12歳殺人事件、どこが問題か

          (平成15年7月10日初出、16日修正)

   親を「打ち首」にすべきか

          (平成15年7月13日加筆)

 

 長崎市の幼児誘拐殺人事件は、12歳の少年の犯行だったという衝撃的な事実が明かとなった。

 何が12歳の少年をして殺人にまで走らせたのか、徹底的に調べなければならない。必ず異常な点や問題点が存在するはずである。

 問題点を調べるという場合に、どこに注目して調べるかが重要になる。正しい問題意識をもって、的を射た調査をしなければならない。

 以下、何を問題にすべきかを明らかにしたい。

 

 第一に、脳の検査を必ずする必要がある。この種の事件が起きると、まず家庭環境・生育歴をしらべるのが「原因調査」の常識のようになっているが、その前に犯人の少年の脳を調べてみなければならない。なぜなら凶悪犯罪者の場合には、脳の異常が認められる場合が多いからである。

 たとえば、流産予防に使われる黄体ホルモン製剤には男性化を促進する作用が知られており、とくに男子の場合にはこれを投与されると、異常な攻撃性、ときには凶暴な攻撃性を示す。凶悪犯罪者のかなりの部分に、この種の脳の欠陥が認められることが明らかにされている。

 また内分泌攪乱化学物質と呼ばれる環境ホルモンも脳の機能障害をもたらす。たとえば、ダイオキシンは注意欠陥多動症(ADHD)や奇形児が生まれる原因となる可能性が高い。この内分泌攪乱化学物質によって微細脳機能障害と呼ばれる神経伝達系の機能不全が起こり、その結果、抑制欠如や行為障害が現われ、非行少年や反社会的人格障害になる場合がある。こうした外部からの環境ホルモンをはじめとする有害化学物質の作用は胎児期から生後一年までに起きやすい。

 今回の事件で注目されるのは、性的衝動も強く伴っている点である。幼児を裸にするという類似の犯行も認めているそうだ。

 脳の異常によって男性性が異常に昂進すると性的衝動と攻撃性が強くなるので、男性性を過度に強めるような化学物質やホルモンの作用を受けなかったかどうかも調べる必要がある。

 

 次に、脳に異常が認められないなら、家庭環境が問題にされなければならない。

 第一に、この少年には強い劣等感があったことが推測される。同級生とは遊ばず、いつも年下の子とだけ一緒にいたことが観察されているそうである。過去にいじめられた経験があるとか、親から過度に厳しいしつけを受けていたとか、運動面や身体面で異常なほどの劣等感や挫折感を持っている可能性が高い。劣等性が劣等感とならないためには、家庭や先生のフォローが大切だが、その点がどうだったのか調べる必要がある。

 

 第二に孤独性が高く、本当の愛情に飢えていた可能性が高い。下校後にマンションのエレベーターホールのベンチに一人で座って、母親の帰りを待つ姿を多くの住民が目撃していたそうである。一人っ子だったが、母親がこの3月からパートをはじめた。すると放課後は夜までゲームセンターで遊んでいた。母親は過保護を通りこして溺愛していたが、しつけはしないで、ただ怒鳴る声が近所にまで聞こえていた。要するに本当の愛情を与えられていなかったと言える。

 

 第三に、残虐性・異常性がどの程度かを正確に知る必要がある。今回の場合には、残虐性はそれほど強くないと思われる。酒鬼薔薇事件のときのように、女児を殴打・刺殺するといった残虐な前ぶれはなかったようである。残虐性よりも、幼児を裸にするなど、性的異常さが見られる。(その後の週刊誌情報では、局部をハサミで傷つけていたそうである。そうだとすると性的虐待といえる。)

 むしろ目立っているのが幼稚性である。幼児を投げ捨てて殺したというと、残虐だという感じを与えるが、恐らく泣き叫ばれて始末に困って「処分」するという感覚だったのであろう。幼稚で未熟な行動と言うべきである。家庭的愛情の不足と、家庭内のコミュニケーション不足(不適切)からくる精神的発達の未熟という特徴が見える。「おどおどした感じの子だった」という証言もあり、両親から愛情を受けないで、ただ厳しさだけを与えられていた可能性もある。

 このこととの関連で、凶悪事件(家庭内暴力を振るい続けた少年を父親がバットで殺した事件、酒鬼薔薇事件、バスジャック事件)の犯人の少年の母親たちが、一様に無神経で細やかさに欠けること(また堺市の幼稚園児母子殺傷事件やその他の事件では母親が離婚などでいなかったこと)を、すでに私は詳細に分析して明らかにしてきた(『母性崩壊』および本ホームページ「時事評論」1、2、4)が、ここでもう一度注意を促しておきたい。これを指摘するのは、決してその母親たちを責めるためではなく、そういう事実を明らかにして、どういう対策を立てたらよいのかを皆で考えてほしいからである。

 

 少年犯罪については、異常性の種類・性質を正確に探りだし、その原因を的確に調べ出すことが絶対に必要である。いつでも「どこにでもいる普通の子」という見出しや、「成績はよかった」という見出しが踊るが、「普通」であるはずはないのだし、成績はなんの関係もないのである。マスコミはそういう馬鹿な見出しで関心を誘う愚を捨てて、事実をしっかりと報道してほしいものである。

 

親を「打ち首」にすべきか

          (平成15年7月13日加筆)

 鴻池防災担当大臣が「親は市中引き回しの上、打ち首にすべきだ」と発言し、波紋を呼んでいる。氏は「青少年育成推進副本部長」をも兼ねている(本部長は小泉首相)。事実上の「青少年健全育成」政策の最高責任者だと言ってもいい地位にいる人である。

 この発言は「少年犯罪の責任は親にある」という見方に立って、「少年に罪を問えないというなら、親を罰せよ」という考え方にたっている。その考え方は、ある意味では正しいと私は考えている。

 ただし、親の責任を問うということは、そんなに簡単なことではないのである。親の育て方が悪いといっても、何をどうしたらよいのか分からない親がたくさんいる。分からないという意識を持っているのはましな方で、何も考えていない親も多い。

 そういう親たちに対して、家庭教育のあり方について適切な指導や助言・支援をしていく(またそうした体制・仕組みを作る)のが、担当の政治家の務めであろう。そういう努力と政策を充分に行った上で、親の責任を云々するのなら、話は分かる。

 しかし、鴻池氏は、担当の大臣として、これまでそうした努力をどれだけしてきたのであろうか。こういう事件が起きたときに、そういう反省と自らの責任をどれくらい痛感したのだろうか。

 政治家の姿勢として必要なのは、親を責める前に、その親にどれだけ適切な援助や指導をしえたかを自らに問うことである。たとえば、幼児に対して衣服を脱がせていたずらをする事件が起きたときに、ただちに「危険な前兆」として重要視し、対策を講じえなかった体制を反省し、今後そうした前兆を見逃さないで素早い対策を取れるように体制を作るのが、政治家の務めであろう。他人を批判する前に、自分の責務をきちんと果たしてもらいたい。

 同じ問題は「児童虐待防止法」についても言える。虐待した親に対して、なんらかの対策が必要であることは、長いあいだ専門家や現場の関係者が指摘してきているのに、いまだに親への介入が法制化されていない。一方では親を罰せよという意見があるが、親も異常になっているのに、罰しても何も変わらない。親への適切な介入と指導・援助が必要なのである。(今の法律では、虐待された児童を強制的に保護することはできるようになったが、親はそのままなので、しばらくして親のもとに返すとまた虐待が繰り返される。)

 厳罰主義でもなく放置でもなく、適切な介入と指導・支援をどう制度化していくかを、今や真剣に考えるべき時なのだ。

 親のあり方が大切だという認識は正しい。しかしその認識から、「親を市中引き回し」にしろなどという感情論だか時代劇の見過ぎだか分からないような発言しか出てこないようでは、「日本の大臣は程度が低い」と言われても仕方ないだろう。大臣は日ごろからもっと担当の問題について勉強しておいてもらいたい。

 そして家庭教育のよりよいあり方について、国民をあげて議論し、改善していかなければならない。

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