する弊害

 ゲストの大日向雅美氏が、相も変わらぬ「母性神話」批判を繰り返していた。彼女の言う「母性神話」とは「完全な母で当たり前」「母として立派にできて当たり前」という考えのことだそうである。

 それでは、「よりよい母になろう」とする気持ちがいけないかのように思われてしまう。そもそも大日向氏の「母性神話」は「完全神話」と呼ぶべきである。それを「母性神話」と呼ぶと、「母性が必要だ」とか「母性は大切だ」と言っただけで、母親に不当なストレスを与える悪いことのように思われてしまう。子供にとって母性は必要なのであり、母性を阻害する要因を排除する姿勢こそが大切なのだ。

 問題なのは、なんでも完璧でなければ気がすまないという思いこみであり、母性が必要だという考えがいけないわけではないのである。

 

60点でいい?

 母親のストレスが「母性神話」にあるという説によれば、「母親は60点でいいのですよ」と言ってあげると、母親の気が楽になるという。しかし私はたとえば60点で合格したパイロットの操縦する飛行機には乗りたくはない。子育ても、60点でいいとは決して思わない。せめて80点くらいは目指してもらいたいものである。というより、その目指すという姿勢が大切なのであり、努力した結果が60点でも、子どもにとって「お母さんは一生懸命やったけど、60点でごめんね」と言われるのと、初めから「60点でいいのよ」と開き直られるのとでは、大きな違いが出てくるものである。

 

追いつめるのは固い頭の公式主義だ

 じつは母親が追いつめられるのは、「80点を目指せ」「より完全な母を目指せ」という「母性神話」によってイライラするからではない。追いつめられてイライラしている人というのは、たいてい頭の固い人である。

 たとえば、番組の中でも、「赤ちゃんに離乳食を食べさせるときに、自分も一緒に食べた方がいい」と思いこんでいる母親がいた。「赤ちゃんが寝ているので、起きてから一緒に食べようと思って、お腹がへっても我慢して待っていて、さあ赤ちゃんが起きたから食べさせようとすると、食べない。自分もお腹がへってきて、余計イライラする。」

 その母親に対して、「そういう場合には、自分が先に食べて、赤ちゃんに食べさせるときは、気持ちの余裕をもって食べさせることに専念する方がいいんですよ」というアドバイスが、誰からも発せられなかった。

 この母親のネックになっているのは、母性神話などではなく、単なる頭の固さ、「親子は一緒に食事をすべきだ」という公式的な思いこみの強さである。こういうのは「公式神話」と呼ぶべきである。

 

「自己実現」とは何だ!?

 「自己実現」という言葉もとびかっていた。みんなが自己実現したがっているかのようだった。いったい「自己実現」とはどういうことか。深く意味も考えてみないまま、流行で使っているだけではないのか。

 「自己実現のために仕事をしたい」と言っていた人は、子育てをしていると「自己実現」ができないとでも考えているのだろうか。何をやっていようと、そのことの意義を見出して一生懸命にやることの中にしか、自己実現などということはありえないのである。

 人生のある時期は、宿命として引き受けなければならないことがやってくる。将来に備えての勉強だとか、子育てなどというものは、一種の逃れられない宿命みたいなものである。確かに厳密に言えばそれらは逃れたければ逃れられるので、「宿命」という言い方は大げさかもしれない。しかし子どもが生まれてしまえば、子育ては宿命である。その「宿命」も一生続くわけでもないのに、「自分がなくなる」などと大騒ぎするな、と言いたい。

 「自己実現」ということは、自分の宿命を積極的に引き受けて、その中で最大限に努力することの中から出てくることである。今やるべきことから逃れて、別のことをしても実現するものではない。

 

大日向雅美氏は「母性」専門家か?

 「母性」というと大日向雅美氏が専門家として呼ばれたり、講演したりするが、大日向氏が「母性」の専門家とは思えない。彼女は「母性神話」批判と母性本能否定を繰り返しているだけで、母性の研究などしていない。彼女の博士論文が『母性研究』として出版されているが、それは「母親意識」についてのアンケート調査であり、「母性」研究でもなければ、科学的・実証的研究でもない(この点の詳しい批判を、拙著『主婦の復権』講談社、で行っている)。

 彼女は子どもが生まれると九州の親に預けて、博士論文のためのアンケート調査をしていたそうである(大日向雅美『子育てに出会うとき』NHKブックス)。子育てにおける母親独自の意味を認めない者に、どうして自分の手で子育てしている母親たちにコメントやアドバイスができるのか。じっさい、彼女のコメントにはまったく親身さというものがなく、母親たちの悩みに具体的に答える内容は皆無であった。

 さらに彼女は学校での具体的・技術的な子育て教育を「子どもを産んだこともない若い人には興味がわくはずがない」などと言って、否定している。(興味がわくように工夫したり、将来の必要性を納得させるのも教師の役目だろうに)(この点について詳しいことは、拙著『母性崩壊』PHP研究所、を参照されたい)

 このような人間を「母性」の専門家扱いするのは大いに疑問である。

 

終わりに

 全体として、子育ての悩み、たいへんさを訴えさせるような組立になっていて、子育ての喜びや「ここが素晴らしい」という話を引き出すような部分が少なかったと思う。「子育ての愚痴や悩みの相談に乗ります」という番組ではないかと思われる所が多かった。もちろんそういう部分もあって当然だが、「楽しさ」や「喜び」の部分も明瞭になるような工夫もほしかった。

 母親たちが、子育てのすばらしさを自覚し、意識化するのを助ける視点もほしいと思った。